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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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吉村順三が設計した宮殿

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明日の

平成31430

宮殿にて、

天皇の退位の儀式がおこなわれ、

令和元年51

やはり宮殿で

新天皇の即位の儀式がおこなわれます。


言うまでもなく

この宮殿の設計は、

建築家・吉村順三(19081997)によるものです。

竣工は1968年。

この宮殿の建築的なデータには、

基本設計:吉村順三 

実施設計:宮内庁臨時皇居造営部 

と書かれています。

(作品名は「 新宮殿 」)

これは、

新宮殿の実施設計に入った段階で、

吉村順三の設計に対する考えが

宮内庁に受け入れられず、

吉村は建築家としての立場を明確にするため、

設計を辞退したためです。

この経緯により

吉村順三の設計は基本設計までとされていますが、

この基本設計の図面を見ると、

基本設計の密度をはるかに超えた

実施設計のレベルに達していました。

竣工写真を見る限り、

一部の装飾的な部分を除くと、

忠実に吉村順三の設計に基づいているように

僕には思えました。


なにはともあれ、

尊敬してやまない

建築家・吉村順三が設計した宮殿で

天皇の代替わりの儀式が

おこなわれるということが、

なによりもわくわくする気持ちになります。


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平面図

中庭に面した上の部屋が

儀式が行われる「松の間」


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断面図


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配置図

上記図面三点は

吉村順三記念ギャラリーで撮影したもの


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屋根伏図航空写真


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FIXのガラスの向こうに見える横繁の障子。

この障子が縦繁の障子だったら

全くちがう見え方をしていただろうと思います。

障子の桟が横方向のみによって、

よりのびやかな水平線を強調しています。




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200811月、

吉村順三記念ギャラリーで

「新宮殿」の展示がありました。

この展示で作成されたチラシに

元所員の故奥村まことさんの

文章が書かれています。

今回再読しましたが、

とても素敵な文章で感銘を受けました。

涙が出そうになるほどに・・・。

奥村まことさんの文章を読んでみようと思います・・・。

 

O O O O O O O O


2008826日、宮内庁の工務課が「宮殿長期保全計画」を策定するについて、各界の意見を求めており、当時吉村設計事務所にいた元所員が、宮殿を拝見した。

丁度40年経っているので、状態を見るのは大切なことだ。

全体の印象は「静かで落ち着いて、風格ある建物」であった。

そして沢山歩いたのに少しも疲れない。緊張しない。

それは何故かと言うと、「住宅のような建物」であったからだ。

重々しくない。外も室内と同じ、白い壁と黒みがかった柱。軽い爽やかな緑の屋根。

連翠(小食堂)と千草と千鳥の間(休所)以外の舞良戸風のあかり障子の形の落ち着き。

杉・栂・松・欅・檜の温かい木の感覚。廊下から見える中庭の景色。

歩くうちに感じる高さと巾のリズム。

そういったものがすべて一体となって、安心の気持ちを人に与える効果があった。

白状すると、時々ドキッとしたのはシャンデリアである。壁画もところを得てないものがあった。しかしすぐにまた元の落ち着きになる。

吉村が思い描いていたであろう空間はちゃんとそこにあった。

電飾が心配されていたが大丈夫。当たり前だが、大変よく手入れがなされている。

保全計画も「古びたからといって取り替える」ということはしない、という方針である。

工務課の方々の知恵を信じて帰ってきた。

吉村がこの仕事で最も明らかにしたかったことは、「オルガ二―ゼーションとデザイン」ということである。

建築家は責任をもってすべての要素を綜合したデザインをする。

そのためには一人のチーフデザイナーとそれを助ける数人の優れた人材が最初から最後まで、配置から現寸まで、庭園から引き手まで、デザインしなければよい建物は出来ない。

そんな吉村の思いがこもっていた。

また、この建物の構想が、あの軽井沢の山荘のデザインと同じ時に始まり、山荘で完成したことも付け加えておきたい。

爽やかな思いがこもっていえる。

(文責 奥村まこと)


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by y-hikage | 2019-04-29 10:44 | 吉村順三ギャラリー | Comments(0)
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