
左右対称の建築で
すぐに頭の中に浮かぶのは、
法隆寺網封蔵と前川國男自邸です。
左右対称の建築は、
他にも世の中には数多く
残っていると思いますが、
現代の一般の住宅に絞ってみると
意外に少ないのではないのかと考えます
(改めて調べてみようと思いますが・・)。

法隆寺網封蔵の外観。

法隆寺網封蔵の平面図と立面図。

前川國男邸の外観。

前川國男邸の平面図。

前川國男邸の断面図。

前川國男邸の室内。
※
日影アトリエで設計した住宅でも
二棟しかなく「板倉の家(1998)」と
「中佐久間の家(2003)」のみです。
特に板倉の家の左右対称性においては、
自分で言うのは気が引けますが、
対称性の純粋性(プリミティブの強さ)
が高いのではないかと思います。
ちなみに「板倉の家」は
新築の木造住宅設計の中で
「天性院庫裏(1994)に続く
二作目です・・・。

この「板倉の家」は、
彰国社のディテール(1998年138号)に
掲載されたのですが、
掲載時に書いた僕の文章を懐かしく思い、
ここで再録してみようと思います。
建築技術的に「?」の部分もありますが、
意思の強さが静かに文章の底に
流れているように感じました。
やや長い文章ですが、
お時間のある方はどうぞお読みください。
(この文章の中で「農夫のような家」
という言葉が好きです・・)
※
敷地は東京近郊の山間地にある。農業を営む建主は当初から板倉のイメージを抱いていた。骨太な木材、木材の持つ断熱性と調湿性を生かし、質素かつ素朴で、飾り気のない農夫のような家を求めた。不必要な飾りを廃し、単純で堅牢で健康的な「用の美」あふれる経済的な住まいを追求する。自然素材のみの使用を原則とし高断熱・高気密という人為的な工法に頼ることはしない。総2階建ての簡潔な外観で、自然の風が通り抜ける柔軟な間取りを持つ内部空間にしたいと。
整形間取り、総2階建て、切妻屋根の住宅である。広間型の農家をモデルとし計画を始めた。民家の四つ間取りを東西に二室ずつ分散し、広間を中心とした対称架構とした。対称架構とすることは手間と材料の省力化にもつながると考えたのである。
平面的な対称は桁行方向だけではなく梁間方向も同様のもととし、北側に一間の下屋を葺き下している。対称は水平面だけでなく、1階と2階の間取りも一致させ、2階広間となる寝室が東西の子供室を結んでいる(垂直面の対称架構)。構造上極めて安定性のある対称架構は、東西の間口一間半コアが中央に開放的な空間を実現させ、同時に周縁との連続性も生み出す。
耐力壁もできるだけ対称に配置し、耐力壁は落し板壁と貫の併用とする。貫も落し板壁も化粧となり、内部に露出させ意匠の一部とした。落し板の外側は空気層を設け、杉板を張った両面真壁造。木部塗装は施していない。木材を適材適所に使用することで、耐腐朽性、耐蟻性を十分に得られると判断したためである。これらすべての木材は建主の支給品である。
骨組みは5寸角を基本とし、土台は栗、一般的な柱は杉、通し柱は檜、浴室回りの柱は栗を用いている。
野物や将来取替えが可能な部分は釘やビスを使用しているが、主要構造部は金物に頼らない工法としている。屋根は外壁を守るため軒の出は4尺とした。断熱性を考慮し、野地板と化粧野地板の間に空気層を設け、垂木は4寸角の杉を使用している。2階床板は朝鮮張りとし、甲乙梁に1階天井兼用の檜板を張り、床剛性を確保。
前述したように断熱材は使用せずに木材の性能と開口部の工夫のみに頼っている(竣工時点で暖を採るのは囲炉裏のみ)。高断熱・高気密に慣らされた人々にとっては対極に位置するこの家は、木材の調達から工事監理までやり遂げた建主の思想に一致するものである。
(ディテール138号より)

板倉の家の平面図。
手書きの図面に主要な軸線を赤線で示す。

ディテール掲載時の図面のコピー。

軸組の透視図。青焼きの図面。

竣工当時の板倉の家。
まさに「木だらけの家・・・」。
今は木だらけの家は設計しないと思います。
たぶん・・・。

2013年の冬に訪ねたときの板倉の家。
まさに「農夫のような家」に変化していました。

「山の中のいのしし」のようにも見えました。

築15年の室内。

築15年経過しても、
骨組みのあばれもなく、
新築当時ようでした。