2011年3月11日からの498日間の記録
2011年3月11日に発生した
東日本大震災のあとの南三陸町のまち。
たずねたとき
戦争のあとのように見えて
言葉を失いました。
津波によって紙のように
あとかたもなく流された家を見て、
建築の弱さを思い知り
建築をやめようかとも考えました。
もうあれから7年半も過ぎました。
あれから日本中で大きな災害が続き、
地震だけではなく大雨による被害も
たびたびおこるようになりました。
そのたびに2011年3月11日の
大きな地震と津波を思い出します。
人々は2011年3月11日のことを
「サンテンイチイチ」と
記号のように呼んでいますが、
東北の人の命を
記号化されているようで
あまり好きではありません。
先月の9月29日、
木の建築フォラム主催の
講習会の講師として
わずかな時間ですが講演しました。
テーマは
「木の建築賞受賞者が語る私の木造設計講座」
僕は
「2011年3月11日からの498日間の記録」
というサブタイトルで
「手のひらに太陽の家」について
設計から完成までの過程を
スライドで説明しました。
この講習会のために
スライドを整理していたら
当時のことを思い出しました。
2011年3月11日の翌日、
当時、
自由が丘にあった事務所から
逗子の自宅に戻り、
テレビをつけたら
東北の沿岸部が
大きな津波にのまれている
衝撃的な映像を目にしました。
岩手県に実家がある僕にとっては
ひとごとではなく、
なんとかしなくてはならないと
「 あせり 」、
いまもっとも必要なのは、
家族で寄りそえる家なのではないかと、
津波の映像を見ながら
モレスキンの手帳に
家のスケッチを描きました。
3月12日のことでした。
描いたあと
近くのコンビニでコピーして
宮城県の工務店にFAXしました。
こんな家を一緒に造ってくれないかと・・・。
そしてその翌週の3月15日に
宮城県で活動する友人の大場隆博氏から、
木造仮設住宅を建築できないか
という相談の電話がありました。
主に法的な手続きで・・・。
すぐに建築基準法上の根拠を調べ
図面を書き、
岩手県と宮城県の県庁に電話し
「木造仮設住宅を建築させていただけないか、
木もあるし人手もあるので・・・」
「お気持ちはありがたいのですが、
そのようなご相談は
現在おことわりしております」
という丁寧な回答につまずきました。
この木造仮設住宅の提案は
「NPO法人・日本の森バイオマスネットワーク」の
東日本大震災の復興活動ひとつでした。
木造仮設住宅の提案の可能性が絶たれ、
次に考えたのは
被災した家族のための
共同住宅のようなものでした。
この住宅が
「手のひらに太陽の家・プロジェクト」
につながり、
震災の3月11日から
498日後の
2012年7月21日完成までの
怒涛のような(僕にとっては)
日々が続きました。
3月12日に
描いた木造仮設ユニットを原点として・・・。
3月12日に描いた
木造仮設ユニットのスケッチ。
わずか3畳の箱が4つ集まった、
「鳥の巣箱」のようなイメージ。
体育館のような大きな避難所では
どうしてもプライバシーを
維持できないし、
家族同士でも本気で寄り添えない。
寄り添う場所が必要だ・・・。
木造仮設ユニットのスケッチ。
木造仮設ユニットのスケッチを
清書した図面。
3畳の箱の引き戸を開けると
中央が広間にかわり
共有のスペースが食堂になる。
工事の合理化と工期の短縮のために
壁は、落し板か杉板のパネル。
床は置くだけの朝鮮張り。
矩計寸法は4m材を半分に使えるように
土台下端から軒桁までの高さを2mとする。
木造仮設ユニットの模型。
この4つの箱をひとつのユニットとして、
木造仮設住宅ユニットの集落をつくる・・・。
という3月12日の構想・・・。
「日本の森バイオマスネットワーク」の
活動で考えた木造仮設住宅。
解体移築が容易な
渡りあご工法による伝統工法。
壁は落し板。
再利用を前提とするために
合板類などの新建材の使用をおこなわない。
この木造仮設住宅は
残念ながら実現しませんでしたが、
建築の基本方針として
「手のひらに太陽の家」に
引き継がれていくことになります。
2011年5月の終わりぐらいのことでした。
手のひらに太陽の家の平面図。
日本を代表するアウトドアのメーカーの
「モンベル」の全面的な支援を受け、
宮城県の登米市に土地を取得し、
建築上の手続きを重ね
着工したのは2011年12月のことでした。
完成したのは2012年7月21日のことでした。
地域の木材を使用し、
地域の職人によって建築し、
合板類をいっさい使用しない
伝統的な木組みで、
バイオマスエネルギーや太陽光発電などの
自然エネルギーを活用する建築
をテーマに建築されました。
以下、
「 手のひらに太陽の家 」の
模型と図面と上棟から完成までの写真。
この講座の司会およびコメンテーターは、
木の建築賞の選考委員をつとめた、
建築家の安藤邦廣先生と泉幸甫先生でした。
泉先生が、
手のひらに太陽の家を
「 のびやかな建築 」と言ってくれました。
僕の建築設計の中で
大切にしている
テーマの言葉のひとつだったので
うれしく思いました。
講義資料全ページを
日影アトリエのFBに掲載しました⇒
by y-hikage
| 2018-10-09 12:01
| 手のひらに太陽の家
|
Comments(0)