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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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家の近くの「鎌倉七口」のひとつ名越切通

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あたらしい年をむかえた11日、


海辺にむかう途中にある


名越の切通に立ち寄りました。


この切通は逗子の自宅から


歩いて5分ほどのところにあって、


runのコース沿いにもなっています。


(はげ山のすぐそば・・・)


鎌倉時代の


およそ790年前に人の手で


切り通された岩の道が


今でもおよそそのままで残っていることに


あらためて時の深みを感じます。


名越切通についての解説が


入口に書かれていたので


そのまま読んでみます・・・。


勉強になりますね・・・。



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◇◇◇


国指定史跡の


名越切通(なごえきりどおし)、


鎌倉時代に尾根を掘り割って


つくられたとされる通行路で、


鎌倉幕府の事績(じせき)を記した


「吾妻鏡(あずまかがみ)」の


天福(てんぷく)元年(1233年)


八月十八日条に


「名越坂」として登場するのが最初です。


近世以降は「鎌倉七口」の


ひとつとしても数え上げられ、


鎌倉と三浦半島方面を結ぶ道として


重要な役割を果たしてきました。


切通の周辺には、


鎌倉の防衛にも関係すると


考えられる平場や


切岸(きりぎし・人工的な崖)、


やぐら(四角い横穴に石塔を建て、


納骨・供養する施設)や


遺体を火葬した跡なども


多く分布しており、


中世都市鎌倉の


周縁(しゅうえん)の歴史的景観を


たいへん良く残していました。


現在の名越切通の道筋には、


尾根の岩盤を掘り割って道をつくり、


両側が急な崖になっているところが


3か所ありますが、


最も高く切り立ったことの部分を


第一切通と呼んでいます。


鎌倉時代に外敵の侵入を防ぐために、


あえて狭くつくったといわれていますが、


発掘調査を行ったところ


意外な結果が明らかになりました。


現在私たちが歩いている切通は


路面の幅が11.5mほどですが、


その下に複数の道路面が


重なって発見されました。


最下層(現地表から約60㎝下)の


道路面は幅2mほどで、


そこから18世紀後半以降に


作られた陶磁器が出土されました。


これによって、


現在の道路の地下に埋もれている


最も古い道は、


江戸時代に使われていた


ということがわかったのです。


その後、地震などによって


両側の崖が崩れるたびに道が埋まり、


そのつど整地・修復して


新しい道をつくったため、


どんどんかさ上げされて


路面が高くなったと思われます。


一時期は道幅を広げる工事も


行われたようで、


路面の幅が約3m


両側に排水のための溝も


設けられていました。


しかし


明治16年(1883年)に


トンネル道路が、


明治22年(1889年)に


横須賀線が開通すると、


切通も幹線道路としての役割を終え、


埋もれるがまま


修復の手を加えられることも


ほとんどなくなり、


最終的に現在のような


すがたになったと考えられます。


発掘調査では、


鎌倉時代の路面は


確認できませんでした。


切通に面した崖のかなり上のほうに


鎌倉~南北朝時代頃に


掘られたと思われるやぐらがあることから、


当時の道筋が


今とあまり変わらないとすれば、


その道は今よりずっと急坂で、


高い位置を通っていたのかもしれません。


一方、時代が下がって、


室町時代の僧堯恵(ぎょうえ)は、


名越切通の様子を


「畳々(じょうじょう)たる


巌(いわお)をきり、山をうがち、


旧跡の雲につらなる」


と述べています(『北国紀行』)。


中世の後半には、


通行しやすいように


掘り下げられていたこと


示していると思われます。


鎌倉幕府執権北条氏によって


鎌倉の守りの要(かなめ)として


つくられたと言われる名越切通は、


当時のすがたそのものではないと


考えられますが、


重要な交通路として


近代にいたるまで長く使われ続けてきた


貴重な史跡で


あったことに変わりありません。



◇◇◇



鎌倉時代から続く岩肌を


普通に手で触れることができるなんて、


ふしぎな感覚になってしまいます。



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by y-hikage | 2024-01-13 18:00 | 鎌倉・逗子・葉山で | Comments(0)
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