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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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2018年 05月 09日 ( 1 )

伊豆韮山の江川家住宅に行きました。

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沼津での大町の家の門の仮組を確認したあとに、

伊豆韮山の江川家住宅に行きました。

江川家は前々から

興味を持っていた建築でした。

・・・・・

かつて建築家・白井晟一は、

江川邸を訪れた印象をこう表現しました。

「 茅山が動いてきたような茫漠たる屋根と大地から生え出た大木の柱群、ことに洪水になだれうつごとき荒荒しい架構との格闘と、これにおおわれた大洞窟にも似る空間 」

と・・・。



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江川家は後北条氏の御家人を務め、

1596年(慶長元年)以降

この地方の代官を務めました。

蘭学を修めた

江川太郎左衛門英龍(18011855)は

韮山反射炉(世界遺産)を築造し

西洋流兵学者として有名です。


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表門から江川家主屋を見ます。

表門は1696年(元禄九年)に建築された

薬医門です。


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江川家主屋は

桁行十三間、梁間十間の大きさで、

入母屋造、茅型銅板葺きで、

入母屋造の玄関が突き出ています。


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入母屋屋根の妻面の格子が見えます。

この格子から土間に自然光が降り注ぎます。


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土間に面する外壁に設けられた

無双風の縦格子の連続。

この格子の連続が

土間に自然光を入れるだけではなく、

土間空間全体を軽快にさせてくれます。

あたかも小屋組みが浮いているかのように・・・。


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入母屋の妻面から自然光が土間に降り注ぎます。


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主屋全体で140坪ぐらいの床面積に対して

四割ぐらい占める53坪の広さがある

土間空間ですが、

思っていたより小さい印象でした。

訪れる前に想像していた江川家の土間は

この倍以上の大きさで

家が土間そのものというイメージでした。


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貫で編まれた壮大な小屋組空間・・・。

・・・・・

この小屋組空間を見上げながら、

ふと疑問に感じたことがありました。

なぜ小屋組を構成する部材寸法が

限界までと思われるほど小さいのか・・・。

特に貫の断面寸法が

繊細すぎるほど薄く小さい。

この小さい貫板を何段何段も組み上げている。

その意匠的な効果は絶大で

重厚感がまったく感じられない。

江川家の設計者は、

余計に手間がかかることを承知で

この軽やかな空間を

構想していたのだと僕は思いました。


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よくよく見てみると、

小屋組を支持する(合掌造りとするための)

扠首(さす)の部材断面も

小さいことがわかります。

そしてあたらためて小屋梁を見てみると、

梁は丸太とせずに通直な平角とし

一間ごとに規則正しく架けています。

こうしてよくよく眺めていると、

この設計者の設計意図が

僕なりにわかってきます。


その設計意図とは


「端正な空間」とすること。


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無双風の縦格子が

土間空間を軽やかに演出しています。


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江川家の平面図

江川家は江戸初期の建築とされています。

もともと左端一列三へやの座敷(居住空間)と

右側の土間を含む台所空間は

別物だったとされています。

この二つのゾーンが一体となったのは

1707年(宝永四年)と考えられています。

宝永四年は、

富士山か噴火した年にあたります(宝永大噴火)。



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by y-hikage | 2018-05-09 12:19 | 建築巡礼 | Comments(0)