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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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カテゴリ:建築巡礼( 236 )

建築家・谷口吉郎の切手

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日影アトリエが入居する北鎌倉の

山ノ内ビルの入居は

2014
年の1月からでした。

( 自由が丘から

北鎌倉に移転したのは2013年の1月 )

3年ごとの更新なので

今年の1月が2回目の更新になります。

時がたつのははやいものです・・・。


昨年の終わりごろ

更新のための書類が

逗子の自宅に送られてきました。

その封筒を開けようとしたときに

一枚の切手が目にはいりました・・・。

その切手の図版は

1969年に竣工した

東京国立近代美術館。

設計は尊敬する建築家・谷口吉郎・・・。

このアングルから見る

東京国立近代美術館は

はじめてでした。

新鮮なおどろき・・・。

図版のデザインも

なんとなく昔っぽくておもしろいです。

この貴重な切手を

谷口吉郎の作品集に

はさんで

製図室の貴重な資料にしようと思います。


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by y-hikage | 2020-02-15 16:13 | 建築巡礼 | Comments(0)

月光殿の修理報告書に出会いました。

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昨年の1213日付けの

日日日影新聞の紙面に

護国寺の境内に建つ重要文化財

「 月光殿 」についての記事を書きました。

月光殿の建築を見学してから

日本建築学会図書館に行き、

月光殿の修理報告書を探しに行きましたが

残念ながらありませんでした。

新しい年を迎えた、

1月の中ごろ、

構造の相談をするために

駒込の山辺構造事務所の

山辺さんを訪ねました。

ひととおり打合せが終わり、

帰ろうと入り口のドアを開けようとしたら、

ドアに月光殿のポスターが

張られていることに気がつき驚き!、

山辺さんに

「このポスターどうしたんですか?」

と聞いたら、

「いやうちの事務所で

免震構造の設計をやったんだよ」

と話されました・・・。

もしや!と思い、

打合せテーブル背面の本棚を探したら

「護国寺月光殿保存修理報告書」が

あるではありませんか!

月光殿に

なぜ興味があるかとひととおり説明し、

この報告書を借りて帰りました。

そして数日後の打合せで返却しました・・・。

求めていればどこかで出会う・・・、

と言いますが、そんなことも

たまにはあるんだなあ・・・と

心の中でつぶやきました・・・。


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月光殿の図面を入手できましたので、

図面上で

美しいプロポーションを確認できそうです。


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by y-hikage | 2020-01-30 18:45 | 建築巡礼 | Comments(0)

丹下健三の聖マリア大聖堂

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建築家・菊竹清則の

自邸「スカイハウス」を見学したあとに、

丹下健三設計の

東京カテドラル聖マリア大聖堂(1964)を

見学しました。


いままで何度

この空間に足を踏み入れたことでしょう・・・。


オルガンの音が

からだの中で

心地よく響いておりました・・・。


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最近、建築に限らず

西洋・和洋全般に

近代美術に興味をもちはじめました・・・。

近代美術史とは、

1860年代から1970年代の

形式とされていますが、

この1970年「代」という文字を削り、

1860年から1970年の間を

近代美術と定義してみようかと思います。


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by y-hikage | 2019-12-19 16:38 | 建築巡礼 | Comments(0)

菊竹清則のスカイハウス

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126日の金曜日、

護国寺を見学したあと、

建築家・菊竹清則自邸

「スカイハウス」を見学しました。

スカイハウスは

1958年の竣工で

菊竹清則の名作中の名作です。


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この美しいプロポーションを、

忘れないように、

さらに

からだで覚えるために、

資料の図面を

トレースしてみました。


本当は、

日影アトリエ蔵書にある

ディテール100

「名住宅の矩計」特集を読みながら

勉強しようと思っていたのですが、

どうも紛失したらしく

見つかりませんでした。


10mの正方形プランに対し、

道路面から

内樋下端まで

5mの高さとしていました・・・。


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スカイハウスの斜め向かいに、

近代的なビルが建っていました。

看板を見たら、

菊竹清則建築設計事務所のビルでした。


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おそるおそる

エントランスに近づいていったら、

1975年の沖縄国際海洋博覧会で建造された

「アクアポリス」の模型が飾ってありました。


前に来た時(35年前?)には、

この事務所ビルはなかったように思います。


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やはりスカイハウスは、好きな建築でありました。



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by y-hikage | 2019-12-19 15:49 | 建築巡礼 | Comments(0)

護国寺の建築・その3 仰木魯堂の茶室

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あらためて護国寺に興味をもったのは、

Casa BRUTAUS2017vol212

「おさらい日本の名建築・杉本博司」特集を

読んだからでした。


現代美術作家・杉本博司は

最近僕の中では興味ある建築家であるので、

杉本博司の眼を通じた建築にも

同時並行に興味をもつようになりました。


杉本博司はこの特集で

建築家としての仰木魯堂を

最も敬愛していると話し、

魯堂の作品が護国寺の中にあることを

紹介しています。



護国寺は五代将軍徳川綱吉が、

生母・桂昌院の発願にしたがって

1681年の創建されたお寺です。

2万坪の境内の中に重要文化財の建築2件、

9席の茶席があり、

流派を問わず、

東部における茶道本山としての

役割を果たしています。


日本の実業家であり茶人である

高橋義雄(高橋 箒庵そうあん )が

明治維新後に零落していた護国寺を

東京における茶の湯の総本山にするべく

東京・芝にあった松平不昧公

(出雲松江藩7代藩主・江戸中期の大茶人)

の墓を護国寺境内へ移し、

それにともない、

茶室や建造物の新築や移築を計画し、

その一切を仰木魯堂にまかせました。



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仰木魯堂(文久3年~昭和16年・18631941)は

福岡県遠賀郡に生まれ、

明治40年のときに東京・京橋に

建築設計事務所を開設したそうです。

資料には、幼少期より木や竹細工が好きで、

学歴はないそうです。

( 経歴不明の謎の建築家 )


三井財閥総師・團琢磨、

三井物産創始者・益田鈍翁、

三井銀行経営者高橋箒庵らの

大正・昭和期の大茶人らに重用され、

多くの邸宅や茶室を請け負ったそうです。

同時代の建築家を強いてあげれば

村野藤吾(18911984)、

吉田五十八(18941974)がいますが、

仰木魯堂と交流があったかどうかわかりません。


もし僕の中に

「日本建築史という引出し」が

あったとするなら、

その浅い引き出しには

仰木魯堂という名は存在しませんでした。


護国寺の建築・その3 仰木魯堂の茶室_c0195909_09414860.jpg



Casa BRUTAUSの記事では、

杉本博司と千宗屋(せんそうおく)との対談が

掲載されていますが、

その中に書かれていた文章で

好きな部分(共感できる部分)を読んでみます。


千 : この護国寺に残る魯堂設計の茶室のいくつかは、私も何度か釜をかけた経験がありますが、非常にすっきりとして嫌みのない、静かな雰囲気の茶室です。

杉本 : 材木の使い方にもこれ見よがしな主張がなく、一見これといって特色がないようですが。

千 : 茶において主役は道具であり、「茶室は道具を引き立てるための『うつわ』である」と魯堂は言っていたそうです。これは自信も茶会の亭主を務め、茶室の使い手であった魯堂ならではの配慮でしょう。

杉本 : 数寄屋大工の中には、床柱などに高級材や珍木を使いたがる人がいますが、そういう銘木信仰みたいなものは一切ないですね。終始、目立たぬよう、騒がしくないよう控えめです。

千 : 〈圓成庵(えんじょあん)〉〈艸雷庵(そらいあん)〉は小間ですが、床の間の幅が幾分ゆったりつくられていて、掛け物がよく映えます。建築家のエゴではなく、あくまで数寄者の目線で計算されたということを感じます。


(「Casa BRUTAUSvol212号より)


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仰木魯堂が設計した茶室2

〈不昧庵(ふまいあん)〉

〈圓成庵(えんじょあん)〉

がある露地の正門


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正門妻面・・・。
むくりの強い屋根。

ここまでむくりの強い屋根にすると

下品になりますが

むしろ高貴で上品に仕立てています。



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〈圓成庵(えんじょあん)〉

〈不昧庵(ふまいあん)〉

〈宗澄庵(そうちょあん)〉


の水屋入り口。

宗澄庵は山澄力蔵が父宗澄の菩提を弔うために

大正末期に護国寺へ寄付した茶室とののことです

(三畳台目下座床)。

仰木魯堂がどのようにかかわったか

今のところわかりません・・・。




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水屋入り口まわり。

茶室全景は

生垣に隠れて残念ながら

見ることはできませんでした。


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宗澄庵の門構え


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宗澄庵の門構え

漆喰の鎧仕上げが印象的です。

僕の推測では仰木魯堂の好み。


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重要文化財・月光殿の勝手口まわり


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重要文化財・月光殿の正門


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重要文化財・月光殿を囲う塀


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「魯堂」と刻まれた石碑をみつけました。


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石碑の背後に銘文が刻まれた

石碑をみつけました。

石碑は昭和3年に設置されたと

刻まれています。


※※※


杉本博司の眼を通じて知った仰木魯堂

仰木魯堂の研究はこれからも続きます・・・。




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by y-hikage | 2019-12-17 09:55 | 建築巡礼 | Comments(0)

護国寺の建築・その2 月光殿

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護国寺には、重要文化財が2棟あります。

1棟は前回の記事で紹介した

本堂(観音堂:1697年)、

もう1棟は

「月光殿(桃山時代・1600年前後)」

という書院造です。


この「月光殿」は、

滋賀県の園城寺(三井寺)の

塔頭・日光院の客殿を

昭和3年に護国寺本堂西側に

移築したものであると

資料に書かれています。


今回の見学で滋賀県の園城寺に

日光院という塔頭があった?

ことも月光殿という客殿があったことも

はじめて知りました。

(日光院は現在の園城寺の

境内マップには存在しません)


ところで園城寺には

光浄院客殿と勧学院客殿という書院造が建ち、

2棟とも国宝建造物に指定されています。

光浄院客殿と勧学院客殿は

外観がよく似ており、

桃山時代の書院様式を伝える

貴重な建築とされています。


そして護国寺の月光殿に目を移してみると、

月光殿は、光浄院客殿とも勧学院客殿とも、

よく似た外観であることがわかります。


月光殿が昭和3年にどういう経緯で

護国寺に移築されることになったか

わかりませんが、

もし移築されなかったとしたら、

滋賀県の園城寺には

3棟の国宝建造物「客殿」があったことになります。


ところで園城寺の光浄院客殿は、

建築家・吉村順三が

ニューヨーク近代美術館(MOMA)の中庭に、

光浄院客殿を題材にした

日本住宅建築

「 松風荘 」を設計し、

昭和29年(1964)に

建築されたことでも有名です。


園城寺の客殿と

護国寺に残る月光殿客殿と

吉村順三(明治41年~平成9年)が

設計したMOMAの松風荘・・・。

このつながりは

単なる偶然であるのか

興味がわいてきました。


そしてこのつながりに前回の記事で書いた

護国寺の多宝塔の設計者である

建築家・仰木魯堂(文久3年~昭和16年)が

何かしら関係しているのではないかと

思ってしまうのは、

大げさな推理なのでしょうか・・・。

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月光殿は、

本堂側からは少しだけしか見えません。

(どうも非公開の建築のようです)


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月光殿は、

西側の道路側から塀越しによく見えます。


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月光殿の屋根のフォルム。

滋賀県・園城寺の

光浄院客殿と勧学院客殿に

似ていることがわかります。



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月光殿の全景

(護国寺のホームページより)


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園城寺の光浄院客殿


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光浄院客殿の立面図


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園城寺の勧学院客殿


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吉村順三が設計した、

ニューヨーク近代美術館の「松風荘」


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松風荘の立面図


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by y-hikage | 2019-12-13 11:25 | 建築巡礼 | Comments(0)

護国寺の建築・その1

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護国寺境内に建つ、

護国寺本堂(観音堂)は1697年(元禄10年)、

徳川幕府によって造営されました。

時の将軍は徳川綱吉であり

幕府の最盛期でもありました。

和洋と唐様の折衷様式とし

雄大で華麗な元禄文化を見ることができます。

創建当時のまま現存しており

国の重要文化財に指定されています。

資料を読んで驚いたのは、

護国寺から江戸川橋に抜ける

現在の音羽通りは、

京都の朱雀大路を模して

整備されたとのこと・・・。

新鮮な驚きです。


あらためて護国寺に興味をもったのは、

建築家・仰木魯堂

(本名・仰木敬一郎:18631941)の作品が

多数残っているからです。

境内に建つ多宝塔もそのひとつです。




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護国寺多宝塔・・・。



設計は

仰木魯堂(本名・仰木敬一郎:文久3年~昭和16年)

によって石山寺の多宝塔(国宝)を

模して設計したものです。

昭和13年の建立です。


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僕のライフワークである

国宝建造物採集の旅で

行った時の石山寺多宝塔の姿・・・。





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by y-hikage | 2019-12-12 14:38 | 建築巡礼 | Comments(0)

文京区の蕉雨園という建築

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先週の金曜日の午前中に、

豊島区駒込の

山辺構造設計事務所で打合せがあり、

夕方に北区王子の

中央工学校で会議があり、

そのために東京に行きました。

午前の打合せと

夕方の会議のはじまりまでの時間を

どうやって埋めようかと考えた結果、

護国寺周辺を建築散歩することにしました。


まず護国寺境内内の建築を見学し、

建築家・菊竹清則の自邸・

スカイハウスを見学し、

次に建築家・丹下健三が設計した

東京カテドラル聖マリア大聖堂を見学し、

最後に肥後細川庭園内にある

松聲閣(しょうせいかく)を

見学するコースです。


聖マリア大聖堂を見学し、

目白通りを西に曲がり、

胸付坂という小道を歩いていくと

左手に「名建築という強いにおい」を

漂わせる和風建築を見つけました。

看板には蕉雨園(しょううえん)と

書かれていました。

残念ながら

一般公開されている気配はありません。

予備知識が全くないので、

時間があるときにでも

建築学会図書館で調べてみようと思います。


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蕉雨園の門横の門番の家


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通りから見る門番の家

門番の家なのに、

霧除けの庇が

杮葺きか檜皮葺になっています。


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蕉雨園の蔵


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蕉雨園の大谷石積みの蔵


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蕉雨園を塀越しに見ます。

意匠的な美しさは判断できませんが、

すごい建築であることはわかります。


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胸付坂をおりきると、

関口芭蕉庵という

小さな庭園がありました。

この庭園にあった

平屋建ての建築もよかったです。

どことなく

立礼式の茶室のようです・・・。


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設計者(棟梁?)のセンスの良さが、

濡れ縁の木割からわかります。

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関口芭蕉庵の池・・・。

こじんまりした陰影と紅葉が美しかったです。


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関口芭蕉庵の池の紅葉


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肥後細川庭園

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肥後細川庭園

池泉回遊式庭園という庭の造り

「 清潔な意匠 」という言葉が

似合いそうな庭園でした。


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松聲閣の椿の間の建具


※※※


蕉雨園(しょううえん)という

謎の建築を発見した

文京区建築散歩となりました。

知らない道も歩いてみるものです。

なにより晴れていてよかった!


(次回・・護国寺の建築に続く・・・)


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by y-hikage | 2019-12-11 13:48 | 建築巡礼 | Comments(0)

上野採集

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上野採集


今は、

スマホで写真を撮影することは

ほとんどないけれど、

15年ぐらい前までは、

携帯電話の

内臓カメラで写真を撮っていました。

写真は、(記憶にまちがいがなければ)

東京国立博物館の

表慶館の横に敷かれた

イチョウの落ち葉・・・。


写真のお題は


「 福田平八郎画伯 」

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by y-hikage | 2019-12-09 12:56 | 建築巡礼 | Comments(0)

九品仏の浄真寺に行きました。

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先週の土曜日、

「九品仏の家(2007年)」の

メンテナンスのために九品仏に行きました。

九品仏は

東急東横線自由が丘駅で

大井町線に乗り換えてひとつめの駅です。

2012年まで

日影アトリエは

自由が丘(正確には世田谷区奥沢)にあったので

九品仏は地元のような場所でした。

九品仏駅の近くに

「浄真寺」という静かな寺があります。

九品仏の家を訪ねる前に

浄真寺を見学しました。

浄真寺を訪ねたのは10年ぶりぐらいです。


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本堂も仁王門も

もともと茅葺屋根だったのを

昭和40年に銅板屋根に葺き替えたとのこと。

茅葺屋根のフォルムを

忠実に銅板屋根で再現しています。


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本堂に安置されている釈迦牟尼如来像


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小屋組が民家のように

投げ掛け梁で一部組まれています。

このため堂内は寺院建築のような

堅苦しさがなく

親しみのある空間になっています。


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本堂から見る庭


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仏足石(ぶっそくせき)と

呼ばれる石がありました。


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仁王門(山門)

「紫雲楼(しうんろう)」とも呼ばれ、

1793年(寛政5年)の建築です。


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鐘楼

1708年(宝永5年))の建築です。


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九品仏の家の工事中によく入った

九品仏駅前の古本屋「本鶏堂書店」。

町なかの本屋さんがどんどんなくなる中で、

いまだ健在に残っていたのでうれしかったです。

この古本屋で

岩波写真文庫の「新風土記」を買い集めました。

この日もその福島県版を買いました。

家にすでにあるかもしれないと思いつつ・・・、

買ったのは復刻ワイド版です。

「新風土記」は

古い民家を学ぶために買いそろえました。


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by y-hikage | 2019-10-07 12:12 | 建築巡礼 | Comments(0)