12月のはじめ、
旧吉田茂邸を見学するために、
大磯城公園の中を
探し歩きましたが吉田茂邸は
見つかりませんでした。
しばらく歩いてから、大磯城公園は
国道を挟んで
北のゾーンと
南のゾーンに
分かれていることを思い出しました。
歩いていた公園は北のゾーン・・・。
旧吉田茂邸は南のゾーンにあったのでした。
ああ無駄なことをしてしまったと・・・、
心の中でひとりごとをつぶやきながら
歩いていたら、
茶室「城山庵」と書かれた
目印板を見つけました。
特に期待もせずに
茶室「城山庵」に入ってみたら、
国宝建造物の
茶室・如庵の写しだったことを
知り驚きました。
普通、茶室は内部に入ることはできません。
せいぜい窓から内部を眺めるだけ・・・。
ところが国宝建造物・如庵の写しである
茶室「城山庵」は内部に入ることが可能でした。
そうここは、
好きなだけ座っていられるという
特別な場所だったのです。
しかも国宝建造物・如庵の中に・・・。
とてもいい建築を見つけました。
空間体験をしながらスケール感を勉強できる
「 教室 」を見つけました。
思えば、茶室「如庵」は
3回移築されていました。
茶室「 如庵 」は、
織田有楽斎によって元和4年(1618)に
京都・建仁寺塔頭正伝院の中に
書院に付属する数寄屋として創建されました。
その後、明治41年(1908)に
三井家麻布本邸に移築され、
次に昭和13年(1938)に
三井家大磯別邸城山山荘に移築されました。
その後、昭和45年(1970)に
名古屋鉄道の所有にとなり、
昭和47年(1972)に犬山城下の
現在地・有楽苑に移築されて
現在にいたります。
国宝建造物「如庵」の写しである
茶室「城山庵」の外観。
床の間
手前座を躙口から見る。
躙口
風炉先の中柱と火灯型にくりぬいた板。
渡り廊下も原型を模しているように思います。
書院の廊下
書院も原型である正伝院を
完全ではありませんが写しています。
床の間も正伝院・書院を模しています。
茶室「如庵」の立面図
如庵の正面外観。
西端約1.5mがくぼんで土間庇になり、
躙口はこの土間庇の中に設けられています。
屋根は入母屋造、杮葺、
妻壁に「如庵」の扁額がかかっています。
昔、見学に行ったときの紅葉が見事でした。
土間庇の半屋外空間
内部は、
二畳半の客座の北東に台目の手前座、
北に床を配した、二畳半台目下座床の構え。
床柱と中柱の間を広くするために、
床を畳より小さい台目床とし、
手前座との間に三角形の地板を入れています。
手前座は出隅に炉を切る本勝手向炉とし、
風炉先には杉丸太の中柱を立て、
杉の一枚板をはめこんで
客座との結界としながらも
炉寄りを火灯形にくりぬいて、
南面下地窓からの採光を
手前座まで導いています。
化粧屋根に突上窓が設けられた掛込天井。
正伝院・書院
正伝院・書院の床の間
如庵がある有楽苑の全体配置図
如庵と正伝院・書院。
渡り廊下でつながっています。
如庵の平面図
如庵の矩計図
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大磯の地は、
北鎌倉にある日影アトリエから
それほど遠くありません。
またじっくりと見に行こうと思っています。
図面をもって・・・・。