新年のすがすがしさに相応しい建築はなんだろうと考えた末、桂離宮を今年最初の建築巡礼に選びました。
また吉村順三のこの言葉が桂離宮を選んだきっかけにもなりました。
-釣り合い-
建築の技術とは、いうまでもなく、堅固で丈夫な骨組をつくること、工学的な設備をすることだが、芸術面というと「釣り合い」---すなわち、できあがる構造体の寸法や比例、部屋の大きさ、柱の太さ、これらのつくり出す空間の造形美によって、感動をあたえるということであろう。古い建築が今の用に立たなくとも、なお、われわれに感動を与えるのは、この芸術性のためでなくてなんであろう。
桂離宮は、今、そこに生活する人はいない。建築としての実用目的は果たされていない。しかしそこを訪れるわれわれは、心を豊かにされ、喜びにみたされるのである。それは、この建物がつくられたときの作者の創意によって、当時の生活のあらゆる機能が良く生かされ、さらにこれを見事に完成した造形の力が、確固としてあるからである。
吉村順三「建築は詩」より

桂離宮の草創は江戸時代はじめ、十七世紀初頭に遡ります。創始者は八条宮智仁親王(はちじょうのみやとしひとしんのう)と、それを受け継いだ二代目の八条宮智忠親王(はちじょうのみやとしただしんのう)です。着工は、元和二年(1616)前後、完成は智忠親王が死去した寛文二年(1662)頃とされています。智忠親王は豊臣秀吉の養子になった経験をもつこと、「下桂の茶屋」が(桂離宮と命名されたのは明治十六年から)着工された時期が大阪夏の陣(1615)で豊臣時代が完全に終焉した時期であことなど、時代の大きなうねりの時期にこの建築は構想されました。吉村順三が言う「この建物がつくられたときの作者の創意」を読むには、作者である智仁親王と智忠親王が置かれた環境にも目をむける必要がありそうです。