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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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鶴岡八幡宮の建築

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鎌倉の鶴岡八幡宮の建築を


あらためて学んでみようと思います。


そして、


もう少し涼しくなったら


見学しに行こうと思います


(何度となく行ってますが・・・)。



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鶴岡八幡宮の現在の姿は、


豊臣秀吉の命により、


徳川家康(~秀忠)によって


造営されたものです。


上の絵図は、


小田原北条氏を降伏させて


関東に入った豊臣秀吉(15361598)が、


故地関東八州の太守に任じた


徳川家康に、


天正19年(1591)五月十四日付で、


八幡宮の造営を命じたときの設計図です。


「しゆり」「あたらしく」などの


詳細な指示が朱字で書かれています。


当時の八幡宮境内全域の様子を


知ることができる貴重な資料です。



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徳川家康は、


鶴岡八幡宮全体の「造替」を


意図していたとされていますが、


果たさずして没したために


二代将軍秀忠が


元和八年(1622)に造営を命じて、


寛永元年(1624)十一月十五日に


上下両宮の正遷宮が行われ、


寛永三年までに


諸堂末社神輿まで造り終わりました。


この寛永造営は、上の図の


若宮社殿・享保十七年境内絵図(1732)、


各堂社の図面より明らかなように、


規模一新の全面造替でした。


この全面造替は旧規に


拘泥(こうでい)しない


桃山造営の典型としています。


各建築は主として


「和様」(経蔵は禅宗様)の


本格的な構造細部を具備し、


丹塗が施され、


上下両宮社殿が檜皮葺、


他が上等な栩葺(とちぶき)としていました。



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【舞殿】


「下拝殿(しもはいでん)」ともよび、


境内にはいって最初に目に映ります。


1193年(建久4)に建てられました。


関東大震災(1923)で倒壊し、


1933年(昭和8)に再建されました。



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【若宮(わかみや)】


本殿・幣殿(へいでん)・拝殿を連ねた


権現造(ごんげんづくり)で


銅板葺きとしています。


拝殿に向拝(ごはい)が


付いているのが特徴です。


1624年(寛永1)、


2代将軍徳川秀忠の命により


造替がなされました。


摂社として、


本宮同様に重んぜられています。


(重要文化財)



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【楼門】


61段の大石段を上ったところに建つ


重層入母屋造りの華麗な門です。


八幡宮の扁額は、


1633年(寛永10)、


京都曼殊院門跡良恕親王


(もんしゅいんもんぜきりょうじょしんのう)


の筆です。


「八」の字は、


2羽を向い合わせにして


表現したものです。


鳩は八幡大神(はちまんおおかみ)の


使いといわれ、


八幡宮には純白の鳩が飼育されています。



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【御本殿】


大巨山(だいいんやま)の中腹に


鎮座する御本殿は、


鶴岡八幡宮の象徴です。


流造(ながれづくり)の御本殿に


幣殿(へいでん)・拝殿(はいでん)を連ねた


権現造(ごんげんづくり)としています。


屋根は銅瓦葺きとしています。


最初の御本殿は、


山の鎌倉石を削平して宝殿となしたもの。


現在の御本殿は、


11代将軍徳川家斉が


1828年(文政11)に造営したものです。


楼門から延びた回廊が取り囲み、


御本殿は回廊より数段高く造られています。


豪華な彫刻が施され、


壁面には鳥獣草木が描かれ、


総朱塗りとしています。


(重要文化財)



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【武内社(たけうちしゃ)】


一間社流造り(いけんしゃながれづくり)、


銅板葺き。


本宮の西に隣接する末社(まっしゃ)です。


(重要文化財)



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【丸山稲荷社(まるやまいなりしゃ)】


末社(まっしゃ)。


本殿の西の石段を上ったところに建っています。


一間社流見世棚造り


(いっけんしゃながれみせだなづくり)、


銅板葺き。


境内で建築年代室町時代に遡る


唯一の建築物です。


(重要文化財)



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【今宮(いまみや)】


本宮の西北山中に建ち


「新宮(いまみや)」ともいわれています。


1247年(宝治1)の創建。



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【旗上社(はたあげしゃ)】


「旗上弁財天社(はたあげべんざいてん)」


ともよばれています。


頼朝挙兵に際して


弁財天の霊験(れいげん))があったとされ、


後に源平池東中の島に弁財天を祀りました。


明治維新の神仏分離で取り除かれましたが、


1980年(昭和55)の


鶴岡八幡宮御創建800年を記念して、


江戸末期の古図をもとに再建されました。



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【由比若宮(ゆいわかみや)】


鶴岡八幡宮の発祥の地、


鎌倉材木座に鎮座し、


「元八幡」「浜の八幡」ともよばれています。


1063年(康平6)、源頼義が


京都石清水八幡宮を勧請(かんじょう)。


これを、のちに頼朝が現在の雪ノ下に遷しました。

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白幡神社


白幡神社は、


本宮の東山麓に位置しています。


唐破風付向拝付き


(からはふごはいつき)の社殿です。


1200年(正治2)、


頼朝公の妻政子が、


白幡大明神の勅号を賜って創建されたとも、


源頼家の創建とも伝わっています。


頼朝公を祀る白幡神社と


実朝公を祀る柳営社(りゅうえいしゃ)を、


1888年(明治21)に現在地に奉遷されました。




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鶴岡八幡宮一ノ鳥居(1864年・元治1年頃)



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by y-hikage | 2024-08-15 11:57 | 鎌倉の建築 | Comments(0)
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