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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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カテゴリ:建築巡礼( 156 )

神奈川県立音楽堂の改修工事

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69日の土曜日、

前川國男が設計した「婦人会館」で、

神奈川建築士会技術支援委員会環境建築部会が

主催する

「人に寄り添う木造省エネ建築勉強会」に

参加するために

横浜の紅葉ヶ丘文化ゾーン行きました。

この場所は、

神奈川県立音楽堂での

コンサートを聴くために

たびたび訪れる場所です。

今回行って驚いたことに、

神奈川県立音楽堂が

改修工事をおこなっていました。

神奈川県立音楽堂は

上野の東京文化会館に並ぶほど

音響の良さで知られています。

改修内容は良くわからないのですが、

改修後に音が悪くなっていないことを

祈るばかりです・・・。

改修工事期間は2019年の3月までと

工事看板に書かれていました。


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紅葉ヶ丘文化ゾーンの配置図。

図書館・

音楽堂・

青少年センター・

婦人会館・

青少年会館(現存せず)は、

すべて前川國男の設計です。

ちなみに掃部山公園に隣接する

横浜能楽堂は大江宏の設計です。


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改修前の音楽堂の正面


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改修前の音楽堂のホワイエの

ガラスカーテンウォール


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改修前の音楽堂のホワイエ


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改修前の音楽堂のホール


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改修前の音楽堂のホール


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改修前の音楽堂のホール


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図書館の通用口


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図書館の外観


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図書館の内部空間


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図書館の内部空間


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青少年センター


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青少年センターは彫塑的で、

なにかの動物のように見えてしまいます。


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婦人会館

正面のまわり階段が特徴・・・。



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by y-hikage | 2018-06-20 12:27 | 建築巡礼 | Comments(0)

北鎌倉駅前の家がギャラリーになりました。


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北鎌倉駅を背にしてほぼ正面に

日本的でありながら

モダンな住宅が建っています。

昔から気になっていた住宅で、

設計者は北鎌倉在住の

建築家・榛沢敏郎氏の設計であることは、

それとなく知っていました。

この住宅が今年の3月に

ギャラリーとして生まれ変わりました。

ギャラリーになったことで、

家の内部や庭を

見学できるようになったことが、

ちょっとした嬉しい出来事でした。


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中庭から見る住宅。

漆喰の外壁と

黒く塗られた木を基調とした意匠です。


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建築家・榛沢敏郎氏は

古くから鎌倉市内に作品を残し、

鎌倉の小町通りにあった

喫茶店「 門 」が有名でした。

北鎌倉駅周辺のほとんどの建築も

氏の作品の はず です。


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ギャラリーの名前は「ギャラリーえにし」。

ギャラリーの杮落しは、

「小山渚の書と後藤家の鎌倉彫による作品展」

書道家の小山渚さんは、

はじめてお会いしたのですが

北鎌倉在住の書道家とのこと。

日影アトリエ製図室のご近所で、

書塾「てらないどころ」を主宰しているそうです。

鶴岡八幡宮三の鳥居脇に

博古堂を構える鎌倉彫・後藤家は、

鎌倉時代、禅宗寺院の仏像制作のために

奈良から来た慶派仏師の末裔です。

展示の中心は、

小山渚さんの書を図にし、

鎌倉彫を地にした共同作品でした。

動きを感じる書体と

鎌倉彫の特徴のひとつである

刀痕(とうこん)が生み出す

揺らぎがみごとに調和している

作品の数々でした。


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今回の展示で知った

鎌倉彫の「刀痕」と技術。

機械では表現することができない芸術。


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小山渚さんの書を背景で支える

経師屋さんの仕事も素敵です。


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北鎌倉の東慶寺入り口左手の

イタリア料理店の「タケルクインディチ」も

榛沢敏郎氏の作品です。


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今や超人気のイタリア料理店で

予約なしでは入れないお店です。


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タケルクインディチの


トイレのタイルの模様・・・。




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by y-hikage | 2018-06-06 09:34 | 建築巡礼 | Comments(0)

水澤工務店の T 邸

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前回の記事である

「土浦亀城自邸」から

徒歩数分の場所に

水澤工務店・設計施工の

T邸が建っています。



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たしか二十代後半ぐらいに

建築を採集するために

渋谷から目黒かいわいを

うろうろしていた時に見つけた住宅です。

その佇まいの美しさに魅了され、

何度となく設計の参考のために

見てきた住宅です。


ところで


住宅建築別冊・7

木造屋根廻り詳細


という本に

この「T邸」が掲載されているのを

見つけたときは貴重な宝物を

みつけた思いになりました。


完璧な矩計断面とプロポーション

なんど見てもうっとりしてしまいます。


T邸」は1969年の竣工です。

築後約50年経過してもまったく古びていません。

それどころか、

美しさの層が

厚くなっているようにさえ思いました。

先週の土曜日の朝、

ひさしぶりに見て、

めざすべき建築のひとつであると

あらためて思いました。


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竣工当時の写真

軒先に吊るされた照明器具さえも

竣工当時の器具が使われています。

いかにこの建築が愛されているかを

証明するかのようです・・・。



白黒写真・図版とともに



住宅建築別冊・7

木造屋根廻り詳細


からの転載


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by y-hikage | 2018-06-01 11:02 | 建築巡礼 | Comments(0)

土浦亀城自邸

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前回の記事である

「広瀬鎌二の上小沢邸」から

直線距離にして

およそ1㎞離れたところに

「 土浦亀城自邸 」が建っています。

土浦亀城自邸は、

「 屋根のない白い箱から

バルコニーが飛び出た家 」

という印象は建築写真からのものでした。

実際に見た土浦亀城自邸は

その印象から

大きく外れることはありませんでした。

しかしながらこの家こそ

空間体験が必要な気がします。

室内の明るい立体構成は、

ル・コルビジェの

ラ・ロシュ=ジャンヌレ邸を

想起させ楽しそうです・・・。

建築書の解説では

土浦亀城の師である

フランク・ロイド・ライトの影響を

色濃く受けている。

と書かれていますが・・・。


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この家は土浦亀城(18971996)が、

1935年に自邸として

設計し最晩年までを過ごした住宅です。


文化遺産としてのモダニズム建築

DOCOMOMO百選


に選ばれている建築のひとつです。


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by y-hikage | 2018-05-31 16:21 | 建築巡礼 | Comments(0)

広瀬鎌二の上小沢邸

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上大崎の家の設計中の時だから、

たしか18年ぐらい前だったと思います。

建主さんに

「近くに面白い家があるから見てみない?」

と言われて、

いつも建築に興味が尽きない僕は

「ぜひ見てみたいです!」と答えると、

すぐに車でその面白い家に連れて行かれました。


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その家は、

150坪はあると思われる大きな敷地に、

平屋建ての家と

吹きさらしの車庫が建っていました。

その佇まいは

「抽象」「ミニマム」という言葉を

絵に描いたような空気感を放っていました。

たしかその時は道路に面する塀はなく、

全景が手に取るように見ることができました。


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見学した時は、

設計した人物はわからなく

僕にとって謎の建築のままでした。

しかも車で連れて行かれたので、

どこの場所に建っていたかさえも

不明のままとなりました。

その後、建築雑誌で

そのミニマムな住宅は

「上小沢邸」と言われる住宅で、

設計が広瀬鎌二ということを知りました。

雑誌で見る上小沢邸は、

外観以上に

「抽象」「ミニマム」という言葉を

絵に描いたような内部空間が

創られていました。


もう一度、見てみたい外観だけでも・・・。


という思いがずっと頭の片隅に残っていて、

最近なにかのきっかけで

上小沢邸の場所を特定することができ、

先週の週末、

打合せのため東京に行くついでに

見学にいきました。


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「上小沢邸」は、

1959年、広瀬鎌二の設計によって建てられた

夫婦二人のための住宅です。

コンクリートブロック造平屋建て、

床面積が13.5坪という小さな住宅です。

完成ししばらく生活し

1974年から神保哲夫氏によって

改修設計が行われ続け、

2004年に離れの茶室が建築されました。

雑誌に掲載された内部空間の写真には、

モノというモノがひとつもなく、

撮影ために片づけられた様子もなく、

生活そのものが

「抽象」「ミニマム」という言葉を

絵に描いたようでした。

建築雑誌「住宅建築200503号」の記事の中で、

上小沢氏の奥様が

このようなことを話しています。


「 物を捨てる以上に気持ちを捨てる 」

「 常識に束縛されていたら

  広瀬先生の家に住めないと思います 」


と・・・。


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by y-hikage | 2018-05-31 11:42 | 建築巡礼 | Comments(0)

すみだ北斎美術館


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墨田区のすみだトリホォニーホールでの

コンサートを聴くために

先日、錦糸町まで行ったのですが、

せっかくなので

コンサートの前に両国にある

「 すみだ北斎美術館 」に行きました。

すみだ北斎美術館は妹島和世の設計です。

すみだ北斎美術館は緑町公園と

地続きになっていて、

公園ではたくさんの

子どもたちが心底楽しそうに遊んでいました。

僕はその光景を見て考えさせられました。

子どもたちが心底楽しそうに遊んでいる背景には、

アルミパネルで作られた美術館が立っている。

もしかしたら子どもたちが楽しくなるのは、

この美術館が

背景にいるからではないかと・・・。

この建物が美術館ではなく、

無味乾燥なオフィスビルだったり

工場だったり

郊外型の巨大なスーパーマーケット

だったりしたら、

ここまで楽しく遊べるのだろうかと

思ってしまいました。

すみだ北斎美術館が

建築として好きな建築なのか

それほど好きでもないとかという

次元の問題ではなく、

もしかしたら建築のありようが

子どもにとって

とても重要な背中

なのではないかと考えたのでした・・・。


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by y-hikage | 2018-05-20 13:02 | 建築巡礼 | Comments(0)

国宝建造物・迎賓館赤坂離宮・その2

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国宝建造物である

迎賓館赤坂離宮について語るには、

44年間続いた

明治時代の国家事業としての

建築を振り返らなくてはなりません。


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時代が江戸から明治に変わり、

日本は欧米先進諸国の経済・文化をとりいれ、

近代的国家の形成をめざしました。

建築についても同様で、

まずは外国人技術者を雇って

古典主義的な洋風建築で

公共建築物を造ることを試みます。

次に、より専門的な外国人建築家によって

洋風建築が造られていきました。


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その外国人建築家の代表的な人物は、

日本人建築家の養成を行うべく来日した

ジョサイア・コンドルでした。

ロンドン生まれのコンドルは

明治10年(1877)に25歳の若さで来日し、

工部大学校・造家学科(現東京大学建築学科)で

建築を教えるかたわら

政府機関建築物を設計していきます。


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コンドルの教え子の一期生は、

東京駅を設計した辰野金吾のほかに

片山東熊(かたやまとうくま)、

曽禰 達蔵(そねたつぞう)、

佐立七次郎(さたちしちじろう)の

4人がいました。

辰野金吾と片山東熊は同い年で

工部大学校を明治12年(1879年)に

卒業したときの年齢は25歳でした。

明治期の洋風建築の前半は

主に外国人建築家によって設計されましたが、

明治20年に入ると、

日本人建築家たちが

明治前期の学習期間を終えて、

自らの手で本格的な洋風建築を設計し始めます。

その代表的な作品の一例をあげると、

辰野金吾による

日本銀行本店(明治29年)であり、

片山東熊の東宮御所

(明治42年・現:迎賓館赤坂離宮)となります。

特に迎賓館赤坂離宮の完成度は群を抜いており、

世界的な視点から見ても遜色がありません。


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ここで彼らの時間軸を眺めてみると

驚くべき事実がわかってきます。

明治時代に入る前の日本の建築は

言うまでもなく「日本建築」だけでした。

明治元年(1868年)は、

辰野金吾と片山東熊の年齢は14歳。

工部大学校を卒業したのは明治12年の25歳。

辰野金吾は42歳の若さで日本銀行本店を設計し、

片山東熊は55歳で

国家を代表する洋風建築・赤坂離宮を

完成させたのです。

日本での

「洋風建築ゼロスタート」の時代において

学校を卒業してたった30年間で

洋風建築技術を頂点までもっていく

スピードというかエネルギーには、

言葉にならないぐらいです。


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さて迎賓館赤坂離宮について

あらためて見てみます・・・。

片山東熊は

明治時代最大のモニュメントである

東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)を

実現するために他の技師とともに

数度にわたり渡欧し宮殿建築を調査します。

この数度に及ぶ渡欧や、

輩下たちの渡欧によって

培われた学習の成果が見事に結実し、

室内装飾は形態・色彩・構成・比例など

すべての点で、

完璧に近いかたちで精緻にまとめられています。

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外観は東宮御所とほぼ同年代に建てられた

ネオ・バロック様式による

ウィーンの新王宮や

ルーブル宮を模範にしてデザインしています。


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内部においては

フランス18世紀末・19世紀初頭の様式を主に、

各種の様式が完璧に摂取し

緻密に再現されています。

室内装飾の一部には、

日本の工芸美術がモチーフとして用いられ、

バロック的構成の効果を高めています。

西洋のネオ・バロック様式による芸術作品を、

日本的な工芸美術のエッセンスを

混ぜながら完璧なまでに再現しています。

この建築を造り上げた

建築家・芸術家・職人の技術レベルは、

明治期の後半において

最高レベルに達しています(世界的にみても・・)。


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正直に話すと国宝建造物としての

迎賓館赤坂離宮は

あまり興味がありませんでした。

しかし実際の内部空間に入ると

デザインや素材感やバランスの

美しさに感銘します。

赤坂離宮を構成する全てが職人の手仕事であり、

設計力や職人のセンスによって成立しています。

なるほど国宝建造物にふさわしい建築でした。


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ところで1974年(昭和43年)、

建築当初に復元することを基本に、

建築家・村野藤吾によって改修設計されて

迎賓館に生まれ変わりました。

現在、迎賓館赤坂離宮は一般公開されており、

厳重な警備の中で内部空間を見学できます。

見学は順番に部屋や廊下を歩いていくのですが、

最後の出口に降りる階段が、

唯一、迎賓館赤坂離宮らしくなく、

村野藤吾のデザインになっていると

気がついたのは僕だけでしょうか・・・。

流麗な手すりのデザインは、

村野藤吾そのものでした。

この階段の手すりを触って

階段を降りられたことが、

迎賓館赤坂離宮の見学コースの中で

最大のギフトでした・・・。

写真がないのが残念です。


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追記:

赤坂離宮は外観も左右対称で

平面も左右対称です。

1階は、

東側が皇太子殿下のゾーン

西側が皇太子妃殿下のゾーンです。

両者は機能も広さも同じで

建築的には同格です。

これは皇室建築としてはきわめて異例で、

手本としたフランスの宮殿でも

実現できていないとされています。

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by y-hikage | 2018-05-14 11:11 | 建築巡礼 | Comments(0)

国宝建造物・迎賓館赤坂離宮・その1

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古くからの友人でもあり、

「比良山荘の一年」の著者としても有名な

ライターのさとうあきこさんから

国宝建造物の迎賓館赤坂離宮を

一緒に見学にいきませんか、

と誘われたのが三月のなかごろのこと。

聞けば建築の専門家として

取材に同行してほしいとのこと・・・。

国宝建造物マニアの僕としては

断る理由などなく、

むしろ国宝建造物を見学に行く

いい機会をあたえてくれたと思い、

快晴の金曜日の午後

迎賓館赤坂離宮に

さとうあきこさんと行きました。

迎賓館赤坂離宮を見学するのは2度目。

ただし前回は外観のみの見学。

内部を見学するのははじめてでした。

さとうあきこさんが連載している記事は、

東京新聞日曜版の「平成ぶらり旅」。

429日(日)の掲載誌が

手元にあるので、

せっかくなので読んでみます。

僕のコメントも出ているので・・・。


〇  〇  〇


いよいよ大型連休のスタートです。429日が「天皇誕生日」と覚えた世代も少なくなってきましたが、その昭和天皇のお父様、大正天皇のための住居として、1909(明治42)年に建てられたのが旧東宮御所、現在の迎賓館赤坂離宮です。

明治の建築家、片山東熊が設計の総指揮を執った、日本を代表するネオ・バロック様式の洋風建築で、戦後は国会図書館などに使用されましたが、その後五年以上の歳月をかけ改修、1974(昭和49)年、迎賓施設として生まれ変わりました。

日本における洋風建築の最高傑作と評され、来日した各国要人との会談や歓迎行事、晩餐会など外交の舞台となり、その豪華絢爛な様は、新聞やテレビの報道でも垣間見られました。

そして創建百周年にあたる2009(平成21)年、近代建造物としては初めての国宝に指定され、二年前より通年一般公開(接遇日除く)されています。

「明治期の若い建築家や芸術家が、日本の近代化のために十年余りの歳月をかけ西欧の芸術を学び吸収した結晶。本やインターネットで見ると、凹凸のないテーマパークのような空間に感じるかもしれませんが、実際のデザインや素材感、バランスの美しさには感銘を受けるでしょう」。国宝建造物に詳しい建築家の日影良孝さんはさらに国宝たる価値を支える明治、そして改修時の職人の高い技術力に驚いたと言います。

「例えば『彩鸞の間』の天井と壁に施された金箔の石膏レリーフや、『花鳥の間』の壁面や柱型に見られるシオジという木を使用した装飾は、金箔張り、左官、木工それぞれに高度な技術を要します。

また工芸技術の見事な七宝焼や美術織物など、日本的なエッセンスを加えながら、西洋の意匠を再現している点も見逃せません」

おなじみの正門前庭の裏に広がる主庭は、都心の一等地とは思えない緑と花の美しい西洋庭園。優雅な大噴水池のまわりでくつろぎ、散策も楽しめ迎賓館のオアシスのよう。文化庁の文化財指定等のサイトによると、東京二十三区内にある国宝建造物はここだけ。アクセスの良さからも人気ゆえ、本館と庭園両方の参観は事前予約が確実です。

(ライター さとうあきこ)

東京新聞2018429日・日曜版より抜粋


〇  〇  〇



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さとうあきこさんの著書

「 比良山荘の一年 」

お料理の写真も風景の写真もとても素敵です。

この本を読んでいると

僕も比良山荘に行ってみたくなります。

比良山荘は滋賀県大津市にある

小さな料理宿です。

滋賀県は、

奈良、京都に次いで国宝建造物が多い県です。

比良山荘に泊まりながら

琵琶湖周辺の国宝建造物を

見てまわりたいものです・・・。


京の山里 かくれ宿

比良山荘の一年

奥谷仁 さとうあきこ 共著

集英社刊

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by y-hikage | 2018-05-12 13:29 | 建築巡礼 | Comments(0)

沼津御用邸の東付属邸

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沼津御用邸記念公園に建つ

「 駿河待庵 」を見学した時は

ちょうど国宝建造物の迎賓館赤坂離宮について

調べている時期でした。

現在の迎賓館赤坂離宮(旧東宮御所)は、

大正天皇の住居として

1909年(明治42年)に建築されたものです。

「 駿河待庵 」が建つ

旧沼津御用邸に行くまで

知らなかったのですが、

沼津御用邸は大正天皇の静養ために

1893年(明治26年)に

造営されたものだったのです。

千利休設計の

国宝建造物・茶室「 待庵 」の写しである

「 駿河待庵 」は

「 東付属邸 」という建築に

隣接していますが、

この東付属邸という建築は

1903年(明治36年)に

昭和天皇の学問所として

赤坂離宮の東宮大夫官舎を

移築し造営されたということも

初めて知りました。

と、いう事は

「 東付属邸 」はかつて

赤坂離宮の敷地の中に建っていた

ということになるのでしょうか。

今年の4月は必要にかられて

かなり真剣に

赤坂離宮の建築について

調べていたので

沼津御用邸そして東付属邸について

知ったことは新鮮な驚きでした。

〇 〇〇 〇 〇

沼津御用邸記念公園の入り口に

東付属邸の沿革と称して

説明看板が立っていました。

その説明書きを読んでみます。

〇 〇〇 〇 〇

東付属邸は明治36年(1903)に皇孫殿下(昭和天皇)の御学問所として、赤坂離宮の東宮大夫官舎を移築して造られました。夏季には隣地の学習院遊泳場とともに、ご利用の機会も多かったようです。東付属邸は面積も550㎡と広くありませんが、当時の御殿建築の姿をよくとどめています。昭和44年(1969)に沼津御用邸が廃止されるまで長期間にわたり継続して利用されました。現在は新たに茶室を設け、日本文化を学ぶ研修所として、一般に公開しています。

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石積みの湯沸所

石積みにしたのは、

火災の原因となる内部の火の元が

外部に放出しないためだと考えられます。


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沼津御用邸本邸の正門。

この正門は明治時代、

大正天皇の皇太子時代に

御用勤務の医師を務めた

エルヴィン・ベルツ博士の縁により、

ドイツのゾーリンゲンで

特別に造らせた鋳鉄製の門とのこと。


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東付属邸のすぐ横に

ナンジャモンジャの樹がたっていて

綺麗な花が咲いていました。

ナンジャモンジャの木??・・・

不思議な名前の樹です。


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by y-hikage | 2018-05-11 12:15 | 建築巡礼 | Comments(0)

伊豆韮山の江川家住宅に行きました。

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沼津での大町の家の門の仮組を確認したあとに、

伊豆韮山の江川家住宅に行きました。

江川家は前々から

興味を持っていた建築でした。

・・・・・

かつて建築家・白井晟一は、

江川邸を訪れた印象をこう表現しました。

「 茅山が動いてきたような茫漠たる屋根と大地から生え出た大木の柱群、ことに洪水になだれうつごとき荒荒しい架構との格闘と、これにおおわれた大洞窟にも似る空間 」

と・・・。



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江川家は後北条氏の御家人を務め、

1596年(慶長元年)以降

この地方の代官を務めました。

蘭学を修めた

江川太郎左衛門英龍(18011855)は

韮山反射炉(世界遺産)を築造し

西洋流兵学者として有名です。


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表門から江川家主屋を見ます。

表門は1696年(元禄九年)に建築された

薬医門です。


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江川家主屋は

桁行十三間、梁間十間の大きさで、

入母屋造、茅型銅板葺きで、

入母屋造の玄関が突き出ています。


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入母屋屋根の妻面の格子が見えます。

この格子から土間に自然光が降り注ぎます。


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土間に面する外壁に設けられた

無双風の縦格子の連続。

この格子の連続が

土間に自然光を入れるだけではなく、

土間空間全体を軽快にさせてくれます。

あたかも小屋組みが浮いているかのように・・・。


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入母屋の妻面から自然光が土間に降り注ぎます。


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主屋全体で140坪ぐらいの床面積に対して

四割ぐらい占める53坪の広さがある

土間空間ですが、

思っていたより小さい印象でした。

訪れる前に想像していた江川家の土間は

この倍以上の大きさで

家が土間そのものというイメージでした。


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貫で編まれた壮大な小屋組空間・・・。

・・・・・

この小屋組空間を見上げながら、

ふと疑問に感じたことがありました。

なぜ小屋組を構成する部材寸法が

限界までと思われるほど小さいのか・・・。

特に貫の断面寸法が

繊細すぎるほど薄く小さい。

この小さい貫板を何段何段も組み上げている。

その意匠的な効果は絶大で

重厚感がまったく感じられない。

江川家の設計者は、

余計に手間がかかることを承知で

この軽やかな空間を

構想していたのだと僕は思いました。


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よくよく見てみると、

小屋組を支持する(合掌造りとするための)

扠首(さす)の部材断面も

小さいことがわかります。

そしてあたらためて小屋梁を見てみると、

梁は丸太とせずに通直な平角とし

一間ごとに規則正しく架けています。

こうしてよくよく眺めていると、

この設計者の設計意図が

僕なりにわかってきます。


その設計意図とは


「端正な空間」とすること。


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無双風の縦格子が

土間空間を軽やかに演出しています。


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江川家の平面図

江川家は江戸初期の建築とされています。

もともと左端一列三へやの座敷(居住空間)と

右側の土間を含む台所空間は

別物だったとされています。

この二つのゾーンが一体となったのは

1707年(宝永四年)と考えられています。

宝永四年は、

富士山か噴火した年にあたります(宝永大噴火)。



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by y-hikage | 2018-05-09 12:19 | 建築巡礼 | Comments(0)