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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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蒼梧記念館に行きました。その6

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蒼梧記念館の2階には、


客座敷に隣接して小さな茶室がありました。


茶室を見ると、ついつい


お茶のお稽古を思い出してしまいます。


「この茶室のお点前は


どうするんだろう・・・?」って。



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当初の平面図を見ると


現状とのちがいに気がつきます。


当初の平面図の床の間を小さくして、


茶道口を設けています。


客座敷も、ふくめて現在も、


お茶会がおこなわれているそうです。


もしかしたら、


当初はお茶室ではない和室を、


お茶室として改造したのかもしれません・・・。



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1937年(昭和2年)に建築された


蒼梧記念館。


第一生命保険創業者である


矢野恒太(やのつねた)


(慶応元年・1866~昭和26年・1951


の住宅です。


矢野恒太は、岡山県岡山市の生まれで、


精神教育の必要性を感じて、


「論語」にわずかな解説をつけて


「ポケット論語」を編集出版し、


ベストセラーになったそうです。


1階の応接間の暖炉上に、


孔子と老子の出会いの図柄を


泰山タイルによって張られていた


意味が理解できました。


また岡山県出身であることから、


岡山市藩主・池田光政によって開設された


閑谷学校(国宝建造物)を思い出しました。


2008年に閑谷学校をたずねたときに、


講堂内で論語を斉唱したことがあります。


この記事を書いていて、


論語をふたたび読みたくなり、


本棚から引っ張り出しました・・・。



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◇◇◇


日日日影新聞の発行をはじめたのが、


2009年で


最初の記事が閑谷学校だったことを


思い出し、


なつかしくなりました・・・。





吉田鉄郎が設計した光風亭の記事にも


蒼梧記念館のことについて書いています。


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by y-hikage | 2024-06-24 10:24 | 建築巡礼 | Comments(0)
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