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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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国分寺崖線の武家屋敷門

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現在、設計中の


上祖師谷の家の建主さんが、


日影さんに見せたい建物があると言われ、


ついて行ったら、


なんと!立派な長屋門でした。


あまりの風格の高さに驚き、


開いた口がふさがらず、


なぜこの場所に、


これほどの長屋門が


残っているのか疑問でした。


海鼠壁の腰壁の高さが一般よりも高く、


格式の高さを感じました。


おそらく、


この場所はもともと武家屋敷跡で、


この長屋門だけが


残されているのだろうと推測しました。



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門の前に説明書きがありましたので、


読んでみます。


◇◇◇


この武家屋敷門は、


もと岡山藩池田家筆頭家老を


代々勤めた、伊木家の


下屋敷の表門であったとのこと。


この下屋敷は荒手(あらて)屋敷とも呼ばれ、


後楽園の下手の中州にあったそうです。


屋敷内には茶室も多く、


十四代伊木忠澄は


三猿斎(さんえんさい)と称し、


茶人としても名高かったそうです。


昭和十二年、河川改修工事のため


水没する屋敷地内の門及び茶室を、


鮎川義介氏が譲り受け、


千代田区紀尾井町の


自邸内に移築しました。


その後、昭和38年屋敷を現在地に移し、


その表門として使用されていましたが、


昭和53年マンション建設にあたり、


場所を移動して復元保存されました。


門の形式は長屋門で屋根を切妻屋根、


本瓦葺とし、


外壁は腰が海鼠(なまこ)壁で、


他は漆喰の塗壁造りとしています。


間取りは、


向かって右側が番所(ばんしょ)、


左手が納戸部屋となっており、


番所は正面に出格子、


門扉に向かっては与力(よりき)窓が


それぞれ付き、格式の高さを示しています。


中央には両開きの扉が入り、


また、向かって右側には


片開き戸(潜り戸)、


左手は板壁としています。


両開戸の親柱の柱間寸法は


10.056尺(3.05m)、


材質は、門扉は杉材、


親柱及び冠木(かぶき)・出桁(でげた)は


いずれも松材が使用されています。


門扉には、


吊り元に八双金物(はっそうかなもの)、


饅頭金物(まんじゅうかなもの)、


菱形の釘隠しも付けられています。


建築年代は不詳ですが、


部材の風蝕、各部の仕様、


下屋敷の造営史等から、


江戸時代中期(18世紀末期)頃と


推定されています。


この門は、


大藩の家老屋敷の表門としての


格式を示す遺構として貴重な建築です。


◇◇◇


なるほど・・・、


もともと後楽園の下手の中州に建っていた


下屋敷の長屋門で、


紀尾井町に移築され、


この国分寺崖線の丘の上に


移築されたものであることを知り、


この垢ぬけた意匠に納得がいきました・・・。


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# by y-hikage | 2024-04-05 10:40 | 建築巡礼 | Comments(0)