国宝建造物・羽黒山五重塔を見学しました。
10月の終わり、
山形県鶴岡市羽黒町の
国宝建造物・羽黒山五重塔
を見学してきました。
高さ29m、
三間五層の杮葺・素木造りの五重塔。
羽黒山(はぐろさん)は、
月山(がっさん)、湯殿山(ゆどのさん)と共に
出羽三山(でわさんざん)と呼ばれ、
遅くとも平安時代末期には、
山岳修験の拠点になっていたと
考えられています。
このうち羽黒山の
山頂付近の平坦地には三山の神を祀る
三神合祭殿(さんしんごうさいでん)が
池(御手洗池)に面して建っています。
山頂に至る約2㎞の参道は、
樹齢300~600年に及ぶ老杉が生い茂り、
石段は全部で2446段に及ぶとされています。
この参道の一の坂登り口に
国宝建造物・羽黒山五重塔が建っています。
五重塔の創建については、
承平年間(931~938)平将門の建立と
伝えられていますが、
現在の姿は
その後の再建によるものと言われています。
その再建時期についても
「羽黒山旧記」によると
応安五年(1372)と伝えられていますが
定かではないようです。
しかしながら建築様式からみて
応安年間(1368~1375)の再建と
考えられています。
周囲の古木の中に
ひっそりと建つ五重塔は、
純和様の手法で造られているため、
華やかさがなく、
長年の風雪によって木肌が風蝕し
厳粛な空気を漂わせています。
純和様で造られ、
様式の破たんも一切なく、
正統的な中世五重塔の姿をしています。
垂木の割付や腰長押の下に束を入れるなど
古い手法を厳格に守っています。
この古式な寸法計画を厳格に踏襲する姿は、
素朴な美しさと修験道の精神を
表現しているようです。
また中央から遠く離れた
奥羽の山地にありながら
技術的な地方色がなく、
中央の技法をそのまま踏襲していて、
中世における奥羽地方と
中央の直接的なつながりを
示しているように思えます。
出羽三山五重塔を訪ねた時が、ちょうど
「羽黒山三神合祭殿再建200年記念」の最中で
約150年ぶりとなる「秘中の秘」とされた
五重塔の内部が公開されており、
八角形の「心柱」や
1階に設置された祭壇などを
見ることができました。
八角形の「心柱」
2446段の石段を登りました。
僕よりもおそらく年長の人たちに
追い抜かれ続け、
頂上まで1時間ぐらいかかりました。
羽黒山三神合祭殿
(はぐろさんさんしんごうさいでん)。
本殿が文化8年(1811)、
拝殿が文化14年(1818)の竣工。
重要文化財。
三神合祭殿の巨大な茅葺屋根を見ると
スケール感覚が狂ってしまいそうでした。
内部の柱の異様な太さにもおどろきました。
茅葺き屋根の鐘楼も重要文化財。
現在、国宝建造物は合計約220棟あります。
この全ての国宝建造物を
全て見るという途方もない長い旅・・・。
羽黒山五重塔が116棟目になりました。
次に見に行く国宝建造物を
どれにしようか思案中です・・・。
(追記)
もう何年も前から
東北の国宝建造物で唯一見ていなかった
羽黒山五重塔を見れたことで
ひとまずホットしています。
by y-hikage
| 2018-12-06 09:35
| 国宝建造物
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