昨年の9月、
「ホテルオークラ」を見学しました。
1962年に開業した
「ホテルオークラ東京本館」は、
施設の老朽化などを理由に
2015年に閉館されました。
旧ホテルオークラのロビーは、
建築家・谷口吉郎(1904~1979)の
設計によるもので、
美しいロビー空間は、
長年人びとに愛され続けてきました。
取り壊しが決定したときは、
僕もたいへん残念に思い、
仮に復元されたとしても
原型にはかなわないだろうと
あきらめていました。
とはいえ、
実物を見ない前に判断することは、
ルール違反というもの・・・。
◇◇◇
新しくなった「オークラ東京」は、
主に谷口吉郎の息子・谷口吉生が設計し、
全体計画基本構想
正面広場
2棟のホテルのロビー
大倉集古館の改修設計
を担当しました。
◇◇◇
2棟のホテル、
高層棟の「オークラプレステージタワー」と
低層棟の「オークラヘリテージウィング」は、
水盤の島を中心とする正面広場である
「オークラスクエア」をかぎ型に囲み、
広場の角を閉じるかのように
伊藤忠太が設計した
「大倉集古館」が位置します。
新しくなった「オークラ東京」のロビーは、
みごとに旧ロビーの意匠が
引き継がれていました。
僕はこのロビーを見学しながら、
ホテルの従業員の方に
「素晴らしいですね!
前のロビーを上手に美しく継承していますね・・
もしかしたら
旧ロビーを超えているかもしれませんね」
と話しかけると
「ありがとうございます。
設計のために谷口先生が、
一週間欠かさず
前のロビーを歩き回ったり、
ソファーに座ったりしながらじっと
思索を練っていらっしゃいました・・・」と。
谷口吉生が
「変えないように変えよう・・・」
と語っていたことを思い出しました。
◇◇◇
「変えないように変えよう・・・」
この言葉が
頭の中を何度も何度も巡ります。
あまりにも共感する言葉だから・・・。
◇◇◇
追記
大倉集古館について・・・。
実業家の大倉喜八郎が
明治から大正にかけて収集した
古美術を展示するために
大正六年(1917)に開館した
日本初の私立美術館です。
関東大震災で被災しましたが、
建築家・伊藤忠太の設計によって
中国風の展示館が
昭和2年(1928)に竣工し、
翌年再開しました。2015年、
ホテルオークラの閉館に伴い、
谷口吉生の設計によって
西側に6.5m曳家(ひきや)され、
地下を増築し免振構造となりました。
一見すると、
どこが谷口吉生の改修設計なのか
わかりませんでした。
唯一、
谷口吉生の設計なのだろうと
思わせるのが、
バルコニーに出る引分けのガラス戸と
手すりの意匠でした・・・。
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