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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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孤篷庵の忘筌に行きました・その1

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今年の610日の金曜日、


京都の「忘筌(ぼうせん)」を見学してきました。


忘筌は建築を志す人なら


知らない人はいないほど有名な茶室です。


縁側に設けられた


下半分が吹きさらしの障子は、


さまざまな現代建築に引用され、


「日本建築を代表する構図」


とでも言えそうです。


その忘筌が特別公開されるということで


京都にでかけました。


はたして忘筌は


「日本建築を代表する構図」なのか


確かめてみたかったのです。


写真だけ見ると、


草庵露地の装置としての


縁先の中敷居障子に対する


書院座敷の構成は、


相反するように見え、


どうしても違和感を覚えてしまいました。


ところが実際に座ってみると、


その空間構成は、


寸法的にも、


材料の使い方にも、


まったく違和感がなく、


むしろ心地よい内包感を感じました。


やはり建築は実際に観てみないことには


わからないものだと再認識しました。



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「忘筌」は大徳寺の塔頭・孤篷庵の


客殿(方丈)に造り込まれた茶室です。


孤篷庵は慶長13年(1608


小堀遠州により江月和尚を開基として


龍光院内に創立されました。


寛永20年(1643)に現地に移転し、


新孤篷庵の建物や庭が計画されました。


小堀遠州晩年の作として


貴重な遺構でしたが、


寛政5年(1793)に焼失し、


その後、松平不昧や近衛家の援助を得て


再興が図られ、


創建当初の姿に忠実に復元されました。


忘筌は12畳敷で


8畳に一間床と点前座一畳を設け、


相伴席3畳を添えています。


面取角柱、長押付、張付壁、


高欄付の広縁と落縁を備えた構成は、


完全な書院座敷ですが、


縁先には巧みに


草庵露地の装置が組み込まれています。


縁先には中敷居障子として


下方を吹き抜きとしています。


中敷居は潜りの役目を担い、


内露地の景色だけを座敷に導入しています。



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落縁と中敷居で限られる景色は


草庵の内露地の景色です。


舟入りの構成ともいいます。


西向きの中敷居窓は、


強い西日をさえぎる装置でもあります。



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落縁の先の手水鉢は、


正面を縁の方に向け、


そこに露結と刻まれています。


縁とほとんど同じ高さに据えられ、


飛石から中敷居を潜って


縁で蹲踞って手水をします。



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生垣で書院庭と隔たれた露地は


軒内の三和土の葛石まで


一面に小石を敷いています。


そこには灯籠と二段石を配しています。


軒内には手水鉢が据えられ、


飛石が客殿広縁の降り口あたりから


忘筌に向かって打たれ、


内露地としています。



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面取角柱、長押付、張付壁という


書院様式を備え、床回りにも長押を付け、


重厚な軸部に華奢な木目の浮き出る


砂摺天井を取り合わせています。


手前座は客座中央に配し、


床と点前座を並べています。


二本引襖は茶道口を給仕口となります。



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落掛を鴨居の内法と同じ高さにして、


床にも長押を回しています。


床脇の吹抜きに井桁の格子を組み、


まわりに板をはめ、中の下半に唐紙を張り、


上半分は吹抜きとしています。


勝手付に方立を立てて床との間に


地敷居窓(夏は葭戸)をはめています。



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山雲床(さんうんじょう)という茶室も


孤篷庵の中に組み込まれています。


山雲床は、四畳半台目の茶室で、


龍光院密庵(りゅうこういんみったん)を


範として、露地とともに小堀遠州の好みを


再現するように工夫されています。



この山雲床は、


忘筌から矩折り(かねおり)に東西に連なる


書院「直入軒(じきにゅうけん)」の


北側に位置しています。



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内部は四畳半台目下座床で、


密庵とは上り口の縁がないこと、


違棚や密庵床と称される押板風の床を


略している点が異なります。


さらに面取角柱や面をとった


削り木の長押であること、


床に墨蹟窓、茶道口の側の小壁に下地窓、


風炉先の壁面に大きな下地窓があけられ、


腰高障子も密庵より腰を低くしています。



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張付け壁で落天井として


杉丸太の中柱を立て、


孔雀棚を吊り、


袖壁に中杢の杉板をはめています。


風炉先の壁面を下半分だけ張付壁として


上方に下地窓をあける意匠は


密庵と異なります。



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山雲床は四枚襖を隔てて


書院直入軒に接しています。


書院の天井高(82寸)に対して


78分と天井を低くしています。


鴨居内法高も548分と低くしています。


床は張付け壁で墨蹟窓を取り付け、


いっぱいに障子をはめ込んでいます。


床柱は椎丸太。


4本引きの腰高障子の上部の小壁に


下地窓をあけ、


落天井の小壁へまわる


入隅は塗回しとしています。



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左端に袖壁を設け、上方に小壁をつけて、


軒内をある程度囲い、


同時に大きく開放して


内露地を形成しています。


袖壁に刀掛を吊り、


墨蹟窓を配する意匠は草庵的です。



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写真撮影は絶対不可だったので、


インターネットや


日影アトリエ蔵書の中から


孤篷庵の資料を寄せ集めて、


記事を作成しました。


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by y-hikage | 2022-09-26 13:54 | 建築巡礼 | Comments(0)
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