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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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カテゴリ:建築巡礼( 197 )

日向別邸と国宝・正福寺との関係

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クリスマスの1224日、

熱海の旧日向別邸を見学してきました。

設計は

ドイツ人建築家ブルーノ・タウトによるものです。

超・技巧的な室内は

なかなか解釈することが困難でしたが、

木工事の精度の高さには驚きました。

説明のガイドさんによると大工は

宮大工である佐々木嘉平(18891983)とのこと。

調べてみると大工・佐々木嘉平は、

東京都東村山市の

国宝建造物「正福寺地蔵堂」の

修復をおこなっていました。

日本全国の国宝建造物を

採集している身としては、

妙に大工・佐々木嘉平に対して

親近感を感じました。

ほかに地元鎌倉の

建長寺仏殿と唐門の復元も

おこなっていたことも知り、

さらに親しみを感じました。

2018年のクリスマスプレゼントを

もらったような気持ちとなりました。



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国宝建造物・正福寺地蔵堂


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建長寺仏殿


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建長寺唐門


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by y-hikage | 2018-12-28 12:11 | 建築巡礼 | Comments(0)

大磯の大隈重信邸と陸奥宗光邸

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明治150年を記念して、

政府が大磯町の

旧大隈重信邸、

旧陸奥宗光邸、

旧伊藤博文邸を含む緑地を

「明治記念大磯庭園」として

整備するのを前に、

建物を含む整備対象区域を

昨日の1224日まで

特別公開されました。

建物内部を見学するには

事前予約が必要で、

この特別公開を予約しようと思いついた

11月中旬の時点で予約がいっぱいで、

最終日の昨日、

外観のみを見学してきました。


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旧大隈重信邸についての説明文から・・・。


明治維新の跡、築地の大隈邸には伊藤博文ら多くの元志士が集い論議を交わしていました。

百ワットと称された大隈の明るく、力強い性格は、当時の日本を初めて照らしたアーク灯のように派閥や藩閥を超えて多くの人々を引きつけました。

大隈重信が大磯に別荘を構えたのは明治30年(1897)のことでした。

大隈は大磯でもたびたび宴会を開きました。

16畳の富士の間と隣の10畳をつないだ大宴会だったようです。

中庭を挟んだ東の棟は神代の間と呼ばれ、大隈の書斎として使われていました。

神代の間に使われている神代杉は、杉が腐らず半化石化した貴重なものです。

大隈別邸は、明治34年(1901)に大隈の手を離れ、古河家が購入して現在まで引き継がれてきました。

現在の建物は北側が増築されていますが、富士の間や神代の間がある南側は、おおむね創建当時のまま保存されています。

屋根は関東大震災の後に改築され軽量化されているようです。


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旧大隈重信邸の平面図


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旧陸奥宗光邸についての説明文から・・・。


第二次伊藤内閣のもと、外務大臣として日本の外交を支えた陸奥宗光でしたが激務から持病の結核が再発し、明治27年(1894)に構えた大磯の別荘で療養生活を送りました。

明治27年(1894)からここで執筆した「蹇蹇録(けんけんろく)」は、日清戦争の開始から日清講和条約批准までの外交の過程を叙述した回想録で、陸奥の思想をよく伝えています。

外務省の機密文書を引用しているため長く非公開されていましたが、昭和4年(1894)に初めて公刊されました。

政界を引退した陸奥は大磯やハワイで療養生活を送りましたが、明治30年(1897)に他界しました。

伊藤博文が大磯の滄浪閣に本籍を移した年のことでした。

明治30年、古河家が陸奥の死に伴い建物を取得。

大正13年(1924)、関東大震災で大破したため改築し、大破前の建物は足尾銅山の柏木平に移設されました。

平成30年(20188月まで古川電気工業㈱の迎賓館と使用されてきました。



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旧陸奥宗光邸の平面図



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by y-hikage | 2018-12-25 11:23 | 建築巡礼 | Comments(0)

今年二度目の大磯詣で

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今日は、

朝早くに熱海に出かけて

ブルーノ・タウトが設計した

旧・日向別邸を見学し、

かねてから見学したいと思っていた

熱海にある吉田五十八設計の

杵屋彦左衛門別邸と

旧岩波別邸の場所を探しあて、

杵屋彦左衛門別邸の外観と

旧岩波別邸の門を見たあと、

大磯に移動し、

旧陸奥宗光別邸と

旧大隈重信別邸を見学し、

ふと俳人・西行の名前が

目にとまって入った

鴨立庵を見学して

製図室にもどりました。

今日の最大の収穫は

吉田五十八設計の

杵屋彦左衛門別邸と

旧岩波別邸の場所を探しあてたこと・・・。

急な坂道を

あがったりさがったりした

甲斐がありました。

けっこうきつかった建築巡礼でしたが、

最後に見学した

大磯・鴨立庵の

カエルに癒されました。


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鴨立庵のカエルのバッチを買いました。


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鴫立庵(しぎたつあん)は、

京都の落柿舎(らくししゃ)、

滋賀の無名庵(むみょうあん)と並び、

日本の三代俳諧道場とされています。

鴫立庵の名称は、

平安末期の歌人・西行法師が

大磯あたりの海岸を

吟遊して詠んだといわれる歌、


「 心なき身にもあわれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ 」


の中の

「鴫立沢」からによるものとされています。

江戸時代初期の1664年に

小田原の崇雪(そうせつ)という人物が、

西行のこの歌にちなみ、

昔の沢らしい面影を残す景色の良いこの場所に

鴫立沢の標石を建てたそうです。

そして石仏の五智如来像

(釈迦・阿弥陀・大日・阿閦・宝生)を

この地に運び

草庵を結んだのが始まりとされています。

その後、紀行家と知られ、

俳諧師としても有名であった

大淀三千風(おおよどみちかぜ)が

元禄8年(1695)鴫立庵の

第一世として入庵しました。

大淀三千風は、

こよろぎの浜を前景に、

鴫立沢をやり水に、

天然の景を巧みに利用して、

小高い丘の上に庭園を作りあげました。

そして磯馴れ松を風よけに応用して、

その松の陰に

「円位堂」

「法虎堂」

「鴫立庵」

の三棟を建築しました。

庵は風当たりの強い海浜に造られていながら、

三百年の間かつて風浪の害を

受けたことがないといわれています。


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円位堂・・・。


大淀三千風(おおよどみちかぜ)が建てた

元禄そのままの建物で、

堂内には等身大の

西行法師の座像が安置されています。


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等身大の西行法師の座像


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石仏の五智如来像

(釈迦・阿弥陀・大日・阿閦・宝生)


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鴫立庵室・・・。

低所にある建物が

大淀三千風が建てたもので、

その後何度か改修されています。


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蛙鳴蝉噪の蛙(あめいせんそうのかえる)。

鴫立庵第15代庵主の

原昔人(はらせきじん・大正15年入庵)は、

俳人であると同時に鋳金家でもありました。

蛙鳴蝉噪の蛙のオブジェは、

当時親交が深かった

俳人・正岡子規に贈った高さ7㎝の置物です。

庭先に置かれているのは、

小さな置物を高さ1mに拡大復元したものです。



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蛙鳴蝉噪の蛙のオブジェ


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鴫立庵の門


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紅葉が映える鴫立沢の流れ




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by y-hikage | 2018-12-24 17:32 | 建築巡礼 | Comments(0)

大磯の国宝・如庵の写し

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12月のはじめ、

旧吉田茂邸を見学するために、

大磯城公園の中を

探し歩きましたが吉田茂邸は

見つかりませんでした。

しばらく歩いてから、大磯城公園は

国道を挟んで

北のゾーンと

南のゾーンに

分かれていることを思い出しました。

歩いていた公園は北のゾーン・・・。

旧吉田茂邸は南のゾーンにあったのでした。


ああ無駄なことをしてしまったと・・・、


心の中でひとりごとをつぶやきながら

歩いていたら、

茶室「城山庵」と書かれた

目印板を見つけました。

特に期待もせずに

茶室「城山庵」に入ってみたら、

国宝建造物の

茶室・如庵の写しだったことを

知り驚きました。


普通、茶室は内部に入ることはできません。

せいぜい窓から内部を眺めるだけ・・・。

ところが国宝建造物・如庵の写しである

茶室「城山庵」は内部に入ることが可能でした。

そうここは、

好きなだけ座っていられるという

特別な場所だったのです。

しかも国宝建造物・如庵の中に・・・。

とてもいい建築を見つけました。

空間体験をしながらスケール感を勉強できる

「 教室 」を見つけました。


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思えば、茶室「如庵」は

3回移築されていました。


茶室「 如庵 」は、

織田有楽斎によって元和4年(1618)に

京都・建仁寺塔頭正伝院の中に

書院に付属する数寄屋として創建されました。

その後、明治41年(1908)に

三井家麻布本邸に移築され、

次に昭和13年(1938)に

三井家大磯別邸城山山荘に移築されました。

その後、昭和45年(1970)に

名古屋鉄道の所有にとなり、

昭和47年(1972)に犬山城下の

現在地・有楽苑に移築されて

現在にいたります。


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国宝建造物「如庵」の写しである

茶室「城山庵」の外観。


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床の間

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手前座を躙口から見る。


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躙口


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風炉先の中柱と火灯型にくりぬいた板。


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渡り廊下も原型を模しているように思います。


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書院の廊下


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書院も原型である正伝院を

完全ではありませんが写しています。


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床の間も正伝院・書院を模しています。


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茶室「如庵」の立面図


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如庵の正面外観。

西端約1.5mがくぼんで土間庇になり、

躙口はこの土間庇の中に設けられています。

屋根は入母屋造、杮葺、

妻壁に「如庵」の扁額がかかっています。


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昔、見学に行ったときの紅葉が見事でした。


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土間庇の半屋外空間


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内部は、

二畳半の客座の北東に台目の手前座、

北に床を配した、二畳半台目下座床の構え。

床柱と中柱の間を広くするために、

床を畳より小さい台目床とし、

手前座との間に三角形の地板を入れています。


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手前座は出隅に炉を切る本勝手向炉とし、

風炉先には杉丸太の中柱を立て、

杉の一枚板をはめこんで

客座との結界としながらも

炉寄りを火灯形にくりぬいて、

南面下地窓からの採光を

手前座まで導いています。


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化粧屋根に突上窓が設けられた掛込天井。



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正伝院・書院


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正伝院・書院の床の間



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如庵がある有楽苑の全体配置図


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如庵と正伝院・書院。

渡り廊下でつながっています。


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如庵の平面図


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如庵の矩計図

・・・・・・

大磯の地は、

北鎌倉にある日影アトリエから

それほど遠くありません。

またじっくりと見に行こうと思っています。

図面をもって・・・・。



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by y-hikage | 2018-12-18 12:14 | 建築巡礼 | Comments(0)

大磯の棟木のない門

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12月のはじめ、

大磯に建つ

吉田五十八設計・旧吉田茂邸を

見学するために、

大磯城山公園の東門をくぐりました。

この東門をくぐった時、

あることに気がつきました。

門の屋根を支える棟木がなかったのです。


棟木がない門の形式は、

自分の眼でみた事例のなかでは、

ひとつしか知りません。

世田谷区成城に建つ、

吉田五十八設計の猪股邸です。


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大磯城山公園の東門・表側外観


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大磯城山公園の東門・裏側外観


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大磯城山公園の東門・軒裏まわり


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棟木がない屋根


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成城に建つ猪股邸の門


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猪股邸の門の軒裏まわり


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棟木がない猪股邸の門


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猪股邸の門の断面図


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by y-hikage | 2018-12-17 12:20 | 建築巡礼 | Comments(0)

大磯の吉田茂邸

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12月のはじめ、

大磯に建つ旧吉田茂邸の見学に行きました。

旧吉田茂邸は、

吉田茂元首相(18781967)の住宅でした。

吉田茂の死後、

邸宅は20093月、

原因不明の出火によって焼失しました。

大磯町は吉田茂邸の再建のために

「大磯町旧吉田茂邸再建基金」を設け、

全国から2億9千万円の寄付が募り、

総工費4億4千万円をかけて

再建工事を完成させました。

工事完成後、

平成294月から一般公開されました。



吉田茂邸は、

15年前か20年前か

忘れてしまいましたが見学に行きました。

その時の印象はずいぶん豪華な住宅だなあ・・・

と思ったぐらいで

曖昧な記憶ぐらいしか

残っていませんでした。


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吉田茂邸は、

明治171884)年、

養父で横浜の豪商だった吉田健三が

建てた別荘をもとに、

吉田茂が8回ぐらいの

増改築を行った住宅です。

昭和191944)年頃から

大磯の住宅を本邸と定め、

昭和20年代に

建築家・木村得三郎(18901958)の

設計によって応接間棟

1階の応接間・2階の書斎・玄関・食堂)

を建築しました。

さらに1961年、

日本の数寄屋建築の大家である

吉田五十八(18941974)によって、

新館と呼ばれる中2階および2階、

あわせて玄関と食堂が改築され

吉田茂邸の

外観の主要部分が形成されました。

最初の建築家である木村得三郎は

東京美術学校(現・東京藝術大学)の

出身(1914年卒)で

大阪松竹座や高岡市立博物館などを

設計しました。

吉田五十八も同じ

東京美術学校の出身(1923年卒)で

ほぼ同時代の建築家です。


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僕はてっきり吉田茂邸は、

全て吉田五十八の設計だと

思いこんでいました。

ところが今回見学してみて、

吉田五十八的ではない部分を感じ、

違和感が残り成り立ちを調べました。

吉田茂邸は

吉田五十八の増改築設計であることを知り、

違和感に対して納得ができたのですが、

白木のしかも総ヒノキ造りの新築の状態にも

違和感を感じました。

今まで見た吉田五十八の作品は、

時間の経年変化による

杉の侘びた表情というのが

「空間の決まり文句」で、

新築の吉田五十八を理解することが困難でした。

それは建築当初、

彩色がほどこされていた

法隆寺を理解できないことと

同じことかもしれません。



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旧吉田茂邸の復元設計は

文化財工学研究所がおこない、

施工は松井建設がおこなっています。

焼失前の建築に詳しくないことと、

原設計の図面も見ていないので、

よくわからないのですが完成度が高く、

よくもここまで復元したなあ・・・

という印象でした。


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下地窓の格子を

アルミのパイプとする

吉田五十八のお家芸。


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繊細な小間返しの格子。


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玄関引戸の戸当たりの詳細。


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玄関ホール

豪華の照明のデザイン


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横繁のみの障子とアールデコ風の照明。

天井の材料の使い方が上手・・・。


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はっかけの窓枠




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中庭と竹・・・。

まさに吉田五十八的。


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中庭に面するアルミパイプのスダレ。


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豪華な食堂の照明



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食堂の引き込みガラス戸


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引き込みガラス戸の敷居の納まりが独特



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豪華な応接間の暖炉


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応接間の階段の親柱が箱根的。


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2階の和室(書斎)の欄間がポリカーボネート


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浴室の浴槽が舟のかたちをしていました。


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15年前か20年前に行ったときの写真。


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兜門(かぶともん)とよばれる内門。


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軒先に曲線状の切り欠きがあり、

兜のかたちに似ていることから

「兜門」と呼ばれています。


ところで吉田五十八が設計した

住宅及び画室系で

現存しているものを知るかぎりを並べてると、


鏑木清方画室・再建(鎌倉市)

小林古径画室(新潟県上越市に移築)

杵屋六左衛門別邸(熱海市)

岩波茂雄別邸(熱海市9

吉田五十八自邸(二宮町)

梅原龍三郎画室(清春芸術村に移築)

山口蓬春画室(葉山町)

梅原龍三郎邸(新宿区)

吉田茂邸(大磯町復元)

吉屋信子邸(鎌倉市)

北村邸(京都)

猪股邸(世田谷区)

岸信介邸(御殿場市)

秩父宮邸(港区)



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岸信介邸(修復前に見学)


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猪股邸


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吉屋信子邸外観


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吉屋信子邸内観

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玉堂美術館


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山口蓬春画室外観


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山口蓬春画室内観


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北村邸・・・。


北村邸は吉田五十八の住宅作品の中で

最高傑作であると僕は考えています。



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by y-hikage | 2018-12-15 12:32 | 建築巡礼 | Comments(0)

吉田茂邸までの建築

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12月のはじめ、

大磯の吉田茂邸を見学するために

大磯駅からなんとなく歩いていたら

名もなく何気ない建築をみつけました。

名もなく何気ない建築が

旧東海道のまちなみに色を添えていました。


大磯町役場

名もないモダニズム建築

設計者がわかりません。


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出桁造りの民家が

カレー屋さんになっていました。

入ってみたかったのですが、

あきらめて吉田茂邸に向かいました。


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波板屋根が重層しています。

右側に洋館らしき開口部がありました。


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モルタル塗りの土蔵

観音扉が非対称に位置にあり、

そのアンバランスに親しみを感じました。


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波板屋根の軒先の水平線が美しく、

大磯の

ミース・ファン・デル・ローエ

もしくは清家清で

はないかと思いました。


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錆びた瓦風の屋根

大磯の潮風の香りがしました。


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瓦と波板屋根の組み合わせ

大磯の波板はなぜか赤が多いです。


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普通の昔の家ですが、

今となっては貴重な建築です。


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水平の横桟のガラス窓

何気なくすぐれた意匠


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すりガラスと透明ガラスの組み合わせ

戸袋の押縁下見板の板幅が狭く綺麗です。


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出桁を支える力板を発見


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松並木の松の皮


吉田茂邸にむかう左側の歩道を歩きました。

次回は右側の歩道を歩いてみようと思います。


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by y-hikage | 2018-12-12 11:04 | 建築巡礼 | Comments(0)

渡邉家住宅を見学しました。

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10月の終わり、

山形県鶴岡市の

国宝建造物・羽黒山五重塔に向かう途中、

新潟県関川村に建つ

重要文化財・渡邉家住宅を見学しました。

渡邉家は、

新潟から米沢に至る米沢街道に建っています。

あまり期待せずに訪ねたせいか、

渡邉家の屋根の美しさに圧倒されました。

米沢街道沿いに水平に伸びる軒先は、

35mにも達し、

その凛とした立ち姿は、

モダニズム建築のようでもありました。

全体の屋根の構成は

空から見るとT字型をしており、

撞木造り(しゅもくづくり)と

呼ばれる形式です。

この形式の町家は

新潟以北の日本海沿いの地域に多いようです。

街道に面する1階の屋根は瓦葺とし、

2階は杮葺に石を置く石置き屋根としています。

その石の数は1万5千個ともいわれ、、

石置き屋根としては

日本で最も規模が大きいとされています。


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間取りは、

片側を通りにわという土間が南北に突き抜け、

土間に面して2列に部屋が並んでいます。


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大座敷正面。

小壁をつけた高い天井は格式を保ち、

武家式の書院造としています。


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江戸中期、京都の庭師によって

造園された池泉回遊式庭園。


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渡邉家主屋は天明6年に焼失し、

翌年の天明8年(1788)に

再建されたと伝えられています。


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重要文化財・渡邉家に隣接して建つ佐藤家。

1765年建築の重要文化財です。

やはり屋根のかたちは撞木造りとし、

個性的な茅葺屋根です。


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佐藤家のとなりの津野家。

1789年の建築です。


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関川村は、

もっとゆっくりと

時間をかけて

歩きたいまちだと思いました。

遠めに見えた魅力的な家も

少なくありませんでした。


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しかしながら


想像以上に渡邉家は美しい建築でした。


渡邉家住宅の玄関先に飾られていた

小さなかぼちゃ?


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by y-hikage | 2018-12-04 12:22 | 建築巡礼 | Comments(0)

新発田カトリック教会

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10月の終わりに山形に行きました。

目的は、鶴岡市に建つ

国宝建造物・羽黒山五重塔を

見学するため・・・。


上越新幹線に乗り新潟経由で

鶴岡駅に向かいました。

せっかく新潟を経由するので、

他の建築も見学しようと考え、

2回途中下車しました。

1回目は、新発田市に建つ

アントニン・レーモンド設計の

新発田カトリック教会。

2回目は、関川村に建つ

重要文化財・渡辺家住宅。


写真は、新発田カトリック教会。

この「不思議なかたち」を

実際この眼で見てみたかったのです。

構造は、煉瓦積みの組積造に、

杉丸太の小屋組がのせられ

ダイナミックな空間を生み出しています。

ガラスに張られた

和紙のパターンも独特です。

(この和紙の図案の意味を知りたいです)



新発田カトリック教会・・・。

「デザインの意味」を考えさせられる建築でした。



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by y-hikage | 2018-11-30 12:50 | 建築巡礼 | Comments(0)

津金学校の和紙天井

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桜設計集団の八ヶ岳・秘密基地での2日間の中で

訪ねた津金学校(つがねがっこう)は、

明治8年(1875年)の創建です。

この津金学校の見学で新しい発見がありました。

2階の天井が和紙張りだったのです。

天井に和紙を張ることは

珍しいことではありませんが、

天井の下地である野縁に

直接張ってある事例は

見たことがありません。

2階の天井裏をのぞいて気がつきました。

2階の天井裏から見える和紙張りの天井は、

まるで明かり障子のように綺麗でした。


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明かり障子のような和紙天井。

奥に見える菱格子は

ベランダの天井の光。

江戸時代の末から

明治時代の初期にかけての

山梨県内の家屋には、

紙の天井が多く見られたとのこと。

当時の農家は、田の畔(あぜ)に

紙の原料となるコウゾを栽培して

自家製の紙を漉いていた家が

多かったようです。


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2階を見学していたときは

天井が和紙張りであることに

気がつきませんでした。


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よくよく天井を見ると

和紙の下地である天井の野縁が

透けて見えます。


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ベランダ


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ベランダの菱格子の天井


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立面図


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外観


太鼓籠(チャペルを模した方形の塔)が

特徴的です。



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太鼓籠から見える風景。

校庭の桜が素晴らしいとのことです。




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by y-hikage | 2018-11-28 16:11 | 建築巡礼 | Comments(0)