1636年(寛永13年)に
建立された英勝寺は、
徳川家康の妻(側室)である、
お勝が1616年、
家康逝去にしたことによって、
お勝の方は出家し、
名を英勝院と改めました。
それから20年、
還暦に近づいた英勝院は、
先祖を供養し、
自分の後世を祈るために、
寺を開きたいと願い出て、
英勝院を慕う将軍家光の配慮によって、
寛永15年に、
太田道灌ゆかりの扇ヶ谷に
仏殿を完成させました。
しかし1642年(寛永19年)に
英勝院は逝去し、翌年の寛永20年に
仏殿ひとつの境内地に
山門・
鐘楼・
祠堂(しどう)・
祠堂唐門
などが加えられました。
今から(2024年)から387年ほど前のことです。
その後、
徳川幕府と水戸徳川家の庇護のもとで
維持されてきた英勝寺ですが、
明治維新によって大きな打撃を受けました。
1907年(明治40年)に
境内内にあった太子堂が
常楽寺へ譲られ、
明治22年横須賀線開通に伴い
境内東端が削り取られ,
寺観は大きく損なわれました。
(これは円覚寺も同様です)
さらに1923年(関東大震災)により
山門・鐘楼は倒壊し、
山門は英勝寺によって復旧できず、
鎌倉市小町3丁目の資産家に
売却され移築されました。
また旧惣門(表門)と推測される
四脚門は浄光明寺へ移築されて
浄光明寺山門となりました。
壮大な規模を誇った御殿も姿を消し、
その敷地の一角に古材を用いて
書院が建てられました。
こうした困難な時期においても
なお仏殿・鐘楼・祠堂・祠堂唐門など
英勝寺建築の神髄を示す主要仏堂が
伝えられてきたことはまさに奇跡のようです。
小町に移築されていた山門は、
2001年(平成13年)に戻され、
2013年(平成25年)に、
仏殿・山門・鐘楼・祠堂・祠堂唐門が
そろって国の重要文化財に指定されました。
仏堂・祠堂などの仏堂区域に
残された建築群は、
規模があまり大きくないものの
寛永期の遺構をよく留め、
「英勝寺式」」と言うべき
軒反りのない独特の意匠を伝えています。
軒反りのない意匠は特異で、
ともすれば技術的観点から
誤解を受けやすいですが、
建築そのものの質は高く
絵様袴型などの装飾細部も
多彩で優れています。
英勝寺山門は、
二重門という最高級の門形式を有し、
上層軒は扇垂木として
軸組や組物に禅宗様細部を
取り入れながら、
工匠の匠な技術を伝えています。
上層軒とちがい下層軒は
繁垂木(平行垂木)としているところも
独特な表現としています。
ちなみに鎌倉に現存する二重門は、
英勝寺以外には
光明寺山門・
建長寺山門・
円覚寺山門の3棟があります。
山門・下層平面図
山門・上層平面図
山門・正面図
山門・背面図
山門・西側立面図
山門・東側立面図
山門・桁行断面図
山門・梁行断面図
山門から仏殿をみたところ
仏殿は三間裳階付仏殿とし、
禅宗様建築と同様に素木造です。
禅宗様を基調としながらも、
和様の細部を取り入れ、
自由な意匠が見られるとことが
大きな特徴です。
化粧部材は上質のヒノキを使用し、
加工も丁寧です。
軒に反りをつけない点はきわめて特殊です。
鎌倉の三間裳階付仏殿は
円覚寺舎利殿(旧太平寺仏殿・国宝)・
旧東慶寺仏殿(現三渓園内・重文)
があります。
英勝寺旧仏殿は、
英勝寺仏殿よりもやや先行して
建築されているので、
英勝寺仏殿建立の時に
参考にした可能性があります。
仏殿背面
仏殿平面図
作図は関口欣也氏によるもので、
「鎌倉市文化財総合目録建造物篇」に
収録されたものです。
この資料を図書館に行って
閲覧してみようと思います。
なお他の図面は、
山門の修理報告書からの転載です。
仏殿正面図
仏殿・桁行断面図
仏殿・梁行断面図
軒下の「かえる股」には
十二支の彫刻が施されています。
仏殿の内部空間
本尊は阿弥陀三尊像、
運慶の作と伝えられています。
鐘楼は、
上層に高欄付の縁を廻した
楼造の鐘楼で、
下層が袴のように
裾を開いた形であるため、
袴腰付鐘楼といいます。
鎌倉の近世鐘楼では唯一の実例で、
他はいずれも吹放し鐘楼です。
鐘楼平面図(左下層・右上層)
鐘楼・側面図と断面図
鐘楼の軒裏を見上げます。
禅宗様であるのに扇垂木としていません。
ここにも
「英勝寺式禅宗様」を見ることができます。
唐門(祠堂唐門)は、
すべて素木造で幕板透彫や
大瓶束・笈形などに
江戸前期の手法がうかがわれ、
全体的に簡素です。
木鼻類、
特に両側に凹刳形をつけた
台輪木鼻などをみると、
鎌倉地方の伝統的なものとは異なり、
水戸徳川家に招かれた
大工の作だと言われています。
唐門・平面図・立面図・断面図
今回の図面は全て縮尺50分の1を
スキャンして掲載しています。
よって画面上で見る図面は、
同じ比率なので、
建築部の大きさのちがいがわかります。
祠堂は、
境内の一番高いところに建っています。
この一角は英勝寺の
開基・英勝院の墓廟で、
祠堂は墓塔の前に建ち、
内部に霊碑を安置しています。
祠堂は禅宗様に
和様を折衷した建築様式とし、
九尺四方の小さな堂ですが、
柱を金、床や長押、壁を黒漆、
垂木を朱で塗り、組物などに極彩色を施した
霊廟建築らしい華麗な建築です。
祠堂は、風雨から守るために
鞘堂(さやどう)の中にあり
全貌を見ることができません。
まるで中尊寺金色堂のようです。
祠堂・平面図・断面図
祠堂から見る唐門と仏殿
英勝寺・総門
扉が開いているところを
今まで見たことがないような気がします。
◇◇◇
祠堂を覆う鞘堂の規模を大きくし、
祠堂全体を見えるようなれば
参拝者にも祠堂の建築的価値を
伝えることができるのではないかと思います。
いずれ英勝寺が国宝建造物に
昇格することになった時に、
鞘堂の建て替えが
できることを祈っています。
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