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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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初詣に行きました。

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1月が終わらぬうちに


初詣にいかなくてはと思い、


先週の金曜日に鶴岡八幡宮に行きました。


朝からお昼にかけての参拝が


むずかしかったので


夕方の参拝となってしましました。



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人気のない段葛・・・。


これはこれで綺麗でした。



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人気がない三の鳥居



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舞殿



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本殿



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時間が過ぎていて、


お守りを買えなかったので、


翌日にまた行きました。



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いつも何気なく


鶴岡八幡宮に行ってますが、


あらためて鶴岡八幡宮を学ぶために


説明書き読んでみました。


◇◇◇


本殿(上宮)・回廊・楼門


本殿建物は


幣殿・拝殿を連ねた流権現造で、


回廊が東西に延びて


本殿を囲む形になっています。


回廊は内部が区画され


往時はさまざまの神事、方会の場として


機能していました。


楼門中央に掲げられた


八幡宮の扁額「八」の文字は


八幡六神の神使とされる鳩を象っていて、


寛永6年(1629年)


曼殊院宮良恕法親王


(まんしゅいんのみやりょうじょほっしんのう)の


揮毫(きごう)によるものです。


本殿内外の上部壁面には


鳥獣草木が描かれ、


精巧な彫刻も施されていますが、


細部にわたり見事な


彩色が施された現在の社殿は


文政4年(1821)本殿火災後、


文政11年(1828)、


徳川十一代将軍家斉による


幕府あげての事業として再建され、


江戸時代末期の幕府作事方による


代表建築の一つとされています。


平成8年(1996)には


国の重要文化財に指定されました。


◇◇◇



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いつも何気なく通り過ぎる「若宮」


勉強のために


説明書きを読んでみました。


◇◇◇


若宮


本宮の御祭神である応神天皇の


御子である仁徳天皇他三神を祀っています。


若宮の創始は古く、


康平6年(1063)に源頼義公が勧請した


鶴岡若宮を源頼朝公が


治承4年(1180)に現在地に遷した


鶴岡八幡宮若宮まで遡ります。


建久2年(1191)焼失しましたが


直ちに再建され、この時背後にそびえる


大臣山の中腹を拓き、


改めて石清水八幡宮が勧請されました。


山腹に設けられた本殿を


宮または本宮とし、


若宮を下宮とも称するようになりました。


若宮は祖先の偉業を継ぐ社として


本宮同様に重んぜられ、


信仰を集めてきました。


現在の社殿は江戸時代初期の


寛永元年(1624)、当宮の中でも


古い時代の建築で、


本殿・幣殿・拝殿を連ねた流権現造、


拝殿に向拝が付いているのが特徴です。


平成8年(1996年)に本殿と共に


国の重要文化財に指定されました。


◇◇◇



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白旛神社・・・。


鶴岡八幡宮の境内の中でも、


異彩を放っています。


好きな建築です。



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by y-hikage | 2024-01-31 11:06 | 鎌倉の建築 | Comments(0)
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