昨日は、朝に墓参りをしたあとに弟と(弟は大工)、
岩手県の沿岸北部の久慈市と野田村の「被災した状況の現在」を見てまいりました(⇒その報告の記事は別枠で設ける予定です)。
お盆は、なにかと忙しく、そんなことをしている余裕はないはずですが、無理に弟に運転をお願いしました。
(僕は、車の運転は一応できますが、景色を読み込むためにいつも助手席で・・)
弟とは、今までに何度か、この地域の民家を見て回っています。
運転は、弟にお願いし、勘を頼りに、車で行動します。
「あっ!、ちょっとストップ!、バックして、右に曲がって!」
「あっちに、芝棟が見える!。先を左に上がって!」
「この山道をひたすら進んでいくと、民家があるはず!前に進もう」
「兄貴、行き止まりだと思うけど・・」
「そんなはずはない!とにかく行ってみよう」
こんなふうに、昨日も、久慈と野田村を見て回りました。
さて、夕方から、お盆の夜の準備です。
お盆は地方によって、
そしてその地方の中の、小さな地域によって、
あるいは、信仰する宗教によって、お盆のやりかたはちがうようです。
この岩手の軽米町もそれはかわりません。
でもその場所にはいつも「火」があります。
たっぷりと油を含んだ赤松の木端(こっぱ)を夜になると、
家の前で燃やし始めます。
その景色とにおいは、とても好きです。

木端を燃やす容器は、
いつからか、いつからか、
知らずに何度かかわっています。

むかえ火。

花火

弟の家。
蝋燭の火をたてる準備をしています。
「この家では」、この釘に蝋燭をたてて火をつけるのが昔からの習慣です。
蝋燭のロウが、腕木にこびりつかないようにキュウリを薄く切って釘に差し込み、ロウの受け皿とするのです。

それぞれの思いで蝋燭に火をつけられました。

三人の甥っ子たちの、小さな手で、蝋燭に火がつけられていきます。

また来年のお盆も、その次のお盆も、同じように彼らの手で蝋燭に火が灯されます。

毎年の行事。これが地域の伝統といえば少し大げさになりますが、
同じことを繰り返せることの幸せというものを最近、考えるようになりました。

花火をはじめた甥っ子。

甥っ子から、借りて玩具の眼鏡をかけて記念撮影です。