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初釜は、年明けの「稽古始め」だが、実際にはふだんのようなお点前の稽古はない。生徒全員で先生と新年のご挨拶をし、おせち料理をごちそうになり、それから先生のお点前でお茶をいただく。つまり、新年の始業式である。
私とミチコは初めて着物を着て、昼前にそろって先生の家に行った。いつものように「こんにちは」と玄関を開けると、中はしーんと静まりかえっていた。水を打ったたたきに、草履がずらっとならんでいた。
水曜日にお稽古している五人の奥さんたちは、もうそろっていた。ひそひそと声がして、青磁色の着物に金茶の帯をしめた中年の女性が、こちらをのぞいて会釈した。ふだんとはちがう、そのフォーマルな雰囲気に、学生の私たちは思わず固くなった。
初釜の稽古場は、おろしたてのシーツのようにすがすがしく、晴れやかだった。床の間の柱には、真っ青な竹の花入れが掛かっていて、紅白二輪の椿のつぼみが生けられ、大きく輪に結んだ長い柳の枝が大胆にしだれていた。掛け軸には、「鶴舞」とか「千年」という文字が見えた。床の間の真ん中に白木の台が置かれ、黄金色の小さな米俵が三つ積んであった。
(これが、「日本の正月」というものか・・・)
お点前をするいつもの場所に目をやった。そこに飾られた茶道具に、私は思わず目を奪われた。
二本柱のすっきりした大棚。冬の清らかな白い光の中で、艶やかに光る黒塗りの棗や炉縁の金の蒔絵。
(漆の黒って、なんて大人っぽいのだろう)
乳白色の水指に描かれたトルコブルーの鶴。
火箸の頭についた小さな松笠の飾り・・・。
「伝統」とは古くさいものだと思いこんでいたが、そうではなかった。本物の伝統は、モダンで斬新だったのだ。私はその時、「ジャポニズム」にあこがれた百年前のフランス人の「目」になって日本という「異国」を見ていた。
武田先生は裾模様のある淡いクリーム色の一つ紋をゆったりと着て、畳に両手をついていた。
「みなさん、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。この一年も、一生懸命ご精進くださいね」
私たちは扇子を前に、
「今年もよろしくご指導ください」
と、口々に言って、全員で顔を上げる。挨拶が終わると先生は、
「さあ、それじゃ、私がお点前します。ちゃんと見ててくださいね、私も間違えるんですから。ふだん、皆さんに注意してるけど、自分は口ばかりで、できないんですよ」
笑いが起こり、座の空気がふっとなごんだ。先生は水屋へ消えた。
生徒七人が、静かに、先生の登場を待っていた。
先生が初釜で披露するのは「濃茶点前」である。「薄茶」をカプチーノとするなら、「濃茶」はエスプレッソのようなもので、抹茶の種類も異なるし、お点前も上級になる。薄茶は一人一碗ずつ点てるが、濃茶は数人分を一碗にまとめて練り、みんなで少しづつ飲み回すものだ。
障子が開いた。
先生は両手を膝の前にそろえて置き、私たち生徒をちゃんと見て、自然にすうーっと頭を下げ、一瞬止まったと思うと、おもむろに頭を上げた。
それだけだった。なのに胸を突かれた。
鳥がほんの一瞬、きゅっと小さく身をすぼめたと思うと、ふわりと元に戻る仕草をする。それに似ていた。
先生は今、私たちに「敬意」を表した。謹み深く、謙虚に、それでいて卑屈さがなかった。
おじぎは、ただ「頭を下げる」ことではなかった。頭を下げるというシンプルな動きに、あらゆるものが含まれていた。「形」そのものが「心」だった。いや、「心」が「形」になっていた。
(このことか・・・)
それまで、何度も武田先生のおじぎを見てきたけれど、その時初めて、母の言った「おじぎがちがう」という意味がわかった。
「日日是好日(森下典子著)」
第四章「初釜」~「先生のおじぎ」から
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