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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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蒼梧記念館に行きました。その3

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蒼梧記念館の居間兼客室は、


正当な和室とはいえ、造作はヒノキを使用し、


長押を上下面取とすることで、


やわらかい雰囲気としています。


床の間は踏込床で


脂松(やにまつ)の一枚板で、


光沢があり春慶塗とされています。


床柱をあえて設けず他の柱と同じ


ヒノキとしています。


天井は杉柾天井を使用し、


猿面取の竿縁を細めにとして


間隔を広くしています。



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居間兼客間室に隣接する部屋は食事室です。



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食事室と居間兼客室(右側)



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蒼梧記念館の庭で育った


楷の木(かいのき)で作られた文机です。


楷の木はウルシ科の落葉樹です。


中国山東省に孔子廟がありますが、


孔子が逝くなられた時、


弟子たちが各地の名木、


奇木を持ちよって、


孔子廟に植えたと伝えられています。


その中でも楷の木がもっとも有名です。


大正四年、


林学博士・白沢保美氏(18681947)は、


中国出張の折、


孔子の墓の上に生えている


楷の大木に心を打たれ、


その樹の種子を拾って持ち帰り、


東京で苦心の結果、発芽に成功しました。


この時、孔子にゆかりのあるところへ、


この苗木が配られましたが、


当時「ポケット論語」などで知られていた


第一生命の創始者・矢野恒太にも


配られました。


それが田園調布の蒼梧記念館の庭で


10mを超える大木となるまでに成長しました。


昭和62年、記念館移築工事の時、


楷の木は枯れ、伐採されましたが、


初めて日本で育った孔子ゆかりの


楷の木の一本であったことを記念して、


楷の木の文机として残されました。



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蔵の観音扉は鉄の扉です。



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中庭に面するガラス戸の限りなく細い格子



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階段室



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階段室のステンドグラス



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階段室の造作の装飾


蒼梧記念館に行きました。


その4に続く・・・。




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by y-hikage | 2024-06-23 13:43 | 建築巡礼 | Comments(0)
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