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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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「日本のたてもの」展にいきました。その6

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今年の221日まで


東京国立博物館の


「表慶館」で開催されていた


「日本たてもの」展・・・。


展示されていた


24棟の建築物のうち、


20棟が国宝建造物でした。


国宝建造物採集を


ライフワークのひとつとする


僕にとって、


たいへん貴重な展覧会でした。



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国宝建造物・如庵


(愛知県犬山市・元和4年頃・1618頃)


如庵は織田有楽斎が、


再興した建仁寺正伝永源院に


建てた茶室です。


筋違いの席と称される


間取りが特徴で、


内外の意匠が優れた


二畳半台目の茶室です。


明治以後、


如庵・書院ならびに付属建築物は、


織田有楽斎の生涯を


写すように各地を転々としました。


明治41年に


東京の三井邸に移築され、


昭和13年に


大磯の三井家別邸に移されました。


明治47年には


犬山市に移築され、


現在にいたります。


神奈川県の大磯城山子公園には、


如庵の写しがあります。


犬山の本物の如庵も


大磯の如庵の写しも


両方見たことがあります。



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国宝建造物・慈照寺東求堂


(京都府京都市・文明18年・1486


東求堂は足利義政が


東山山荘に設けた持仏堂です。


正面側左が持仏堂、


背面側右に書院と違棚を備える


同仁斎があり、


書院造の古例として知られています。


日影アトリエが設計を依頼された


新宿の


浄土真宗本願寺派寺院・


浄音寺本堂の設計のために、


慈照寺東求堂の持仏堂の天井を


参考とし写しました。


浄音寺は20113月に竣工しました。



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「日本のたてもの」展にいきました。


その7に続く・・・。




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by y-hikage | 2021-04-11 13:11 | 国宝建造物 | Comments(0)
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