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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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国宝建造物・迎賓館赤坂離宮・その2

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国宝建造物である

迎賓館赤坂離宮について語るには、

44年間続いた

明治時代の国家事業としての

建築を振り返らなくてはなりません。


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時代が江戸から明治に変わり、

日本は欧米先進諸国の経済・文化をとりいれ、

近代的国家の形成をめざしました。

建築についても同様で、

まずは外国人技術者を雇って

古典主義的な洋風建築で

公共建築物を造ることを試みます。

次に、より専門的な外国人建築家によって

洋風建築が造られていきました。


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その外国人建築家の代表的な人物は、

日本人建築家の養成を行うべく来日した

ジョサイア・コンドルでした。

ロンドン生まれのコンドルは

明治10年(1877)に25歳の若さで来日し、

工部大学校・造家学科(現東京大学建築学科)で

建築を教えるかたわら

政府機関建築物を設計していきます。


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コンドルの教え子の一期生は、

東京駅を設計した辰野金吾のほかに

片山東熊(かたやまとうくま)、

曽禰 達蔵(そねたつぞう)、

佐立七次郎(さたちしちじろう)の

4人がいました。

辰野金吾と片山東熊は同い年で

工部大学校を明治12年(1879年)に

卒業したときの年齢は25歳でした。

明治期の洋風建築の前半は

主に外国人建築家によって設計されましたが、

明治20年に入ると、

日本人建築家たちが

明治前期の学習期間を終えて、

自らの手で本格的な洋風建築を設計し始めます。

その代表的な作品の一例をあげると、

辰野金吾による

日本銀行本店(明治29年)であり、

片山東熊の東宮御所

(明治42年・現:迎賓館赤坂離宮)となります。

特に迎賓館赤坂離宮の完成度は群を抜いており、

世界的な視点から見ても遜色がありません。


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ここで彼らの時間軸を眺めてみると

驚くべき事実がわかってきます。

明治時代に入る前の日本の建築は

言うまでもなく「日本建築」だけでした。

明治元年(1868年)は、

辰野金吾と片山東熊の年齢は14歳。

工部大学校を卒業したのは明治12年の25歳。

辰野金吾は42歳の若さで日本銀行本店を設計し、

片山東熊は55歳で

国家を代表する洋風建築・赤坂離宮を

完成させたのです。

日本での

「洋風建築ゼロスタート」の時代において

学校を卒業してたった30年間で

洋風建築技術を頂点までもっていく

スピードというかエネルギーには、

言葉にならないぐらいです。


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さて迎賓館赤坂離宮について

あらためて見てみます・・・。

片山東熊は

明治時代最大のモニュメントである

東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)を

実現するために他の技師とともに

数度にわたり渡欧し宮殿建築を調査します。

この数度に及ぶ渡欧や、

輩下たちの渡欧によって

培われた学習の成果が見事に結実し、

室内装飾は形態・色彩・構成・比例など

すべての点で、

完璧に近いかたちで精緻にまとめられています。

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外観は東宮御所とほぼ同年代に建てられた

ネオ・バロック様式による

ウィーンの新王宮や

ルーブル宮を模範にしてデザインしています。


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内部においては

フランス18世紀末・19世紀初頭の様式を主に、

各種の様式が完璧に摂取し

緻密に再現されています。

室内装飾の一部には、

日本の工芸美術がモチーフとして用いられ、

バロック的構成の効果を高めています。

西洋のネオ・バロック様式による芸術作品を、

日本的な工芸美術のエッセンスを

混ぜながら完璧なまでに再現しています。

この建築を造り上げた

建築家・芸術家・職人の技術レベルは、

明治期の後半において

最高レベルに達しています(世界的にみても・・)。


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正直に話すと国宝建造物としての

迎賓館赤坂離宮は

あまり興味がありませんでした。

しかし実際の内部空間に入ると

デザインや素材感やバランスの

美しさに感銘します。

赤坂離宮を構成する全てが職人の手仕事であり、

設計力や職人のセンスによって成立しています。

なるほど国宝建造物にふさわしい建築でした。


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ところで1974年(昭和43年)、

建築当初に復元することを基本に、

建築家・村野藤吾によって改修設計されて

迎賓館に生まれ変わりました。

現在、迎賓館赤坂離宮は一般公開されており、

厳重な警備の中で内部空間を見学できます。

見学は順番に部屋や廊下を歩いていくのですが、

最後の出口に降りる階段が、

唯一、迎賓館赤坂離宮らしくなく、

村野藤吾のデザインになっていると

気がついたのは僕だけでしょうか・・・。

流麗な手すりのデザインは、

村野藤吾そのものでした。

この階段の手すりを触って

階段を降りられたことが、

迎賓館赤坂離宮の見学コースの中で

最大のギフトでした・・・。

写真がないのが残念です。


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追記:

赤坂離宮は外観も左右対称で

平面も左右対称です。

1階は、

東側が皇太子殿下のゾーン

西側が皇太子妃殿下のゾーンです。

両者は機能も広さも同じで

建築的には同格です。

これは皇室建築としてはきわめて異例で、

手本としたフランスの宮殿でも

実現できていないとされています。

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by y-hikage | 2018-05-14 11:11 | 建築巡礼 | Comments(0)
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