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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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2018年 09月 25日 ( 1 )

「建築の日本展」その4・丹下健三自邸

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「 建築の日本展 」では、

1953年に竣工した

建築家・丹下健三の自邸が

縮尺3分の1の大きさで展示されていました。

成城に建っていた

丹下健三の自邸「住居」は、

いままで写真で見てきて

好きな建築のひとつでした。

建築の日本展で展示されることを知ったときは、

期待感で胸がふくらみました。

あの洗練された住宅を見学できることに・・・。


※※ ※※ ※※ ※※ ※※


2002年に発行された

丹下健三と藤森照信共著の

「丹下健三」という本が手元にあります。

その本の中で丹下健三自邸「住居」は、

第8章の「柱梁の系譜」という

カテゴリーに分類されています。

つまり、

1953年:丹下健三自邸「住居」

1957年:東京都庁舎

1958年:香川県庁舎

などがこのカテゴリーにおさまり、

1955年:広島ピースセンターは、

独立した7章で解説されています。

これらに共通する点は、

柱と梁が強調されていることと、

もうひとつ重要な要素である

ピロティによって

建築が浮いていることにあります。

この本の中で藤森照信氏は、

丹下健三自邸についてこのように書いています。


※※ ※※ ※※ ※※ ※※


まず、ピロティに驚かされる。これほど軽々と2階を浮かすピロティは木造ならではといえよう。

軽く浮くばかりではなく、全体的にシャープで締まった秩序感が漂うのは、柱梁の軸組構造のおかげで、柱梁を露わにして強調し、そこに軒、ヴェランダ、勾欄、棰、根太といった2次部材を組み込むのだが、いずれも露出し、かつ水平・垂直性を前面に出して、柱梁に同調させる。

インテリアにおいては、和室のつくりをベースとしたうえで、モダニズムとの共通性を探る。畳敷きの面と板敷きの面を同面に扱い、イス、テーブルを置くところには畳と同形の板を張り、伝統とモダニズムの一致を図る。

間仕切りは、障子、襖を使うが、長押の上は伝統の小壁とせず、ガラスをはめてモダンに納める。(中略)

側面はゆるい傾斜の切妻とし、屋根面は見せず、軒の線を強調する。

(中略)

2階の縁側と勾欄、そしてその上に広がる軒で、こうした日本の伝統を直接的に感じさせる水平面の張り出しの強調は、おそらく桂離宮に想を得たものと思われる。


※※ ※※ ※※ ※※ ※※


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「丹下健三が見た丹下健三」ギャラリー間で

撮影した丹下健三自邸。


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「丹下健三が見た丹下健三」ギャラリー間で

撮影した丹下健三自邸の屋根。

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「丹下健三が見た丹下健三」ギャラリー間で

撮影した桂離宮。


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図面に定規をあててみると、

(この記事のために図面を書いてみました)

桁行方向が約18.4m

梁間方向が約7.5mの平面寸法です。

耐力壁と思われる壁が少なく、

完全なシンメトリーの構成で

北側と南側に約1.2m片持ちで

ヴェランダが張り出しています。

地盤面から約2.65m2階床レベル、

2階床から軒桁までが約2.65mなので

地盤面から軒桁まで

5.3mあることになります。

屋根の軒の出は約1.25m。

下の屋根はおそらく銅板葺きで

勾配が約22分勾配、

上の屋根は瓦葺で

33分勾配のようです。

屋根のかたちがとても綺麗で

一見すると腰葺き屋根にも見えます。

おそらく屋根の断熱性能を考慮した

意匠と思われます。

小屋組が非常に特徴的で

折置組のように柱頭に挟み梁を接合し

その上部に軒桁を架けています。

挟み梁は登梁形式とし、

棟通りの柱頭に接合し

その上に棟木を架けています。

このやや無謀ともいえる小屋組は、

勾配天井に軒桁や棟木を見せない

工夫と思われます。

2階床組も特徴的で

やはり挟み梁を梁間方向に架け、

片持ちでヴェランダを支持しています。

小屋組にしても床組にしても

柱頭と挟み梁の接合方法が不明です。

ボルトなのか込栓なのか・・・。

2階床組の桁行方向には

いっさい梁のような部材は確認できません。

根太構造とよんでもいいのかもしれません。

竣工当時の写真を良くみると

2階の床下地を小幅板の斜め張りとしています。

床剛性の確保のためだと思われます。

全体的に大断面の部材を使用せず

根太のような

小さい部材で構成しています。

それはデザインのためなのか、

戦後の物資が少ないためなのかわかりません。

ちなみに丹下健三自邸が竣工した

1953年には、清家清による

斎藤助教授の家が竣工しています。


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今まで丹下健三自邸は

桂離宮と二重写しになっていました。

ところが建築の日本展で見た丹下健三自邸は、

桂離宮から大きく離れたものでした。

それは天井がなく

構造あらわしになっていたせいなのか、

桂離宮のように白と木。

つまりこの展覧会で

ブルーノ・タウトが書いていた

「材料のみで色を添えんとしている」

ものでなかったのかもしれません。


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ほぼ同じ時期の設計なので

当然のことかもしれませんが、

丹下健三自邸のヴェランダと

香川県庁舎のヴェランダは

とても良く似ています。

挟み梁でスラブを支持し

挟み梁の小口断面を意匠としているところが・・・。

丹下健三自邸をたくさん重ねたのが

香川県庁舎だとも言えるのかもしれません・・・。


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階段の位置づけも似ています。


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丹下健三自邸の向こうに見えるのが

香川県庁舎の模型。


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by y-hikage | 2018-09-25 10:38 | 建築巡礼 | Comments(0)