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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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寳林寺東輝庵展

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昨年の11月、


横浜市立歴史博物館で開催されていた


「寳林寺東輝庵展」に行きました。


サブタイトルは「横浜の禅・近世禅林のルーツ」


この展覧会に、


毎月、お茶のお稽古をしている


円覚寺塔頭「龍隠庵」の


ご本尊様が展示されていると、


龍隠庵のご住職から聞き、


お茶のお稽古のつもりで


展覧会を見に行きました・・・。



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◇◇◇


寳林寺(ほうりんじ・横浜市・南区)は


15世紀に開創され


何度かの無住期間を経た後、


18中頃、近世禅宗史上欠くことのできない


「鎌倉禅」の祖といわれる


月船禅彗(げっせんぜんね)が


寳林寺寺内に


東輝庵(とうきあん)を営みます。


そこには、鎌倉・円覚寺中興の


祖といわれる


誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)や


仙涯義梵(せんがいぎぼん)、


峨山慈棹(がさんじとう)、


物先海旭(もつせんかいぎょく)といった


多くの名だたる禅僧たちが集い、


東輝庵を中心に地域と交流が生まれ、


文化的な土壌が醸成されていきました。


寳林寺東輝庵展は、


「寳林寺東輝庵」の地に


華開いた禅文化にふれるとともに


近世禅林の源流をたどるものでした。


◇◇◇


横浜市南区永田北に位置する


寳林寺(ほうりんじ)は、


鎌倉円覚寺の末寺で、


その歴史をさかのぼると開山は、


円覚寺の百二世の僧侶であり、


龍隠庵を塔所(とうじょ)とする


大雅省音(たいがしょういん)、


その支寂(じじゃく)が


応永26年(1419年)であることから、


15世紀頃までには開創し、


当初は宝地庵と称されました。


本庵である龍隠庵は、


応永26年頃、


山之内上杉氏の家臣である


長尾忠政外護(げご)のもと、


円覚寺百三十七世の


芳隠省菊(ほういんしょうぎく)によって、


先師大雅省音の塔頭として、


円覚寺田中宝珠院内の


軒として開創されました。


その後、永世6年(1509


長尾顕忠(ながおあきただ)の妻


幸春尼


(華渓幸春大姉・かけいこうしゅんだいし)の


外護により再興されました。


大雅から第五世に至る歴住は、


龍隠庵主であり


円覚寺の住持を務めた者もおり、


寳林寺を隠居寺としました。


そして、第五世梅州省因ののち、


寳林寺は無住となり、


永田村(横浜市南区)の


名主服部家の祖・道甫玄庵の子、


玖盤省珍によって再興されますが、


18世紀初めころ再び無住となります。


◇◇◇


円覚寺中興 誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)


東輝庵(とうきあん)で修行をした


誠拙周樗が


円覚寺中興の祖といわれる理由は、


近世以降、衰退した円覚寺で、


復興した僧堂・修行道場の指導者となり、


修行僧を育て、


荒廃した堂塔伽藍を再建したためです。


月船禅彗(げっせんぜんね)の


高弟のひとりである


誠拙周樗(せいせつしゅうちょ・17451820)は、


愛媛県宇和島市に生まれ、


同市の仏海寺(ぶっかいじ)に出家し、


各地に行脚歴参(あんぎゃれっさん)した後に


東輝庵の月船に参じ印可(いんか)を得ました。


鎌倉時代に禅宗が伝えられて以降、


近世に入ると禅宗の修行道場である僧堂は、


次第に機能しなくなり、


円覚寺は衰退をみせていました。


しかし、18世紀頃から、


僧堂を復興させ、


集団修行を復活させることで、


円覚寺を復興させる機運が興ってきます。


誠拙周樗は、月船のすすめにより、


円覚寺に移り、天明元年(1781)、


37歳の時、円覚寺僧堂の


前版職(雲水の指導者)に就きます。


さらに円覚寺の堂塔伽藍を建て直し、


多くの修行僧を育てていきました。


誠拙周樗が円覚寺中興の祖と


呼ばれる所以でもあります。


誠拙周樗は、


書画にも優れ、


白隠や仙涯(せんがい)らが


描く禅画とは一味違った気品を持ちます。


◇◇◇


臨済禅の双璧、白隠と古月


近世の臨済禅は、


「東の白隠」「西の古月」を中心に


牽引されていきます。


東輝庵を開いた


月船禅彗(げっせんぜんね)は、


古月の流れをくんだ禅僧でした。


近世臨済禅中興の祖といわれる


白隠 慧鶴(はくいんえかく・16851768)は、


駿河の原宿に生まれ同地松蔭寺を復興し、


民衆に禅を広めたことで知られています。


一方、白隠に比べて


その名はあまり知られていませんが


同じく、近世臨済禅に大きな影響を与えた


「東の白隠」と並び「西の古月」と称された、


古月禅材(こげつざんざい・16671751


がいます。


古月は、宮崎県宮崎市佐渡原町大光寺、


福岡県久留米市福寿寺などに住し、


東輝庵を営んだ


月船禅彗(げっせんぜんね)は


古月の法系につながるといわれています。


◇◇◇


鎌倉禅・


月船禅彗(げっせんぜんね)の法系


延享元年(1744)寳林寺内に


開かれた東輝庵。


月船のもとには、


峨山慈棹(がさんじとう)


物先海旭(もつせんかいぎょく)


仙涯義梵(せんがいぎぼん)


誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)ら


名だたる禅匠たちが


綺羅星のごとく集まりました。


◇◇◇


月船禅彗(げっせんぜんね)が


生涯の約半数におよぶ


37年間を過ごしたのが


武蔵国久良岐郡永田村の


寳林寺内に営んだ東輝庵でした。


福島県田村郡小野町で生まれた


月船禅彗(げっせんぜんね)は、


同県の三春町高乾院(こうけんいん)で


出家したのち、


延享元年(1744)頃、


東輝庵を開いたといわれます。


しかし、


月船禅彗(げっせんぜんね)の足跡や、


開創の経緯は


詳らか(つまびらか)ではありません。


開創以来、


東輝庵には多くの禅僧たちが集い、


近世禅林における


名だたる禅匠を輩出しました。



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題字:臨済宗円覚寺派管長


横田南嶺 書



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聖観音菩薩坐像


(しょうかんのんぼさつざぞう)龍隠庵蔵


室町時代 16世紀頃


龍隠庵蔵


龍隠庵の本尊です。


右肘をつき左足を踏み下げて、


岩にもたれかかるようにゆったりと坐る姿は、


東慶寺の水月観音菩薩坐像に通じます。


髻(もとどり)の根元に


布の端があらわされており、


もとは髻を頭巾で包んでいたと思われます。


着衣表現なども似ており、


東慶寺像の復刻像として


造られたと考えられます。




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長尾顕忠(ながおあきただ)の


妻・幸春尼


(ゆきはるに・華渓幸春大姉)位牌 


江戸時代17世紀 龍隠庵所蔵


龍隠庵再興時の外護者幸春尼の位牌です。


上部が雲の形をした雲形位牌です。


正面に


「華渓幸春大姉覚霊」、


裏面には


「壬申(じんしん)年三月二十二日龍隠開基」


とあります。


幸春尼は、


室町時代後期の武将である


長尾顕忠(?~1509)の妻です。


幸春尼の没後、


早い時期に作られたものとみられます。



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大雅省音坐像


江戸時代、元文元年(1736


龍隠庵蔵



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仏涅槃図(ぶつねはんず)


岸朝画


江戸時代 元禄12年(1699


寳林寺蔵


釈迦が入滅した様子が描かれる


仏涅槃図(ぶつねはんず)です。


宝台の左側面を見せ、


動物・会衆とも多く描かれる涅槃図で、


鎌倉時代以降の作例にみられる様式です。


嘆き悲しむ会衆


それぞれの表情は豊かで、


動物や虫も丁寧に描きこまれています。



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達磨図(だるまず)


白隠 慧鶴(はくいんえかく)画、


月船禅彗(げっせんぜんね)賛


江戸時代8世紀 


寳林寺蔵


白隠 慧鶴(はくいんえかく)は、


生涯にわたって数多くの達磨を描き、


本図は最も典型的な姿です。


衣文線は画面向かって


左下方へ濃墨の太線で


力強く描かれています。


描き方から凡そ七十代後半以降の


作と考えられます。


白隠の禅画に


白隠禅慧が着賛している点でも貴重です。



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月船禅彗一行書


月船禅彗書 


江戸時代 18世紀 


円覚寺蔵


伝えによると月船は、


ある時郷里へ戻った際、


これまでの墨蹟を集めさせ


焼き払ったため、


遺例はほとんど


残っていないといわれています。


あくまでも伝承ですが、


貴重な墨蹟です。


「一撃所知を忘ず、


更に修治を仮ず


(いっきゃくしょちをぼうず、


さらにしゅうじをからず)」とは、


中国唐時代の


禅僧・香厳智閑(きょうげんちかん)が


瓦礫が竹に当たった


音を聞いて悟りを得た時の言葉です。



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鍾馗図(しょうきず)


月船禅彗(げっせんぜんね)賛


江戸時代18世紀


寳林寺蔵


右手に剣を持ち疾走する


鍾馗が凄まじい形相で


悪鬼を退治する様でしょうか。


緩急ある墨線は


濃淡と擦れにあらわれ、


鍾馗の躍動感が演出されています。


賛には


「双瞳、日月を懸け、一剣、星辰を動ず。


果然として天下、妖無し、


応に是れ明皇夢裏の人となるべし」と


『武渓集』鍾馗」の偈が付されています。



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鍾馗図(しょうきず)


仙涯義梵(せんがいぎぼん)画賛


江戸時代


18世紀~19世紀前半


寳林寺蔵


白隠 慧鶴(はくいんえかく)が


描く迫真迫る鍾馗と比べると


仙涯の鍾馗は、


悪鬼を退治する鍾馗であっても、


どこかおどけた雰囲気を感じさせ、


ほほえましい気持ちになります。



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坐禅蛙図(ざぜんかえるず)


仙涯義梵(せんがいぎぼん)画賛


江戸時代


18世紀~19世紀前半


禅文化研究所(聴松堂文庫)所蔵


戯け顔(おどけがお)でこちらを向く蛙。


賛には


「坐禅して人が仏になるならば」とあり、


坐禅を単に悟りを得るための


形式的な修行であってはならないと


戒めるように、


坐っているだけならば


蛙はすでに悟りを開いている


というユーモラスかつ


アイロニーに富んだ禅画です。



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達磨図


釈宗演 画賛


大正時代 20世紀 


寳林寺蔵


達磨はその逸話に基づき


様々な姿が描かれましたが、


本作は正面から描かれた、


正面達磨です。


濃い墨線と擦れによって


達磨の衣文線が表され、


淡墨線による顔貌、


滲みを生かした眉や髭、


頭髪の描写は、


達磨の存在感を引き立てています。



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薬師如来坐像(やくしにょらいざぞう)


平安時代 12世紀 


寳林寺蔵


寳林寺の現本尊


寺の創建をさかのぼる制作と


考えられますが伝来は不明です。


右足を外にして坐る姿は


釈迦如来像としては異例で、


もとは阿弥陀如来像として


造られた可能性も指摘されます。


近年、如来像の表面に


彩色と切金模様が確認され、


永田の地に伝わった


経緯とあわせて注目されます。



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寒山拾得図(かんざんじっとくず)


誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)画賛


江戸時代18世紀~19世紀


寳林寺蔵


両手を後ろに組み箒を捨て置き、


空を仰ぎ見て笑う拾得、


両腕を大きく広げ経巻(きょうかん)を


開く寒山の姿が、


二福一対に描かれます。


おさえられた輪郭線、


流れるような衣文線(えもんせん)、


滲みを用いた頭髪や腰蓑などの表現は、


世俗を超越した


二人の姿を巧みに捉え、


誠拙の画技の高さを感じさせる


作品となっています。



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猪頭和尚図(ちょとうおしょうず)


加藤文麗画、誠拙周樗画賛


江戸時代18世紀後半~19世紀


寳林寺蔵


作者の加藤文麗は、


谷 文晁(たにぶんちょう)の


師としてよく知られています。


猪頭和尚は、


僧侶でありながら奇矯な振る舞いをして


猪の頭を好んで食べ、


幸福や吉凶を言い当てたといいます。


地べたに這いつくばり、


猪頭(ちよとう)に貪りつく


和尚の様子でしょうか、


粗荒に近い運筆ですが


的確に形をとらえ描かれています。




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普化振鈴図(ふけしんれいず)


誠拙周樗画賛


江戸時代18世紀後半~19世紀


佛日庵蔵


普化(ふけ)は中国時代の禅僧で、


常に鈴を手にして


山野をさまよい奇矯な振る舞いを


したといわれています。


亡くなるとき自ら棺に入り蓋を閉じました、


その後蓋を開けると普化の姿はなく


鈴の音のみ聞こえたという逸話が残ります。


賛は「武渓集」所収の


月船禅彗(げっせんぜんね)の語です。




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丹露焼仏図(たんかしょうぶつず)


誠拙周樗画賛


江戸時代18世紀後半~19世紀


佛日庵蔵


丹露天然(たんかてんねん)は、


中国・唐時代の禅僧です。


ある寒い日に


仏像を燃やして暖を取ったのを


咎められますが、


舎利のない仏は真の仏ではなく、


ただの薪であると答えたといいます。


通常は焚火にあたる姿で描かれますが、


本作は仏像を割るのか斧を持ちます。


賛は「武渓集」所収の


月船禅彗(げっせんぜんね)の語です。




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by y-hikage | 2025-02-09 14:26 | お茶のお稽古 | Comments(0)
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