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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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会津で蒲生秀行廟をみつけました。

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会津の家の配筋検査が終わったあと、


建主さんと共に


「蒲生秀行廟(がもうひでゆきびょう)」を


見学に行きました。



蒲生秀行(15831612)は、


会津の創設者といえる


会津領主・蒲生氏郷(15561595)の


嫡男です。


会津の創設者である蒲生氏郷は、


茶の湯に深い理解があり、


千利休に師事し、


利休七哲の1人(筆頭)とされていました。


1591年、


千利休が秀吉の怒りにふれて死を命じられ、


千家が茶の湯の世界から追放された折り、


蒲生氏郷は、利休の茶道が途絶えるのを


惜しんでその子、小庵をかくまい、


徳川家康とともに千家復興を


秀吉に働きかけました。


その結果、1594年、


小庵は京都に帰って千家を再興し、


千家茶道は小庵の子、


宗旦に引き継がれました。


小庵が会津にかくまわれている間、


氏郷のために造ったとされているのが、


現在、鶴ヶ城内に建つ


茶室「麟閣(りんかく)」です。



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さて


「蒲生秀行廟(がもうひでゆきびょう)」ですが、


会津藩主・蒲生氏郷が急死したあと、


家督を継ぎましたが、


会津地震や家中騒動の再燃なども重なり、


その心労のために


30歳の若さで死去しました。


秀行の死後、間もなく


この霊廟が建立されたとされていますので、


建立が1612年ごろと推定されています。



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廟屋(覆堂)は


大きな切り石を2段に積んだ


高い一重基壇によって造られた墓室上に


石造五輪塔(高さ2.7m)を据え、


これを木造廟屋で被覆しています。


この廟屋は、


木造平屋建て、


入母屋茅葺屋根で、


平入・桁行3間、梁間3間、


外壁は真壁造り板張り(落し板)としています。


禅宗様(?)の


江戸時代初期の霊廟建築の遺構として


貴重なため、


福島県指定重要文化財(建造物)に


指定されています。



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遺構の原型部分、


とくに懸魚や木鼻に


桃山から江戸初期の特色がみられます。


軒裏まわりの


垂木や組物の木割が繊細で優雅です。


設計の参考になりそうな


建築をみつけることができました。



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内部に建つ石造五輪塔・・・。


暗くてよく見えませんでした・・・。




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by y-hikage | 2021-10-13 12:28 | 建築巡礼 | Comments(0)
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