先週の3月16日に木の建築フォラム主催の
「板倉構法(落とし込み板壁)の構造と防火性能に関する講習会」を
受講しました。
昨年、受講しするつもりでしたが、
「手のひらに太陽の家」の現場のことで頭がいっぱいで、
受講申し込みを忘れ、今年こそはと受講いたしました。
この講習を受けることで、
「杉の無垢材」で、
落とし込み板壁を耐力壁に使用することができることと、
外壁の防火構造を落とし板で設計することが可能となります。
実は昨年、完成した「手のひらに太陽の家」は、
この構法を採用しており、
構造設計をしていただいた桜設計集団の佐藤さまの資格によって、
この構法で設計することが可能となったのでした。
「手のひらに太陽の家」の設計担当の僕が、
この資格を持っていなかった反省から、
今後の設計のこともあり受講を決めました。
上の写真は、「手のひらに太陽の家」の住居棟の現場の写真です。
僕の背後の杉の壁は、30㎜厚の杉板を柱の間に落とし込んだ壁です。
この講習の中で、安藤邦廣先生の板倉構法の歴史の講義はとても興味深いものでした。
現在の倉は、土蔵造りが一般的だが、この土蔵は室町後期に都市部の防火構造として発達したものであると。
江戸時代には、東北地方にも土蔵は広がっていくが、防火性能の必要性の低さと森林資源に恵まれていることから、東日本の山間部には、現在でも板倉は残っていると。
板倉の構法は時代の進行によって変化し、
最初は、柱のない「せいろう倉」、次に「せいろう倉」に一部柱が加わり、「落とし板倉」に変化していくということ。
それが、「貫板倉」に発達し、防犯を考慮した「繁柱板倉」になり、
ついには倉は土蔵に変わっていくということ。
この上下の写真は、木の家ネットの建築ツアーで見た宮城の繁柱板倉です。
柱が、1尺間隔で立ち、上から板を落とし込んでいます。
深い庇の屋根は、天然スレートで葺かれ、
細かく柱が立つ外観は、とてもモダンに見えました。構造の美しさです。
この写真は那須の「貫板倉」です。
那須の家の現場のそばに建っていたものです。
宮城の板倉よりも部材が太く堂々とした構えでした。
安藤邦廣先生の講義によって、ますます板倉に興味をもちました。