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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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カテゴリ:建築巡礼( 219 )

会津若松の茶室「麟閣」を見学できました。

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5月さいごの週末、


会津若松市に行きました。

市内に計画する住宅の

建主さんご家族にお会いして、

設計のイメージを

ふくらませるのが目的でした。

明るく楽しいご家族に囲まれ、

手料理による郷土料理と

日本酒をたくさんいただきました。

手料理も日本酒も

ほんとうに美味しくて感動しました。

市内の史跡や建物もご案内いただき、

会津若松のことを部分的ですが

知ることもできました。

その中でも

鶴ヶ城の中に建つ茶室「麟閣」を

見学できたのは貴重な経験となりました。



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麟閣の正門


「麟閣」は、

千利休の子である千小庵が

建てた茶室とされています。

千小庵の母・宋恩が利休の後妻に入ったため、

千小庵は千利休の養子になり、

利休の娘であるお亀を妻とし、

二人の間に三代目である宗旦が生まれます。

それらの経緯をしめす説明文が

入館パンフレットに

書かれていたので読んでみます。


        ※


戦国時代から安土桃山時代にかけての武将である蒲生氏郷(がもううじさと・15561595)は、近江日野城主、伊勢松坂城主、最後に陸奥黒川城主をつとめました。

黒川城は会津若松の城である鶴ヶ城の旧称です。

蒲生氏郷は織田信長の娘婿で、この時代を代表する文化人でした。

特に茶道に親しみ、のちの利休七哲の筆頭にあげられるほどでした。

1591年の2月千利休が秀吉の怒りに触れて死を命じられた折、蒲生氏郷は利休の茶道が途絶えるのを惜しんで、その子、千少庵(せんのしょうあん・15461614)を会津にかくまい、徳川家康とともに千家再興を秀吉に働きかけました。

その結果、1594年と推定される「小庵召出状」が出されました。

千少庵は京都に帰って千家を再興し、千家は一子、宗旦(そうたん・15781658)に引き継がれました。

そののち、宗佐、宗室、宗守の三人の孫によって表、裏、武者小路の三千家が興され、茶道隆盛の基が築かれました。

千少庵が会津にかくまわれている間、蒲生氏郷のためにつくったと伝われているのが茶室「麟閣」であり、以来、鶴ヶ城内で大切に使用されてきました。

しかし、戊辰戦争(明治元年~明治2年)で会津藩が敗れ、鶴ヶ城が取り壊される際、石州流会津怡渓派の森川善兵衛は貴重な茶室が失われるのを惜しみ、明治5年に自宅へ移築しました。

平成2年、市制90年を記念して、蒲生氏郷と千少庵ゆかりの茶室を後世へ伝えるため、鶴ヶ城内の元の場所に移築し蘇らせました。


        ※


三千家の発祥の地であるというには

大げさかもしれませんが、

少なからず会津若松が

千家の茶の湯と深い関りがあることを知り、

ちょっと驚きました。



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撞木(しゅもく)造り形式の茅葺屋根。

南面の破風を正面とし、

捨柱を立てた土間庇の中に躙口を設けています。



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相伴席(しょうばんせき)付三畳台目の茶室と

水屋および六畳の鎖の間で構成されています。

茶室は三畳の客座をはさんで

点前座と相伴席を対置させた

古田織部好みの燕庵(えんあん)形式。

燕庵との違いは点前座の台目畳を

1尺六寸程度前に出し、

茶道口を点前座の床寄りにあけ、

襖を左の水屋側に引く点、

台目下座床の床脇に入隅の壁ができる点、

床に向き合う下座の壁面、

茅葺の妻部分の壁面が

燕庵では下地窓のところが連子窓になる点、

天井の棹が床指しになる点などがあげられます。

点前座を前に出したのは、

水屋の空間として

最低限の広さを確保するためで、

鎖の間の水屋としても余裕をもたせています。


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茶室「麟閣」の点前座。

手斧目をつけた中柱が立ち、

袖壁に横木を入れ、

雲雀棚(ひばりだな)を横木で納めています。

客座二畳と点前座の天井は

蒲天井を一面に張り、

竹二本押えとしています。

躙口側は駆込天井としています。


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茶室「麟閣」の床の間と相伴の席。

床柱は千少庵みずから

削ったと伝えられています。

床前蒲天井は点前座と一体となり、

床指しの竿縁天井としています。

床脇に入隅の壁を回しています。

床の間左の相伴席は駆込天井とし

客座とは襖で仕切り

板欄間がついています。


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相伴席より見た点前座


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六畳の鎖の間


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相伴席より三畳台目席を見ます。


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躙口から客座を通して点前座を見ます。


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茶室の北側外観


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茶室の北側外観


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寄付


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腰掛待合


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参考までに燕庵の間取図を記事に加えました。


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燕庵の外観


「燕庵」は京都市薮内家の代表的茶室で、

古田織部好みとされています。

会津若松の「麟閣」と似ています。


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燕庵の客座と点前座。

会津若松の「麟閣」と似ています。


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燕庵の床の間と相伴席。

会津若松の「麟閣」と似ています。


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鶴ヶ城のお堀と石垣。

石垣の向こうに廊下橋が見えます。


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鶴ヶ城の美しい天守閣

鶴ヶ城は

蒲生氏郷家の舞鶴の家紋にちなんで

鶴ヶ城と名付けられたそうです。

会津若松の若松は、

蒲生氏郷の出身地である

近江日野城に近い蒲生氏の氏神様である

馬見岡綿向神社の参道周辺にあった

「若松の森」に由来するとされています。




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by y-hikage | 2019-06-11 17:27 | 建築巡礼 | Comments(0)

床の間の新しい解釈

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517日のこと・・・。

住宅技術評論家・南雄三さんが主宰する

BB研究会に参加させていただきました。

この日の研究テーマは

「先人の知恵 今人の工夫」

(せんじんのちえ こんじんのくふう)


スライドを見ながら

空間デザイナーの小関理恵さんと

南雄三さんの対談形式で

講演が進められました。

小関理恵さんが作った

およそ80枚のスライドの中で、

心の中に引っかかった

1枚に出会いました。

その1枚には

床の間の新しい解釈が書かれていました。


  ※


床の間は

掛け軸や草花などで季節をしつらえ、

客人をおもてなしする場である。

床の間そのものが

小宇宙(自然そのもの)を表しており、

床の間の床(地板)は地を表し

ここに花を立てる。

床の間の天井は天を表し、

壁に掛けられた掛け軸は

天から降りてくる神の言葉だと。

そして床柱は

天と地を繋ぐものであると・・・。





学生時代から40年近い間、

建築の勉強を続けてきて、

その勉強はどちらかというと

日本建築寄りだったのですが、

上記で示す床の間の解釈は、

まったく耳にしたこともなく、

想像したこともない、

新しい解釈のように聞こえました。

この新しい解釈は

どことなく理にかなっていて、

床の間が新しい景色に見えてきました。

ちょうどお茶を習い始めたこともあり、

余計に心にストンと

落ちたのかもしれません・・・。


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by y-hikage | 2019-06-10 12:52 | 建築巡礼 | Comments(0)

五島美術館の建築

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324日に参加させていただいた茶会は、

世田谷区上野毛にある

五島美術館の庭園内の

茶室でおこなわれました。

五島美術館は、

武蔵野の雑木林の台地が

多摩川に向かって深く傾斜する

国分寺崖線上に位置しています。

美術館の設計は

芸術院会員・吉田五十八(18941974)。

竣工は1960年です。

パンフレットには

『コレクションの中で、最も有名な

国宝「源氏物語絵巻」「紫式部日記絵巻」に

ふさわしい寝殿造の意匠を

随所に採り入れています』

と書かれていますが、

1958年に完成した吉田五十八設計の

日本芸術院会館に通じる意匠になっています。

例えば軒の出が深い水平線の軒先

丸柱

穴あきブロックなど・・・。

ところで

今まで何度となく見学してきた

五島美術館ですが、

別館講堂の存在に気がつきませんでした。

この講堂の

ガラスのカーテンウォールは

とても美しく繊細で、

どことなく武骨な美術館本館とは対照的でした。


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五島美術館本館入り口正面


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美術館本館中庭


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美術館本館中庭


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美術館本館丸柱


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庭園に入る中門から見る美術館本館


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美術館本館の内部空間

穴あきブロックと丸柱


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別館講堂入り口正面


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別館講堂入り口


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別館講堂のガラスのカーテンウォール


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別館講堂に付属する瓦葺の平屋

吉田五十八の設計と思われます・・・。


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中門


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道路に面して建つ「不老門」


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不老門


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上野公園に建つ「日本芸術院会館」


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日本芸術院会館正面


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日本芸術院会館はロの字型の平面で、

中庭が特徴的です。

写真を紛失してしまい

紹介できないのが残念ですが、

五島美術館の丸柱の存在感と

とてもよく似ています。
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by y-hikage | 2019-05-05 15:24 | 建築巡礼 | Comments(0)

五島美術館でのお茶会に参加させていただきました。

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324日、

建築ともだちの風祭千春さんから

五島美術館の茶室でおこなわれる

お茶会に誘っていただきました。

正式なお茶会に参加するのは初めてでした。

お茶は未経験なので、

ずっと風祭さんの隣に座り、

言われたとおりにしていました。

お昼前に五島美術館に入館し、

最初に点心会場である

講堂でお弁当をいただきました。

次に広間である「古経楼」で

薄茶をいただき、

その次に小間である「松寿庵」で

濃茶をいただき、

最後に立礼席である「富士見亭」で

薄茶をいただきました。

五島美術館の茶室は、

外観を見ることができても

内部空間を見ることはなかなかできません。

ましてや茶会のためにしつらえた

室の空間を体験できることなど・・・、

さまざまな意味で勉強になりました。


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広間「古経楼」の床の間


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「古経楼」の天井の意匠


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「古経楼」の腰付引分け猫間障子


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「古経楼」広縁の書院


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「古経楼」広縁の天井


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「古経楼」広縁の欄間

五島美術館は、

建築家・吉田五十八の設計によって

1960年に完成しています。

よって庭園および茶室も

1960年かそれ以降に

造営されていると思われます。

茶室としては比較的新しく、

茶室の意匠も斬新かつ遊び心が

感じられる部分もありました。


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「古経楼」広縁の戸袋の意匠


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小間「松寿庵」の床の間


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「松寿庵」の天井の意匠


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「松寿庵」の躙口


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立礼席「富士見亭」の入り口


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「富士見亭」の西側外観


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「富士見亭」の室内


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「富士見亭」は、

富士山の方向に大きく開いています。

障子やガラス戸が戸袋に全て引き込まれ、

室内が外部を一体となり、

あたかも風景が

額縁に切り取られたかのように見えます。

まさに1960年ごろのモダニズム建築を

数寄屋で表現しているかのようでした。


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追記:

後日、いっしょに参加した

kata.建築工房の片岡悦子さんと

お茶会に誘ってくれた

風祭建築設計の風祭千春さんから

写真を送られてきました。


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kata.建築工房の片岡悦子さんの写真


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kata.建築工房の片岡悦子さんの写真


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風祭建築設計の風祭千春さんの写真


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風祭建築設計の風祭千春さんの写真

いっしょに参加した

ゆくり設計室の松山千晶さんと

僕が写っています。




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by y-hikage | 2019-05-02 10:29 | 建築巡礼 | Comments(0)

村野藤吾の八ヶ岳美術館

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昨年の秋、

八ヶ岳美術館に行くことができました。

八ヶ岳美術館は村野藤吾の設計です。

設計の時期は

19788月から11月までの

たった3か月だったといわれています。

村野藤吾が88歳の時で、

1984年に97歳に亡くなる5年ほど前の設計です。

工期は19793月から12月まで。

八ヶ岳という寒冷地特有の気候条件を踏まえ、

現場での作業を極力減らすために、

特徴的な丸いドーム屋根は、

すべて東京の工場で作られた

プレキャスト・コンクリートの

ピースで構成され、

現地で床と壁と梁までを

鉄筋コンクリートで作り、

この上にドームを載せることによって、

現場の工期を最小限に抑えています。

一方で手作り感を出すために、

外壁のセメントブロックは、

現場で調合されて製作されたそうです。


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当時ではまだ珍しかった村立美術館の設立は、

地元の原村出身の

彫刻家・清水多嘉示(18971981)が

自らの作品を村へ寄贈したことが

きっかけでした。

清水から寄贈を受けた原村では、

村の各所から発掘された

縄文時代の考古学資料の展示も

併せて計画し、

1980年に

「原村立八ヶ岳美術館・原村歴史民俗資料館」

として開館しました。


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村野藤吾が描いたスケッチ。

カラマツの美しい林を損なわないように、

樹木のないところを敷地図のなかで探し、

建物が自然の中で異質な形で

存在しないように

考えられたかたちだとされています。


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建物のかたちから推測すると、

内部空間は

小さく分節されているように思いますが、

視線が奥まで伸びる

連続空間であることにおどろきます。

動線は単純明快で、

強い軸線にそって半円のアルコーブが寄り添い

体内の中にいるような展示空間を生み出しています。

その体内感覚を、

天井に吊るされたレースカーテンと

天井内に仕込まれた間接照明により

包み込まれるような華やかさとしています。


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建築をひとつのかたまりとするのではなく、

小さな半円のドームの集合体とすることで、

カラマツ林に溶けこむ

森の中のコテージのように

村野藤吾は考えたのではないかと、

美術館のまわりを散策しながら

感じました。

室内を歩いているとき、

開口部から見える紅葉や差し込む光が

とても印象的だったように思いました。



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by y-hikage | 2019-04-28 09:08 | 建築巡礼 | Comments(0)

村野藤吾の日本橋高島屋

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東京での打合せがあり、

せっかく東京に来たので

日本橋高島屋で開催されている

「日本橋高島屋と村野藤吾」展を

見に行きました。

日本橋高島屋は、

建築家・高橋貞二郎が描いた図面と、

戦争により中断された

アンビルドの増築図面(1936年頃)をもとに、

戦後、村野藤吾が

高橋貞二郎に敬意を払いながら

4度にわたる増築設計(19521965)を

おこない現在の姿になったものです。

増築部にガラスブロックを多用するなど

古典的な意匠に

モダンなデザインを融合させています。

展示室はとても小さく

かわいらしい空間でした。

建築史家の松隈洋による

ビデオ解説がわかりやすく

ビデオ映像に釘付けになりました。

展示を見たあと時間がゆるす限り、

重要文化財・日本橋高島屋S.C.本館内を

見学しました。

村野藤吾の造形美がいたるところに

ちりばめられていました。

特に階段の手すりの意匠は、

現在設計中の練馬の家の

階段の設計に参考になりました。

手すりの実測ができなかったので、

また近くまで行ったら

訪ねてみようと思います。


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by y-hikage | 2019-04-27 11:15 | 建築巡礼 | Comments(0)

鎌倉文華館を見学してきました。

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今日の午前に、

神奈川県立近代美術館鎌倉館が

「 鎌倉文華館・鶴岡ミュージアム 」に

生まれ変わった姿を見学してきました。

30年ぐらいなれしたしんできた、

神奈川県立近代美術館が改修され、

すっきりとあたらしくなった姿を見て、

「 前とちがう 」と

身体が違和感を示し

がっくりと

涙がでそうになりました。

室内は

新しいペンキのにおいが充満していました。

「 時間はもどらない 」と心は叫びました。

でも、

はたと考えを切り替えました。

「 建築は残った 」のだと・・・!

この建築を

残してくれたことに感謝しようと・・・。

またこのさき

30年後には味がでて

さらなる名建築になっているだろうと

予感した小春日和の午前でした・・・。


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鎌倉文華館の池のまわりに

シャガの花が群生していました。



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by y-hikage | 2019-04-21 12:26 | 建築巡礼 | Comments(0)

盛岡のまちを歩きました。


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3月のお彼岸に

岩手県の実家・軽米町に帰省しました。

帰省の途中、

盛岡で途中下車し盛岡のまちを散策しました。

盛岡のまちには

古く個性的な建物が

たくさん保存されています。

時間のゆるす限り古い建物を見学しました。


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菊の司酒造


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名もないタクシー会社


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旧井弥商店



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格子を支持する駒の納まり・・・。

新しい発見


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岩手県公会堂


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ござ九・森九商店の外観


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ござ九・森九商店の中庭


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ござ九・森九商店の瓦敷きの意匠


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旧盛岡銀行


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盛岡信用金庫


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盛岡消防団・第五分団


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南部鉄器のお店

南部鉄器は日本の工芸品の中でも

特に好きな工芸です。

いつか建築の部材に

取り入れたいと考えています。


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盛岡のまちで宮沢賢治をみつけました。


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by y-hikage | 2019-04-15 12:49 | 建築巡礼 | Comments(0)

今井兼次の桃華楽堂

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316日の土曜日の午後、

皇居内の宮内庁式部職楽部による

雅楽の演奏を鑑賞しました。

演奏された場所は、

皇居の北桔橋門をくぐり

東に歩いてすぐの

宮内庁楽部という建築の中でした。

この宮内庁楽部の隣に

造形色が強い建築が建っています。

「 桃華楽堂 」といわれる音楽堂です。

設計は、建築家・今井兼次(1985--1987


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建築家・今井兼次は、

禄山美術館(1958・長野県安曇野市)、

日本二十六聖人殉教記念館(1962・長野県長崎市)

などを設計した建築家として知られています。

桃華楽堂(楽部音楽堂)は

昭和411966)年に完成しました。


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桃華楽堂は、

香淳皇后(昭和天皇の皇后)の

還暦を記念して建築され、

香淳皇后の印「 桃 」にちなんで

命名された音楽堂です。

屋根はテッセンの花弁をかたどり、

八枚ある壁面には、

各面とも大きく羽ばたく鳥を中央に、

それぞれ日月星、松竹梅、楽の音を

イメージした図柄が陶片で描かれています。

長崎市の日本二十六聖人殉教記念館は

どちらかというと、

スペインのアントニオ・ガウディ的な

造形色が強烈な建築と比較して、

桃華楽堂は、皇室らしい

品のある意匠としています。

この桃華楽堂を見学したのは2回目、

30年以上も前のことです。


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北桔橋門


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江戸城の美しい石垣


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平川濠の向こう右手に見える建築は、

日建設計・林昌二の設計による

パレスサイドビル

左手に見えるのが谷口吉郎の設計による

東京国立近代美術館


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平川濠沿いでみつけた「カンヒザクラ」



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by y-hikage | 2019-03-22 11:19 | 建築巡礼 | Comments(0)

葉山の東伏見宮別邸


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葉山町の堀内に建つ

旧東伏見宮別邸という洋館を

見学できるということを知り、

昨年の128日、

「原風景を生かしたまちづくりを

考えるシンポジウム」に参加しました。

主催は

「湘南邸園文化祭連絡協議会(横浜市中区)」と

「原風景を生かすまちづくりの会(逗子市新宿)」

でした。

普段は非公開の洋館である

旧東伏見宮別邸を見学できる貴重な時間。


葉山には

1894年(明治27年)御用邸設置以前から、

有栖川宮、北白川宮が別邸を置かれ、

その後も、

東伏見宮、高松宮、秩父宮が

別邸を置かれましたが、

そのほとんどが失われ、

現存するのは、

シンポジウムの会場となる

東伏見宮別邸のみとなりました。

1914年(大正3年)に竣工。

木造2階建、銅板葺、展望塔屋付きの

洋館建築です。

内部意匠も創建時の様子をとどめており、

家具・照明器具も

多くの数が現存しています。

2階の軒高13.4m、

3階塔屋頂部まで15mという、

住宅建築としては際立つ高さと、

白色の端正な

ドイツ下見張りの外壁が特徴で、

石積みの基礎、平滑な壁面、

鎧戸付きの上げ下げ窓、

寄棟の大屋根などが相まって、

堂々とした風格ある外観を生みだしています。

南面に設けられた車寄せは

幅約3m、奥行き約5.4m、高さ約4mと

極めて規模が大きいものの、

欄間や軒飾りなどに軽快な幾何学装飾を施し、

天井は吹き寄せの格天井とするなど、

繊細で優雅な意匠としています。

総じて外観の意匠は、

簡潔でありながら

風格と華やかさをあわせもち、

海浜に建つ宮家の別邸としての

典雅さを表現しています。

1階には応接室、食堂などを置き、

2階には洋室と和室が配置されています。

富士山や江の島を望む西側には

広いサンルームの塔屋を設けており、

開放感のある空間となっています。


外観も内部空間も白を基調としており、

控えめで端正な意匠で統一されています。

塔屋に登る螺旋階段が

この建築の中で異彩を放っており、

高級な旅客船に設けられた

螺旋階段を思わせます。

高級な旅客船の螺旋階段を

見たことはありませんが、

そんな印象を受けました。


設計は木子幸三郎(きごこうざぶろう)で

宮内省内匠寮(たくみりょう)時代に

委託として設計担当しました。


昭和28年(1953年)頃、

イエズス孝女会修道院に譲渡され、

昭和51年、昭和62年の

二回の改修を経て今日にいたります・・・。


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追記:

塔屋に登る螺旋階段が

この建築の中で異彩を放っており、

高級な旅客船に設けられた

螺旋階段を思わせます・・・。

と書きましたが、

資料を読み直してみると、

東伏見宮別邸の住人である

東伏見宮依仁親王は、

イギリス、フランスに留学した後、

海軍軍人として功績をあげた。

と書いてありました。

もしかしたら舟の中の螺旋階段を思わせる

鉄骨の螺旋階段は

軍艦の中の螺旋階段を

イメージしたものかもしれません・・・。



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by y-hikage | 2019-03-07 17:38 | 建築巡礼 | Comments(0)