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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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広瀬鎌二のSH-1

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昨年の11月の終わり、


調べたいことがあり


田町の建築学会図書館に行ったら、


偶然「広瀬鎌二建築展SH+1回」が


開催されていました。


建築家・広瀬鎌二(19222012)は、


神経質ぐらいのストイックな作品を創る


作家であったということと、


反面、日本の伝統的建築について


「伝統のディテール」や、


重源についてのぶ厚い本である


「大厦成る―重源‐東大寺再建物語」などの


著者としても有名です。


「大厦成る―重源‐東大寺再建物語」


については


あまりのページ数の多さから途方もなく、


いまだ 1 ページしか読めていません。



     ○○○



広瀬鎌二(19222012)は、


1953年、鎌倉に自邸である


「 SH-1 」を発表し、


一連の軽量化鉄骨の住宅、


SHシリーズ」の端緒をひらきました。


広瀬鎌二はのちに


SH-131957)あたりから


本格的に建築の部品化の追求を行ない


工業化の模索へと向かいますが、


この創始期の住宅は


将来にそうした展開を期しながらも、


むしろ伝統的な真壁造の軸部を


鉄骨のアングルに置きかえた形で


つくっていきました。


広瀬鎌二はSH-1の発表にあたって、


「近代工業が生産する、鉄・ガラス・レンガ・コンクリート等の材料を、その各々が持つ力学的材料的特性を十分に活用して、新しい住居を創造したい衝動」


これらをつくらせたと述べました。


当時、構造材として使用することなど


思いもよらなかった


アングル材と鉄筋の組み合わせから


つくり出された架構は、


その構造材の細さと材質感によって


日本には珍しいモダンな感覚の空間を


生成できることを示しました。


鋼材とレンガの壁や


濃紺に塗られたブロックなのなどの


取合わせも珍しく、


構造体から解放された


ワンルームの平面も当時の人々に


魅力的に映りました。


しかし技術面での


処理の面倒さなどもあいまって、


池辺陽やRIAなどが試みたほかは


あまり鉄骨造を追及する建築家は


生まれませんでした。


その中で広瀬鎌二のみが


鉄骨造の空間の明るく軽快な感覚を


追及しつづけ


SH-30(1960)にひとつの結実を見せました。



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チラシの裏の解説の冒頭に



     ○○○



「 God is in the detail 」(神は細部に宿る)


というミース・ファン・デル・ローエの言葉を、


広瀬鎌二が著した


「伝統のディテール」が思い起させた、


とルイス・カーンが


広瀬鎌二に宛てた手紙の中に書いている。



     ○○○



と書かれていました。


ルイス・カーンが


広瀬鎌二宛てに


手紙を書いていること自体が驚きです。



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右側が


ルイス・カーンが


広瀬鎌二宛てに書いた手紙。


左上の写真は広瀬鎌二自邸の


「 SH-1 」

左下の写真は


「 SH-13 」



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「伝統のディテール」の表紙。


日影アトリエ製図室の本棚から・・・。



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「 SH-1 」


軒の高さは2260㎜です。



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「 SH-1 」


レンガ張りの台所



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「 SH-1 」のパネル展示。



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展示開場には、


原寸の軸組模型が展示されていました。



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鉄骨アングルと鉄筋で構成された小屋組み。


アングルは65㎜×65㎜。


鉄筋は9㎜の丸鋼。



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原寸軸組模型の脇に、


制作図が展示されていました。


この図面が一番勉強になりました。



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製作風景の写真



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おそらく工場での仮組風景



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「 SH-13 」のパネル展示



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シャープすぎるほどの


ガラスと鉄骨の箱



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by y-hikage | 2019-02-27 11:21 | 建築巡礼 | Comments(0)

江之浦測候所に行きました・その9

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「 江之浦測候所 」に

まさか日影アトリエの地元にある

北鎌倉・明月院の門があったとは・・・。


「明月門」とよばれるこの門について・・・、

江之浦測候所パンフレットに書かれた

杉本博司氏の解説は

とても興味深いものでした。

まさに「 明月門の物語 」のように・・・。


        ○


明月門は鎌倉にある臨済宗建長寺派の明月院の正門として室町時代に建てられた。

しかし大正12年(1923)の関東大震災の時に半壊し、数寄屋建築家で茶人であった仰木魯堂に引き取られて解体保存された。

その後大日本麦酒(サッポロビール、アサヒビール前身)の創業者で茶人であった馬越恭平の六本木邸宅の正門として、仰木魯堂により再建された。

昭和20年(1945)、馬越恭平の茶友であった根津嘉一郎の青山の邸宅が、馬越邸と共に米軍の爆撃で被災し、唯一この明月門のみが焼け残った。

馬越は自邸の移転を決め、残った明月門を根津家に寄贈した。

門は再度解体移築され、後に根津美術館正門として使用された。

平成18年(2006)、根津美術館建て替えの為根津美術館より当財団に寄贈され、小田原文化財団正門として解体修理され再建された。

建築様式としては室町期の禅宗様式の形を良く残し、躯体の多くの部材が創建材として残されている。

仰木魯堂は明治期に建築設計事務所を開き、建築家として活動しながら古美術の蒐集家としても目利きであり、かつ茶人としても独自のものを持っていた、

私の最も敬愛する日本人建築家である。

明月門の塀には木賊張り(とくさばり)が施される。

木賊張りは半割の竹を木賊のように縦に並べて壁面を構成する方法で、施工例としては桂離宮表門、伊勢神宮茶室、野村碧雲荘などがある。


(江之浦測候所パンフレットから引用)



       ○



碧雲荘(へきうんそう)は、

日本の実業家である二代目野村徳七が、

大正時代から昭和時代にかけて

京都市・南禅寺付近に築造した

数寄屋造りの別邸です。

野村徳七は近代の代表的な数寄者である

益田鈍翁などと親交があった

数寄者としても知られています。

北村捨次郎らの設計による、

数寄屋造りの高度な技法を

凝らして作られた建築物と、

近代日本庭園の先駆者である

小川治兵衛とその長男、保太郎が

作った美しい庭園があります。

大正時代から建築が始まり、

昭和3年(1928)頃に完成ました。

2006年に国の重要文化財に指定されました。

碧雲荘(へきうんそう)は

縁あって20年以上前に

知り合いの左官屋さんの案内で

隅々まで見学させていただきました。

北村捨次郎の住宅も

数寄屋建築として有名です。

京都市上京区に建っており、

昭和38年(1963)に

建築家・吉田五十八によって増築されました。

この吉田五十八作の北村邸は、

吉田五十八の住宅作品の中で

最も好きな建築です。

この北村邸も公開日にあわせて訪ね、

見学することができました。


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裏側から見た「 明月門 」


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塀の控え柱の納まりは、

好きな手法です。


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門の正面に据えられた大きな石。


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江之浦測候所に移築された

「 明月門 」と

新しく作られた木賊張りの塀


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桂離宮正門の木賊張りの塀


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伊勢神宮茶室の木賊張りの塀。

施工は数寄屋建築の

達人・中村外二棟梁によるもの。


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野村碧雲荘正門の

木賊張りの塀


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修学院離宮・中離宮中門の

木賊張りの塀


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修学院離宮・上離宮中御成門の

木賊張りの塀


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四君子苑(しくんしえん)とよばれる

旧北村邸


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吉田五十八設計による

旧北村邸の増築棟


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by y-hikage | 2019-02-25 16:09 | 建築巡礼 | Comments(0)

江之浦測候所に行きました・その8

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「 江之浦測候所 」をたずねたとき、

伊勢神宮を連想しました。

伊勢神宮の

皇大神宮(内宮)大宮院を囲む

内玉垣という板塀と同じような

意匠の垣が

立てられていたように見えました。

作者の杉本博司氏が

意図したものなのかどうかわかりませんが、

僕の眼にはそのように写りました。

だとしたら江之浦測候所を

神域として設定したのではないかと

想像がふくらむのでした。



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内宮.外玉垣南御門より

内玉垣南御門を見る。


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皇大神宮正殿背面を板垣内より見る。

一番奥の垣は瑞垣。

その手前が内玉垣。

この内玉垣の意匠が

江之浦測候所の垣と同じに見えました。

一見シンプルで

どこにでもありそうな意匠ですが、

雨水の切れがよく

この清らかな意匠は、

まちなかではあまり見ることがありません。


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皇大神宮大宮院の四重の垣。

向かって左より板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣。


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参考までに下宮正殿の床下。


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江之浦測候所の導入部。

手前左の垣が

伊勢神宮内宮の内玉垣と重複して見えました。

奥の建物が「 待合棟 」。


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「 待合棟 」近景


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「 待合棟 」正面

広場に敷かれている石は、

京都市電の軌道敷石として使われていたもの。


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「 待合棟 」はつけいる隙がないほどに

完璧に設計されているように見えました。


以下、待合棟の写真・・・。


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トイレの扉のデザイン。


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江之浦測候所に行きました。

その9に続く・・・。


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by y-hikage | 2019-02-23 11:09 | 建築巡礼 | Comments(0)

江之浦測候所に行きました・その7

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「 江之浦測候所 」に茶室がありました。

行く前の下調べが少ないままに訪ねたので、

その茶室が

「待庵」の写しであることに驚きました。

待庵は茶人の千利休の作で国宝建造物です。

建築は天正十年(1582)とされています。

茶室建築の大家、中村昌生氏が言う

「 侘びを表現した二畳敷であり、

力強く雄大にも感じられる空間 」

を感じることができます。


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茶室「雨聴天」に向かう道。

上空の建築は、

「夏至光遥拝100メートルギャラリー」



ここでまた写し作者である

杉本博司氏の言葉をかりてみます。

      ○

茶室「雨聴天」は千利休作と伝えられる「待庵」の本歌取りとして構想された。

本歌取りとは古典を引用しつつ新作にその精髄を転化させる手法を言う。

「待庵」は利休の目指した侘び茶の一つの完成形と目されている。

それは2畳室床という極小空間の内に、壁面の木舞の窓から差し込む光の陰影の中で、見事な空間が構成されているからだ。

当時使われた素材は銘木でもなくあり合わせの材であり、壁も質素な土壁だった。

そこでは意図的に山居に籠る聖のような「貧」が演出されたのだ。

私はこの待庵の寸法を一分の違いなく写した。

小田原文化財団のあるここ江之浦の地には、同じく利休作と伝えられる茶室「天正庵」跡がある。秀吉北条攻めの際に諸将慰撫のために秀吉が利休に命じて作らせたと伝えられる。利休切腹1年前の天正18年(1590)のことであった。

私はこの土地の記憶を茶室にも取り込むことにした。

この地にあった錆果てた蜜柑小屋のトタン屋根を慎重に外して、再度茶室の屋根としたのだ。利休が今の世にいたら使ったであろう素材、私はそれを錆びたトタンと見倣したのだ。

天から降る雨がトタンに響く音を聴く。

この茶室は「雨聴天」と命名された。

茶室の躙口には春分秋分の陽光が日の出と共に躙口から床に差し込む。その時、躙口前に置かれた工学硝子の沓脱石は光を受けて目眩く輝く。


(江之浦測候所パンフレットから引用)


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「石造鳥居」


鳥居の古墳を残す例として、山形県小立部落にある重要文化財指定の石鳥居がある。

この鳥居の形式に準じて組み立てられたのがこの石造鳥居である。

柱には中世以前を思わせる矢跡がある。踏込石には古墳石棺蓋石が使われた。古墳蓋石は太古に二分割されたと思われる。


(江之浦測候所パンフレットから引用)


      ○


茶室「雨聴天」の軸線は、

春分秋分の光の軸線と一致し、

その光は「石造鳥居」を貫き

躙口から床の間の壁に照射します。


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躙口前の工学硝子沓脱石。


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塵穴も工学硝子でできていました。


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二畳敷の茶室。

手前座に隅炉が切られています。

床の間には、

「日日是口実」と書かれた

軸が飾られていました。

本来は「「日日是好日」のはず・・・、

蜜柑の豊作を願う意味からでしょうか。


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床柱、落し掛け、床框の材料に

古材を使用しています。

蜜柑小屋の材料を転用しているのでしょうか。


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次の間。

畳一枚に板畳が付きます。


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蜜柑小屋で使われていた

波板鉄板を屋根材としています。


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「 明日香石水鉢 」


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「 鉄宝塔 」(鎌倉時代)



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「 旧奈良屋門 」



箱根宮ノ下にあった

名旅館「奈良屋」の別邸に至る門。

平成13年(2001)の廃業に伴い

箱根町より寄贈された門とのこと。

門の袖塀は版築で造られています。

床にむくりのついた瓦を

四半敷で敷いています。


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江之浦測候所に行きました。

その8に続く・・・。


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by y-hikage | 2019-02-18 13:27 | 建築巡礼 | Comments(0)

江之浦測候所に行きました・その6

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「 江之浦測候所 」に昨年の秋、

「 竹林エリア 」というゾーンが追加され、

庭園全体の面積が広がりました。

相模湾に面するみかん畑の間を巡る小道沿いに

杉本博司氏の作品や

古い石造物が展示されています。

訪ねた時期は、みかんの実がたくさんできていて、

手にとって食べたい衝動にかられましたが、

注意事項に

「竹林エリアの蜜柑は地元農家の出荷用です。

もぎ取らないでください」

と書かれていました。


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園路途中の藤棚スペース


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園路から

「冬至光遥拝隧道」と

「工学硝子舞台」を見上げます。


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杉本博司氏の作品

「数理模型0010

工学硝子に鎮座しています。


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竹林から「数理模型0010」を見下げます。


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話はいきなり東京青山に飛びます。

表参道沿いに建つ

oakomotesandoのビルに

竹林に展示されている

「数理模型」と同じ形の作品が

彫刻として吊るされています。

落ちて着たら刺さりそうな作品です。


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この「数理模型」が展示されている空間は、

壁に粗削りの石が乱張りに張られ、

床は敷瓦の四半敷としています。

この瓦は、

東大寺の鬼師による瓦で、

低い温度で焼成され、

その時々の色や温度によって

一枚一枚微妙な表情のちがいを

生みだしています。

さらに特筆すべきところは、

端部に手作業でむくりをつけ、

柔らかい陰影を創り出しています。

この敷瓦は、

「江之浦測候所」の中の

「夏至光遥拝100メートルギャラリー」の

西側の犬走と

「旧奈良屋門」の床と

「待合棟」のアプローチに使用されています。


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青山のoak omotesandoのビルの床に

張られている敷瓦。


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再び「江之浦測候所」の

「竹林エリア」に戻ります。

「 化石窟 」とよばれる建築。

おそらくこの場所に建っていた納屋を

改造した施設。

化石がたくさん展示されていました。


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石の階段の表現に

「真」「行」「草」という分類があるとしたら、

「行」という表現による階段。


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「 五輪塔 」


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「 数理模型0004 」

ステンレスでできた

長い団子のようなかたち。

もしくは大好物の

銀杏焼きの串のように

孟宗竹の中に溶け込んでいました。

     ○

江之浦測候所に行きました。

その7に続く・・・。

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by y-hikage | 2019-02-15 11:02 | 建築巡礼 | Comments(0)

江之浦測候所に行きました・その5

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「 江之浦測候所 」の造園計画は、

石を中心に考えられています。

庭内に複数の石を配置し構成することを、

石組あるいは石立てといいます。

日本庭園でよくみかける石立ては、

石を垂直に立て

象徴的に表現してきたように思います。

石そのものが個性的でありながら

さらに垂直に据える表現は、

実はあまり好きではありません。


「 江之浦測候所 」の石立ては、

作者である杉本博司が

「石の水平性を布石の基本原理とする」

と言うように、

石を寝かせ、

石が地面を這うように石立てをしています。

これによって見る者の

意識の重心を安定させています。


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「根府川石 浮橋」


近隣の根府川石丁場から採取される根府川石は、自然肌の平滑面を持つのが特徴である。

この平滑面を利用して踏石としてレベルを揃え、自然石を地表から僅かに浮かせて設置した。石を伏せるという工法の顕著な例である。


(江之浦測候所パンフレットから引用)


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「石舞台」


この石舞台は能舞台の寸法を基本として計画された。

素材としての石は当地を開発し地盤を整備した際に出土した夥しい数の転石を主に使用した。この土地は数メートルの地下が強固な岩盤で、近在には根府川石丁場、小松石丁場がある。

舞台四隅の隅石には近隣の早川石丁場跡から発掘された、江戸城石垣の為の巨石を配している。そのノミ跡から江戸初期に切り出され、江戸城初期計画が完成された為、放置された石材と思われる。舞台の橋懸には23トンの巨石を据えた。この石は福島県川内村の滝根石で、岩盤から剥がされた状態で見つかった。

石橋の軸線は春分秋分の朝日が相模湾から昇る軸線に合わせて設定されている。

演能は夜明け前の薄闇に曙の差す頃始まり、後ジテが冥界に帰る頃にその背に朝日を受ける、という構想でこの舞台は設計された。


(江之浦測候所パンフレットから引用)


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「石舞台」の向こうに

大谷石張りの

「夏至光遥拝100メートルギャラリー」が見えます。


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「渡月橋礎石」


京都嵐山の渡月橋の礎石で室町時代のものとされています。

昭和37年(1962)の渡月橋補強工事の際に川床から発見されたものです。


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「三角塚」


海に向かった三角形の舞台の頂点は春分秋分時の正午の太陽の方角を指している。

この時太陽は子午線を通過する。子午線とは南極と北極を結ぶ大円で、子の方角(北)から午(南)に伸びる線を示す。

根府川石を組む過程で古墳のような石室空間が現れた為、実際に古墳石室に使われた石と石棺の一部を内部に収めた。


(江之浦測候所パンフレットから引用)


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by y-hikage | 2019-02-14 08:38 | 建築巡礼 | Comments(0)

江之浦測候所に行きました・その4

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「 江之浦測候所 」の

「夏至光遥拝100メートルギャラリー」

        ○

海抜100メートル地点に100メートルのギャラリーが立つ。

建築構造的に野心的な案が採用された。

100メートルの構造壁は大谷石の自然剥離肌に覆われ、対面のガラス窓は柱の支え無しに硝子板が37枚自立している。

屋根は軽量化を図った片持ちの屋根で、ギャラリー先端部の12メートルは海に向かって持ち出しとなって展望スペースが併設される。

夏至の朝、海から昇る太陽光はこの空間を数分間に渡って駆け抜ける。


(江之浦測候所パンフレットから引用)


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「夏至光遥拝100メートルギャラリー」の玄関。

シャープな屋根が

大谷石の壁から跳ね出しています。


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軒先の隅棟部分のデティール。

憎たらしいほど繊細で美しい細部。


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北面は柱がなくガラスのみが自立しています。


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「冬至光遥拝隧道」の出口


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「円形石舞台」

   ○

中央には大名屋敷の大灯篭を据えていた伽藍石を置き、周囲を京都市電の敷石を放射状に擦り合わせてある。

舞台の周りの巨石は江戸城の石垣のために切り出された巨石。

近隣の山中から切り出され江戸湾まで回航されたが、回航に失敗して沈んだ巨石が根府川海岸の海底に散見される。


(江之浦測候所パンフレットから引用)


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玄関正面


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玄関扉

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玄関扉の詳細


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ギャラリー内部空間


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ギャラリーの先端は展望スペース


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扉の詳細・・・。

どこの扉だったか忘れてしまいました。

次回、行ったときに再確認いたします。



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展望スペースからは相模湾が一望できます。


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展望スペースから

茶室「雨聴天」に向かう園路を見おろします。


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大谷石の壁。


石の肌合いを一枚一枚見て選びながら

割付配置したのではないかと推測します。

江之浦測候所で使用する石は

基本的に古材の再利用と書かれていました。

だとしたら

この大谷石も古材の再利用なのでしょうか・・・。

施設全体で使用された古い石は

膨大な量になります。

いったいどこに保管していたのでしょうか。


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中間部に設けられた扉。


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中間部に設けられた扉を外側から見ます。


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海に突き出た12メートルの

展望スペースを下から見上げます。

      ○

江之浦測候所に行きました。

その5に続く・・・。

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by y-hikage | 2019-02-13 11:59 | 建築巡礼 | Comments(0)

江之浦測候所に行きました・その3

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「 江之浦測候所 」は、

冬至と夏至、春分と秋分といった

季節の節目に太陽の軌道を

確認することを目的とした

建築であるとされています。


この目的を自分の言葉で表現するなら、


太陽の光を受信し我が身と宇宙の距離を測る。


ということかと思います。


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その装置のひとつ「冬至光遥拝隧道」は、

70mのトンネルを

コールテン鋼でつくられています。

       ○

一年で最も日照の短い日。冬至は一年の終点でありまた起点でもある。

この特別な一日は、巡り来る死と再生の節目として世界各地の古代文明で祀られてきた。

日が昇り季節が巡り来ることを意識化し得たことが、人類が意識を持ちえたきっかけとなった。この「人の最も古い記憶」を現代人の脳裏に蘇らせる為に、当施設は構想された。

冬至の朝、相模湾から昇る陽光は70メートルの隧道を貫き、対面して置かれた巨石を照らしだす。

(江之浦測候所パンフレットから引用)


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冬至光遥拝隧道の中ほどに

設置された「光井戸」

井戸枠は、

ノミの痕跡から中世のものとされています。

井戸枠の中には工学硝子破片が敷き詰められ、

雨天時には天井に穿たれた

開口部から雨粒が降り注ぐ様子が

見れるそうです。


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全速力で駆け抜け


相模湾に飛んでいきたくなるような衝動。

右は工学硝子舞台。



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工学硝子舞台

冬至光遥拝隧道と平行に、

冬至の軸線に沿って、

檜の懸造りの上に工学硝子が

敷き詰められています。

冬至の朝、

ガラスの小口に陽光が差し込み輝くとされています。



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出入り口の詳細。

江之浦測候所の建築は

全体的に出入り口及び開口部の詳細を

徹底的に追及しています。

機能的に美しく。

しかも見た目にも強く。


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檜の懸造りと錆びたコールテン鋼との対比に

蜜柑の色が添えられています。


 ○


江之浦測候所に行きました。

その4に続く・・・。


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by y-hikage | 2019-02-12 14:34 | 建築巡礼 | Comments(0)

江之浦測候所に行きました・その2

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2017年秋に開館した小田原の

「 江之浦測候所 」

相模湾の海を見晴らす

江之浦のミカン畑跡に点在する建築群。

一万坪を超す敷地に

壮大なランドスケープを生みだし、

美術鑑賞のためのギャラリー棟、

石舞台、光学ガラス舞台、

茶室、庭園、門などが配置されています。

このランドスケープ + 建築群の設計者は

現代美術作家の杉本博司氏。

杉本氏は写真家として有名ですが、

直島の護王神社など、

景観を生かした

独自な建築作者としても知られています。

また骨董の収集家でもあります。


「 江之浦測候所 」は

杉本博司氏の構想20年、

集大成にして唯一無二の驚異の建築空間です。


「 江之浦測候所 」では

冬至と夏至、春分と秋分といった

季節の節目に太陽の軌道を

確認することを目的としています。


海に向かって断崖絶壁に突き出した

「夏至光遥拝100メートルギャラリー」は

夏至の太陽の軸と同一線上にあり、

日の出の光は先端の展望台に直射します。

その下を潜るコールテン鋼でつくられた

70mのトンネル「冬至光遥拝隧道」は、

冬至の太陽軸にあり、

冬至の朝日はこのトンネル内を一直線に貫き、

出口にある巨石を照らします。


ここでCasa BRUTUS 2017 .vol.212

書かれている杉本博司氏の言葉を読んでみます。


・・・・・・・


「人の最も古い記憶」を現代人の脳裏に蘇らせる為に江之浦測候所は構想された。

小田原市江之浦地区の貴重な自然遺産を借景として各建築は庭園と呼応するように配置される。

        〇

幼少時に熱海から小田原へ向かう湘南電車から見えた大海原の景色、それが私にとっての最初の記憶であり、『海景』シリーズにもつながっていますが、海を撮り続けているうちに、人間の意識の始まりに興味を抱いたのです。

古代の人間は太陽の軌道が変わるのを見て、季節が巡り、時が経過するということを意識化したのではないかと。

冬至が死と再生の象徴であることは、日本のみならず民族共通の概念でもあります。

~中略~

「太陽光の測候という目的とともに、人間の文明のあけぼの、アートの萌芽をもう一度再現するための装置を設けようと考えました。

古代、天照大神を誘い出すためにアメノウズメノ尊が踊った天の岩戸伝説のように、ダンスやパフォーマンスのための場所をつくりたいと。


Casa BRUTUS 2017 .vol.212135頁からの抜粋)


そして「江之浦測候所」の

パンフレット巻頭には

とても重要なコンセプトが書かれています。


造園計画の基本としては、平安末期に橘俊綱により書かれた「作庭記」の再検証を試みた。

作庭記冒頭に「石をたてん事、まづ大旨をこころふべき也」とあり、この石の垂直性を改め、石を伏せん事の大旨を探求することとした。

すなわち石の水平性を布石の基本原理とした。

使用する石材は古材を基本とし、数十年に渡り収集された古墳時代から近世までの考古遺物及び古材が使用されている。


(江之浦測候所のパンフレット巻頭言より抜粋)


・・・・・・・

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切り張り加工し彩色した図版を

さらにトレーシングペーパーにコピーし、

GoogleMapに同一縮尺で重ねあわせた図版。

この図版の目的は

江之浦測候所と東の相模湾までの距離を測るため。

江之浦測候所の下を

東海道線が潜っているのがわかりました。

( 中央の白いタテの線 )


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江之浦測候所の園路からの相模湾の眺め。

左手には西日に照らされた

オレンジ色の蜜柑が見えます。


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江之浦測候所には

東海道線・根府川駅から

送迎バスに乗っていきました。

東海道線・根府川駅は好きな駅です。

駅のホームからの眺め。

このあたりの東海道線区間を僕は

宮沢賢治の「銀貨鉄道の夜」とよんでいます。

      〇

江之浦測候所に行きました.
その3に続く・・・。




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by y-hikage | 2019-02-11 14:32 | 建築巡礼 | Comments(0)

江之浦測候所に行きました・その1

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昨年の121日、

小田原の江之浦測候所に行きました。


江之浦測候所は、

4本の軸線によって構成されています。


ひとつめは

冬至の日の出による軸線(赤線)


ふたつめは

夏至の日の出による軸線(緑線)


みっつめは

春分・秋分の日の出による軸線(青線)


よっつめは

春分・秋分の日の出による軸線(黄線)




図版は解説書の図版を

切り張り加工し

彩色したものです。



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      ◑


江之浦測候所に行きました.
その2に続く・・・。



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by y-hikage | 2019-02-10 12:52 | 建築巡礼 | Comments(0)