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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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「手のひらに太陽をツアー」に講師として参加しました。

先週の2月13日~14日に

「ひと・環境計画」主催の「手のひらに太陽をツアー」に

講師として参加しました。

2011年3月11日の東日本大震災から

もうじき2年が経過しようとしています。

東北沿岸部から遠く離れた地域に住む私たちにとって、

時間の経過とともに、

あの3月11日の悪夢が

すこしづつ薄らいでいるようにも感じます。

このツアーの目的は、被災地に足を運ぶことによって、

東北沿岸部の現状を実体験すること、

そして福島の子どもたちの保養の家として

使っていただいている「手のひらに太陽の家」に

体験宿泊することでした。
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何度、訪れたことか、南三陸町の防災庁舎。

周辺は、さらに、更地化が進行し、

防災庁舎は、一人孤独に立っているように

僕には見えました。
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初日は、南三陸町歌津地区でカキの養殖を営む
若い千葉拓さんの話を聞きました。

被災地の現状について・・。

国や県は、将来の大規模な津波被害に備えて、その対策を進めています。
その目玉としているのは、スーパー防潮堤。
その計画全般は、
なんとなく人の又聞きや新聞記事で知っていたつもりでした。

ところが、千葉拓さん、
つまり地元の人の話を聞いて、とても驚きました。
防災計画は、まず地元住民が第一に優先されるべきもの・・。
それが、地元住民の意見を全く聞き入れずに、
高さ8.7mのスーパー防潮堤の計画図が
いきなり提示されたとのこと。
地元の人たちにとって、
海は、ふるさとであり、思い出でもあり、生活の糧でもあり、
この地域の魅力を未来に発信していく宝です。
この大切な海が、まったく見えなくなるような、
コンクリートの塊で、漁村を覆ってしまう国と県の計画。
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この上の図面が、地元住民に提示された計画図です。
グレーの部分が、高さ8.7mのスーパー防潮堤です。
海岸線から川沿い上流まで、
コンクリートの絶壁をつくる計画です。
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その計画を航空写真に落とし込んだ図面。
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この上の図面が、
国や県の計画案をなんとか、
町と生活を海に近づけようとして、
千葉拓さんが専門家と共に考えた案です。
これでも妥協案のようですが、
防波堤を海岸線から遠ざけ、
防波堤の高さを下げ、
その内側の地盤面を上げ(黄色い部分)、
海が見えるようにした案です。
(海が見えないと津波が来たことに気が付かないことも、
その理由のひとつとのこと)。

防潮堤がまったく必要ないとは思いますせんが、

地域固有の

住民の気持ちや

生活や

地理的な条件や

歴史的背景があるはずです。

この地域性を無視して、一律に計画を進めることに、

僕は大きな問題を感じます。

千葉拓さんの話は、

私たちが

知らなくてはならない被災地の現状だと思いました。
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初日の夜は、
「手のひらに太陽の家」の管理棟2階の多目的研修室で、
日本の森バイオマスネットワークの
佐々木理事長と大場副理事長の講義があり、
加えて、僕の「手のひらに太陽の家」についての
建築的な解説がおこなわれました。

真剣に聞き入る参加者の人たちです。
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「手のひらに太陽の家」の中の、

お湯をつくり、部屋をあたためる、

おおきなペレットボイラー。

ボイラーの煙突から煙がでているのをみて、

「ああ、家が働いている・・・。」

と思いました。
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前から欲しかった、

スタッフの人たちの手作りクッキー

「手のひらクッキー」です。

館長の細木さんから

「木の建築大賞」の受賞の記念に

帰りがけにいただきました。

もったいなくていまだに食べることができません。
by y-hikage | 2013-02-18 12:47 | 手のひらに太陽の家 | Comments(0)
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