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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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「日本のたてもの」展にいきました。その1

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今年の221日まで、


東京国立博物館の「表慶館」で


「日本たてもの


(古代から近世、日本建築の成り立ち)」展が


開催されていました。


この展覧会で


日本での


建築模型の位置をはじめて知りました。


僕の事務所も


建築模型はひんぱん数多く作ります。


その目的は


設計過程のスケッチや


図面を描きながらの


イメージの具体化と同じで、


さらに模型によって


具体化の「過程の強度」を


高めていきます。


文化庁では


昨年2020年の12月から


国立科学博物館と


国立近現代建築資料館と


京国立博物館の


三点セットで


「日本のたてもの」展を開催しました。


おそらく文化庁が


全精力を費やした展覧会ではないかと


新聞記事を読んで感じました。


実は


昭和39年にも同じような展覧会がありました。


昭和39年の


東京オリンピックに併せて


開催された「日本古美術展」です。



今回の展覧会で、


文化庁が昭和35年からおこなっている


「文化財建造物模写・模造事業」を


はじめてしりました。


模写は


社寺建築などの軸部・壁・天井などに


描かれた文様や絵画の


模写復元によって


後世に伝えることを目的としています。


そして「模造事業」については・・・、


つまり「建築模型」については・・・、



わが国では


古くから建築模型が製作されてきました。


文化財建造物の修理事業においても、


修理着手前や


構造補強が必要な場合など、


実際に模型を製作して


修理方法を検討することが


少なくありませんでした。


また解体修理調査による


知見を模型によって


記録することを有効な手段としてきました。


模型による「模造事業」では


現在(2021年)まで


39件が製作されてきました。


このようにして製作された建築模型は、


一般に公開することによって、


文化財をわたしたちが


「活用」する重要な取り組みとしてきました。


その企画が昭和39年の


東京オリンピックに併せて開催された


「日本古美術展」であり、


今回の


「日本のたてもの」展ではないかと思いました。



さて、


ここからが興味深い内容になりますが、


「文化財建造物模型事業」の模型は、


基本的に縮尺101で製作されています。


この縮尺で模型を製作することは、


「古代」から


続いてきたものであること知りました。


その理由を推測すると、


手元にある定規で簡単に


寸法を実寸に置き換えることができたから・・・、


ではないかと思います。


この縮尺101は、


元興寺極楽坊


(国宝建造物・奈良時代)


などがあり、


近世になると、


建築模型は「雛形・木型」と呼ばれ、


幕府の建造許可を得るために


製作されたものが増えたと言われています。


特に城郭天守の模型が現存しています。


(3月13日の記事「工匠と近代化」参照)



今回の展示で、


注目すべきところは、


法隆寺五重塔模型は、


昭和7年製作で、


法隆寺大工で知られる、


西岡常一が工匠として


模型製作に参加していることです。


西岡氏は当時24歳で、


この模型製作に後に、


棟梁に任命され


実際の五重塔の修理に


たずさわることになりました。


こうして「近代以降」


古建築模型は、


修復や記録のほかに


博覧会展示や教材利用を


目的として製作されてきました。


そのきっかけはを知ると


さらに驚きます。



昭和25年(1950年)


鹿苑寺金閣寺が焼失しました。


その再建のために


既存の建築模型がおおいに


役に立ったことがあると言われています。



おなじもの見て、


「手」によって繰り返し、


模写・模造することの


意味、意義、訓練、は


昔から変わらないし、


これからも必要だと


実感できた展覧会でした。



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国宝建造物・法隆寺五重塔


(奈良県斑鳩市:奈良時代)


縮尺10分1模型


製作:西岡常一ほか


戦前から半世紀に及んだ


「昭和の大修理」に先立ち、


修理前の現状模型として


昭和7年に製作されました。


法隆寺五重塔は、


金堂とともに最古の木造建築です。


この塔は上に行くにしたがい


平面がいちじるしく縮小し、


安定感があります。


斗雲肘木や卍崩しの高欄など、


独特の建築様式をもっています。


国宝建造物採集を


ライフワークとしている僕にとって


「法隆寺」は


世界最高の建築としています。


模型をみるだけでぞくぞくしてきます。



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国宝建造物・一乗寺三重塔


(兵庫県加西市:承安元年・1171


この建築は、兵庫県加西市にあります。


北播磨の家」の


建主さんと共に見学にいきました。


国宝建造物採集のリストにするためには、


撮影した写真が


手元にあることが条件とされています


(日日日影新聞の規約)。


ところがその写真が


ハードディスクの破損により


なくなってしまいました。


たびたびある事故です。


もう一度行きたいです。


一乗寺三重塔は


平安時代に建立され


数度の修理がありましたが、


軒まわりにいたるまで完存し、


比例良い全体の形態から


足元の亀腹まで


平安時代の技法をしるうえで


貴重な遺構とされています。



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国宝建造物・石山寺多宝塔


(滋賀県大津市:建久5年・1194


日本に残る国宝建造物の多宝塔は


遠距離の関係上


採集する数が上がっていません。


石山寺多宝塔は


採集できた


数少ない国宝建造物多宝塔のひとつです。


石山寺は奈良時代に創建し、


平安以降真言宗寺院になりました。


伽藍には多くの文化財があり、


多宝塔は建久5年(1194)の建立で、


上下のつり合い、


檜皮葺屋根の勾配と相輪の調和は見事です。


石山寺多宝塔は、


昭和7~8年に解体修理を行い、


その成果をもとに模型が製作されました。



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「日本のたてもの」展にいきました。

その2に続く・・・。



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by y-hikage | 2021-04-03 11:52 | 国宝建造物 | Comments(0)
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