
3月のお彼岸に、
岩手県の実家・軽米町に
東北新幹線で帰省しました。
新幹線にのると
毎回楽しみにしている機内誌
「トランヴェール」の
3月号のテーマは
「“食“再発見岩手の旅」でした。
その特集に
軽米町の食文化が紹介されていました。
おそらくトランヴェールに
きちんとした形で
「軽米町」が
紹介されるのははじめて
(だと思います)。

岩手県九戸郡軽米町
(くのへぐんかるまいまち)は、
青森県との県境に位置します。
地図はトランヴェールに
掲載されたものではありません。
トランヴェールという意味は、
フランス語で「緑の列車」という
意味であると小さく書いてありました。

ところで子どものころから
「軽米(かるまい)」の
町名の由来が気になっていました。
たぶん米が軽いから
軽米と名づけられたのだろうと
想像していたのですが、
3月号の記事を読むと、
あながち
間違ってはいないことがわかりました。
そこで特集記事の
巻頭の文章を読んでみることにします。
※ ※ ※ ※
青森県と接する「県北」では、ヒエ、アワ、キビ、そばなど雑穀の生産が盛んだ。
(中略)
二戸市や軽米町など、山地が多く平野部が少ない県北地方では、稲作に向かない地形的条件に加え、夏に発生する「やませ(偏東風)」が米作りを阻んできた。
やませとは、冷たい濃霧などを発生させる北東風のこと。
例年6月から8月に多発するが、この時季はちょうど稲の成長期から出穂・開花期に当たるため、やませはしばしば大冷害の元凶となった。
そのため、古くから稲よりも寒さへの耐性が強い雑穀の栽培が盛んで、盛岡藩の記録によると、江戸時代中期には多くの品種が栽培されていたという。
「当時の文献に雑穀の作り方、食べ方の工夫を指南した農業書も残り、地域ぐるみで雑穀栽培に取り組んでいたことがうかがえます。お米の代わりに雑穀を冬場の貯蔵品とし、いかにおいしく、アワやヒエ、キビ、そばなどを食べたらよいかという先人の知恵が、県北の郷土食には今も息づいているのです」(岩手大学副学長の菅原悦子さんの解説)
では、もちに当たる県北のハレの食べ物は何かというと、そばきり。米の代わりに育てた雑穀のひとつであるそば粉を粉にして練り、麺にしたもので、特別な日にそば振る舞いをする習慣が生まれた。
※ ※ ※ ※




2018年12月号の「広報軽米」にも
偏東風「やませ」と
「エゴマ」との関係が書かれていました。


1958年10月発行の岩波写真文庫。
この中で軽米町が属する
九戸高原についてこう書かれています。
※ ※ ※ ※
北上山地の北部は樹枝状に開析が進んだ上を火山の噴火の噴出物が蔽っている。
ここは一帯の畑作地帯だが、1人当たりの農業生産額は県内で最低である。
米は出来ないので、稗をつくる。昔から広い草地を利用した牧馬がさかんだったこの九戸高原にも、酪農を主体とする開拓地がひらかれ、さらに機械開墾による入植も計画されている。
現在鉄道は通らず、海岸と内陸をつなぐバス路線が唯一の交通機関となっている。
※ ※ ※ ※
現在鉄道は通らず、
海岸と内陸をつなぐバス路線が
唯一の公共交通機関となっている
・・・のは現在も同じです。


軽米町でみつけた古舘製麺所の
「やませそば」
おそらく偏東風「やませ」から
とったそばの名前。
おいしかったです・・・。