明日の
平成31年4月30日
宮殿にて、
天皇の退位の儀式がおこなわれ、
令和元年5月1日
やはり宮殿で
新天皇の即位の儀式がおこなわれます。
言うまでもなく
この宮殿の設計は、
建築家・吉村順三(1908~1997)によるものです。
竣工は1968年。
この宮殿の建築的なデータには、
基本設計:吉村順三
実施設計:宮内庁臨時皇居造営部
と書かれています。
(作品名は「 新宮殿 」)
これは、
新宮殿の実施設計に入った段階で、
吉村順三の設計に対する考えが
宮内庁に受け入れられず、
吉村は建築家としての立場を明確にするため、
設計を辞退したためです。
この経緯により
吉村順三の設計は基本設計までとされていますが、
この基本設計の図面を見ると、
基本設計の密度をはるかに超えた
実施設計のレベルに達していました。
竣工写真を見る限り、
一部の装飾的な部分を除くと、
忠実に吉村順三の設計に基づいているように
僕には思えました。
なにはともあれ、
尊敬してやまない
建築家・吉村順三が設計した宮殿で
天皇の代替わりの儀式が
おこなわれるということが、
なによりもわくわくする気持ちになります。
平面図
中庭に面した上の部屋が
儀式が行われる「松の間」
断面図
配置図
上記図面三点は
吉村順三記念ギャラリーで撮影したもの
屋根伏図航空写真
FIXのガラスの向こうに見える横繁の障子。
この障子が縦繁の障子だったら
全くちがう見え方をしていただろうと思います。
障子の桟が横方向のみによって、
よりのびやかな水平線を強調しています。
2008年11月、
吉村順三記念ギャラリーで
「新宮殿」の展示がありました。
この展示で作成されたチラシに
元所員の故奥村まことさんの
文章が書かれています。
今回再読しましたが、
とても素敵な文章で感銘を受けました。
涙が出そうになるほどに・・・。
奥村まことさんの文章を読んでみようと思います・・・。
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2008年8月26日、宮内庁の工務課が「宮殿長期保全計画」を策定するについて、各界の意見を求めており、当時吉村設計事務所にいた元所員が、宮殿を拝見した。
丁度40年経っているので、状態を見るのは大切なことだ。
全体の印象は「静かで落ち着いて、風格ある建物」であった。
そして沢山歩いたのに少しも疲れない。緊張しない。
それは何故かと言うと、「住宅のような建物」であったからだ。
重々しくない。外も室内と同じ、白い壁と黒みがかった柱。軽い爽やかな緑の屋根。
連翠(小食堂)と千草と千鳥の間(休所)以外の舞良戸風のあかり障子の形の落ち着き。
杉・栂・松・欅・檜の温かい木の感覚。廊下から見える中庭の景色。
歩くうちに感じる高さと巾のリズム。
そういったものがすべて一体となって、安心の気持ちを人に与える効果があった。
白状すると、時々ドキッとしたのはシャンデリアである。壁画もところを得てないものがあった。しかしすぐにまた元の落ち着きになる。
吉村が思い描いていたであろう空間はちゃんとそこにあった。
電飾が心配されていたが大丈夫。当たり前だが、大変よく手入れがなされている。
保全計画も「古びたからといって取り替える」ということはしない、という方針である。
工務課の方々の知恵を信じて帰ってきた。
吉村がこの仕事で最も明らかにしたかったことは、「オルガ二―ゼーションとデザイン」ということである。
建築家は責任をもってすべての要素を綜合したデザインをする。
そのためには一人のチーフデザイナーとそれを助ける数人の優れた人材が最初から最後まで、配置から現寸まで、庭園から引き手まで、デザインしなければよい建物は出来ない。
そんな吉村の思いがこもっていた。
また、この建物の構想が、あの軽井沢の山荘のデザインと同じ時に始まり、山荘で完成したことも付け加えておきたい。
爽やかな思いがこもっていえる。
(文責 奥村まこと)
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