ブログトップ | ログイン

日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

hikagesun.exblog.jp

北鎌倉の長寿寺

北鎌倉の長寿寺_c0195909_10544886.jpg



連休中の57日、


日影アトリエ製図室近くの


「長寿寺」に行きました。


僕の思いちがいかもしれませんが、


昔の長寿寺は門が閉じており、


謎のお寺でした。


ところが数年前から


一般公開されるようになり、


その全貌を知ることができました。


◇◇◇


長寿寺は、


足利尊氏公ゆかりの寺とされています。


1336年(建武3年)、


足利尊氏自身の邸跡に創建された寺です。


境内は、玄関・本堂・書院・小方丈、


離れの観音堂で構成されています。


境内裏山には


尊氏の遺髪を埋葬した墓もあります。


観音堂は1920年(大正9年)、


奈良市の円成寺に建っていた


多宝塔初層部分を移築して


建てられたものです。


この多宝塔は、


応仁の乱後(室町時代)に


再建されたものとされています。


◇◇◇


多宝塔が北鎌倉に移築されたこの時期は、


どこの寺も荒れ果てていましたが、


中国福州の「満州日報」や


北京の「順天時報など、


中国大陸の主要新聞の創立者であった


中島真雄(18691943)が


北鎌倉の寺を復興したそうです。


中島真雄は、円成寺の多宝塔が


売りに出されていることを知り、


買い取って長寿寺に移築したそうです。


中島真雄は、長寿寺書院に住み、


吉田茂元首相などの


大物政治家や経済人を向いいれたそうです。



北鎌倉の長寿寺_c0195909_10544390.jpg



長寿寺の庭は美しく整備され


見ごたえがあります。


建築から見る庭の姿も


美しく設計されています。


本堂などの設計は、


望月芳生(19512017)であると


住職から聞きましたが、


書院や小方丈まで設計したのかは


未確認です。



北鎌倉の長寿寺_c0195909_10543728.jpg



観音堂正面外観



北鎌倉の長寿寺_c0195909_10543260.jpg




北鎌倉の長寿寺_c0195909_10542603.jpg



観音堂内観



北鎌倉の長寿寺_c0195909_10542130.jpg




北鎌倉の長寿寺_c0195909_10540843.jpg



観音堂軒裏



北鎌倉の長寿寺_c0195909_10534797.jpg




北鎌倉の長寿寺_c0195909_10534235.jpg



建築と庭の構成



北鎌倉の長寿寺_c0195909_10533771.jpg



庭の眺めを邪魔しないように、


極力建具の


縦框を細くしています(42㎜)。



北鎌倉の長寿寺_c0195909_10533034.jpg




北鎌倉の長寿寺_c0195909_10532451.jpg




北鎌倉の長寿寺_c0195909_10531966.jpg




北鎌倉の長寿寺_c0195909_10531348.jpg




北鎌倉の長寿寺_c0195909_10530943.jpg




北鎌倉の長寿寺_c0195909_10530315.jpg




北鎌倉の長寿寺_c0195909_10525824.jpg




北鎌倉の長寿寺_c0195909_10524820.jpg



足利尊氏の墓



北鎌倉の長寿寺_c0195909_10524286.jpg



境内できれいな花が咲いていました。



北鎌倉の長寿寺_c0195909_10523866.jpg



本堂のガラス戸で蝶が休んでいました。




北鎌倉の長寿寺_c0195909_11022654.jpg


by y-hikage | 2022-05-11 11:02 | 鎌倉の建築 | Comments(0)
<< 吉村順三が設計した「四季」に泊... 山手の家の床の間の意匠 >>