手のひらに明日と明後日(10月13日から14日)は、年に一度の「木の家ネット」の総会が栃木であります。
昨年は、被災地の宮城県で行われ、初日は登米市内の会場が使われました。その会場は「手のひらに太陽の家」の敷地から歩いて数分の場所でした。
その夜の自己紹介の場で、
「次回の総会で、「手のひらに太陽の家」の報告をします」と話したことを思い出しました。
ところが、今年は、同じ日程で、
神楽坂建築塾の合宿、
「東日本大震災被災地を訪ねる/復興までの道のりを探る」の講師をすることになり、
「木の家ネット」に参加することができなくなりました。
僕にとっては、どちらも大切ですが、
僕が設計した「手のひらに太陽の家」の説明をする役目もあることから、
残念ながら、今回は「木の家ネット」の総会はあきらめることにしました。
3月11日の震災から、活動してきた「手のひらに太陽の家」は、
2012年7月21日に無事竣工しました。
様々な事情が、重なり、着工できたのは、2011年12月。
新しい年を迎えようとするあわただしい時期でした。
以前にも、紹介しましたが、あらためて、完成までの過程を、
簡単に振り返ってみようと思います。
(注:写真枚数がこれまでになく多く、長編の記事となっております・・・。)
全体の模型を木でつくりました。縮尺二百分の一です。
現在は、こんな風に樹木は育っておりませんが、
明治神宮から移植された苗木が育ち、20年後は、まちの鎮守の森になっていることをイメージしています。
まずは造成工事からはじまりました。
基礎工事中の俯瞰です。
墨付け刻みの下小屋は、栗駒木材の工場が使用されました。
使用する木材は、栗駒の燻煙杉です。
模型を持参して、棟梁と打ち合わせです。
住居棟東棟が組み上がりました。
住居棟西棟が組み上がりました。
落とし込み板壁も軸組の間に組み込まれています。
軸組は渡りあごとしています。
住居棟西棟の北側廊下。この広く長い廊下が、子供たちの遊び場所になる予定です。
東西の住居棟が組み上がった状態を俯瞰します。
工程をずらしながら、管理棟の基礎配筋検査が行われています。
住居棟東棟側から、管理棟を見ます。
外壁の断熱材は、杉のフォレストボードを使用しています。
管理棟の建て方が始まりました。
管理棟の建て方の状況を俯瞰します。
管理棟が上棟した妻面です。
屋根勾配は、八寸五分です。
管理棟垂木完了時の俯瞰。
管理棟垂木完了時の南側正面。
垂木は90㎜角の303㎜ピッチです。
上棟式が始まります。
管理棟の木工事の様子。
住居棟の個室の木工事の様子。
個室は、東西の住居棟に四室ずつ、合計八部屋あります。
ひとつの部屋の大きさは、八畳。
それぞれに、便器・洗面・浴槽の三点式のユニットバスが設けられています。
管理棟の2階の多目的研修室。
断熱材はウールブレスを使用しています。
管理棟の外壁の板張り風景。
外壁は、杉板の目板おさえ。
予算がないので、
スタッフやボランティアで、外壁の塗装や、左官の下地を行いました。
外壁の塗装の後の記念撮影。
管理棟の南側屋根面の太陽光パネルの工事がはじまりました。
7月21日。
やっとのことで竣工しました。
延べ床面積が127坪です。
造成から8か月かかりました。
南側正面。
東は、田んぼです。
周辺には、学校があり、通学路に敷地は面しています。
西側からみる外観。
現在の庭は土が目立ちますが、少しずつ緑が増えていくことでしょう。
管理棟の1階。
共用の食堂と広間です。
管理棟二階の多目的研修室。
独立柱と小屋組みが、子供たちのジャングルジムになろうとは、
まったく想像できませんでした。
管理棟と住居棟をつなぐ渡り廊下と階段。
この場所も、こどもたちの遊び場所です。
住居棟の個室。
白いドアは、ユニットバスの入口。
白いパネルは、バイオマスボイラーから供給される温水暖房パネル。
右側の壁は、落とし込み板金がそのまま仕上げになっています。
左側は押入れの杉の建具です。
将来の庭の完成予想図を書きました。
南の中央に井戸を掘り、災害用として使用。
夏は、子供の水遊びになり、その流れが、ビオトープになる計画です。
2.5mの擁壁は、間伐材を使用した自然の崖になればいいと考えています。
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完成してから、福島の子供たちの、
保養の場所として活用いただいています。
放射能のために、外で遊べない子供たちが、
「手のひらに太陽の家」に宿泊しながら、川遊びなどを楽しんでいます。
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お願い:
手のひらに太陽の家は皆様からの寄付金によって運営されています。
頂いた寄付金は「手のひらに太陽の家基金」として、
子どもたちの生活支援や施設の管理運営に活用されます。
詳しくは、「手のひらに太陽の家」プロジェクトへ
⇒http://taiyounoie.org/donation