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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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カテゴリ:鎌倉の建築( 34 )

鎌倉の妙本寺

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大町の家の現場に行くのは

朝の8時半から9時の間です。

現場に行く道順は決まっていて、

鎌倉駅を出て、

本覚寺の境内を抜け、

妙本寺の総門の突き当りを

右に曲がった路地を進みます。

今朝は少し早めに製図室を出て、

妙本寺の総門を右に曲がらずに

そのまま門をくぐり、

妙本寺の境内に入りました。

妙本寺はいつも朝早くに行くせいか

人影がありません。

実は、

鎌倉の寺の中で妙本寺は

東慶寺の次に空気が

澄みわたっていることを

知っている人は少ないかもしれません

( 僕が感じていることなので一

般論ではないかもしれませんが・・・)。

なので、妙本寺は好きな寺のひとつです・・・。



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by y-hikage | 2017-09-08 15:02 | 鎌倉の建築 | Comments(0)

吉田五十八設計の吉屋信子邸

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旧吉屋信子記念館は、

鎌倉の由比ガ浜通りを

北に入った突き当り建っています。

今年、鎌倉市内では国有形文化財に

三棟指定されましたが、

旧吉屋信子記念館はその中の一棟です。

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作家・吉屋信子の家は、

1962年に建築されたものです。

設計は近代数寄屋建築の第一人者である

吉田五十八(よしだいそや)です。

吉田五十八は、

吉屋信子の家を三回設計していますが、

鎌倉の家は最後の設計です。

〇 〇〇 〇 〇

鎌倉市長谷にある吉屋信子邸は、

既存建物を移築再生し増築したものです。

この家の解説を

吉田五十八はこのように書いています。


〇 〇〇 〇〇


この三番目の家は、古い家を買って改造されたものであるが、昔の家であるため、今どきの家のような、へんに利口がった、こましゃくれたものにならず、どこかぼうっと間の抜けたところがあって、おもしろい家になったようでもあるし、また、そこを吉屋さんも喜ばれたようである。


「改造の魅力」とでもいうのであろう。昔から、ひとの家を買うときは、うめ木の跡の多い家を選べ、きっと住みいい家であるという口伝が残っている。今度の吉屋さんの家も、この口伝通り、住みよい家に違いない。

(「室内」196211月号より抜粋)


〇〇〇 〇 〇


吉屋信子邸は、

今まで何度か見ていますが、

なんとなく大雑把な印象を抱いてきました。

この大雑把さ加減は、

移築再生されたことが理由なのか

僕はわかりません。

ただ吉屋信子は吉田五十八に

「奈良の尼寺のように」という

設計コンセプトを与えたとされていますので、

このコンセプトの延長上に

この家の空間があるのかもしれません。

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吉屋信子邸の建築的な特徴は、

なんと言っても天井の意匠に

あるように思います。

吉田五十八にしては、

前衛的なかたちと文様をしており、

僕の知る限りでは吉田五十八の作品では、

この家だけです。

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国指定有形文化財に指定されたのは、

主屋だけではなく、

門と塀も共に指定されました。

門は数寄屋風の肘木(ひじき)門(二脚門)。

塀は石積みの家に化粧土台を回して、

桟瓦葺き・腰板付きの土塀としています。

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参考までに鎌倉市内で、

吉田五十八の作品で

一般に見学できる建築が

もうひとつあります。

鏑木清方記念美術館の中にある画室です。


鏑木清方(かぶらぎきよたか)は

懇意にしていた建築家の吉田五十八に

牛込矢来町の画室の設計を依頼します

1932年、その後戦渦により焼失)。

この画室をたいそう気に入っていた清方は、

この鎌倉雪ノ下に牛込の画室を

模して再建しています(1954年)。

この美術館に展示してある部材は

その当時のものを再利用しているとのことです。

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by y-hikage | 2017-04-04 07:35 | 鎌倉の建築 | Comments(0)

三渓園の東慶寺仏殿

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横浜市本牧の三渓園に建つ

「旧東慶寺仏殿」は、

もともと北鎌倉の東慶寺にあった仏殿で、

明治40年に三渓園に移築されたものです。

なぜ東慶寺仏殿が三渓園に移築されたのか・・・。

西和夫著作の「三渓園の建築と原三渓」を

読むとこう書かれています・・・。


〇〇 〇 〇 〇


江戸時代の東慶寺は112貫という寺領をもっていた。石数にすると約450石、鎌倉では鶴岡八幡宮、円覚寺に次ぎ、建長寺より多い。

しかし明治に入り、寺領を上地し(明治政府に没収され)、明治五年には円覚寺の末寺となった。

駈込寺あるいは縁切寺と呼ばれるもとになった縁切の寺法も廃され、寺は急速に衰退した。年貢も入らず、山林も大部分失脚し、子院も全部消滅した。

このころの東慶寺はひどい廃寺で、本堂の雨漏りがひどくて傘をさして経を読んだ。という状態であった。

仏殿がなぜ明治40年に三渓園に移されたか、それは上のような状態だったからである。恐らく仏殿は維持がむずかしかったのであろう。原三渓が建物を救ったといってよい。


〇 〇 〇〇  〇

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旧東慶寺仏殿の様式は室町時代に属し、

1509年(永正六年)の火災後に

再建されたとされています。

禅宗様の様式の特色をよく保持し、

この仏殿は重要文化財に指定されています。

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現在の東慶寺本堂・・・。

この建築は、鎌倉内でも

好きな建築のひとつです・・・。


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by y-hikage | 2017-04-03 11:14 | 鎌倉の建築 | Comments(0)

三渓園の天授院

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横浜市本牧にある三渓園には、

鎌倉に関係する建造物が二棟建っています。

ひとつは「天授院」。

もうひとつは「旧東慶寺仏殿」です。

三渓園は、明治時代の実業家・原三渓が

日本各地の建築を移築し、

建築が庭にちりばめられた庭園です。

これらの建物は

住宅、茶室、仏寺の本堂などさまざまです。

移築された建築は、原三渓が財力にまかせた

単なる趣味の世界で集めたものではなく、

旧地では存続がむずかしく、

消滅の危機に立たされている名建築を

救う思いがあったとされています

(僕の推測・・・)。

鎌倉から移築された

「天授院」と「旧東慶寺」も同様の物語の中で

原三渓の庭園によみがえったものだと思います。

〇 〇〇 〇

さて「天授院(てんじゅいん)」ですが、

もともと北鎌倉の

建長寺の塔頭・心平寺の地蔵堂で、

1651年(慶安四年)の建立とされています。

天授院という名称は、

原三渓の養祖父・善三郎の法号で、

天授院は原家の持仏堂の役割を担っていました。

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1651年建立の天授院は、

重要文化財に指定されています。


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by y-hikage | 2017-04-01 16:34 | 鎌倉の建築 | Comments(0)

鎌倉・浄妙寺の喜泉庵

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旧華頂宮邸の近くの

浄妙寺の境内の中に建つ「喜泉庵」は、

鎌倉の建築の中でも好きなうちのひとつです。

もし誰かに

「鎌倉に行くけど

いいところ五つ教えてほしいです」

と聞かれたら、

必ず「喜泉庵」が五つの中に入ります。

どこが好きかと聞かれたら、

木造で日本的でありながら、

のびやかで

清らかで

凛としていて

澄みきっていてシャープなところです。

あきらかに理想的な空間が実現されています。

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喜泉庵は、
隣町の大船から1991年に移築されたものです。


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by y-hikage | 2017-03-31 10:20 | 鎌倉の建築 | Comments(0)

鎌倉の旧華頂宮邸

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旧華頂宮邸は、

鎌倉市東方の谷戸・

宅間ヶ谷(たくまがやつ)の

中ほどに建っています。

1929年(昭和4年)建築の華頂宮邸は、

神奈川県の洋風住宅建築では、

旧前田侯爵別邸(鎌倉文学館)に次ぐ

大規模なものとされています。

様式はハーフティンバーですが、

水平垂直の意匠が整然としていて

厳格かつ端正なデザインになっています。

この建築の中で好きな場所は、

2階の階段室です。

階段室の天井は小ヴォールトが連続し、

近代的なデザインを感じさせてくれます。

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2階の階段室の天井・・・。

小ヴォールトが連続し、

古典的というよりも

モダンデザインを感じさせます。

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旧華頂宮邸の開口部も好きなひとつです。

繊細なスチールサッシの

デザインがとても美しく、

現在ではなかなか製作できません。


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同じ敷地内に、無為庵(旧松崎邸)があります。

昭和46年に東京・上大崎から移築された茶室です。


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小ヴォールトが連続する、

2階の階段室の天井・・・。

〇〇 〇 〇〇

旧華頂宮邸は、
国登録有形文化財と
鎌倉市景観重要建築物に
指定されています。

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by y-hikage | 2017-03-30 14:45 | 鎌倉の建築 | Comments(0)

鎌倉山の扇湖山荘


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もう何年も前になりますが、

知人から鎌倉山に

すごい木造建築が残っていて、

見学をできることになったので

見に行かないかという誘いを受けました。

さて、

どんなにすごい木造建築なのかと

半信半疑で、

見学に行ったところ本当に

すごい木造建築だったので驚きました。

規模においても、

好みはあるにしても

その贅の尽くしようは

なかなか例えようのないものでした。

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この「扇湖山荘(せんこさんそう)」について、

どんな風にコメントしていいのか

わからないので、

公式と思われる施設概要説明の文章が

手元にありますので、

そのまま引用してみたいと思います。


〇 〇 〇 〇


鎌倉山に建つ扇湖山荘(旧鎌倉園)は、敷地面積14000坪に、本館、茶室等の建物及び庭園並びにこれを取り囲む自然環境が、一体となって優れた風致景観を形成している施設で製薬会社「ワカモト製薬」の創業者の長尾氏の別邸として建てられたもの。

「扇湖山荘(せんこさんそう)」名前の由来は、長尾氏が杉の木立から海が扇型に見えることから名付けられたという。

本館は飛騨高山の民家を昭和9年に移築し、手を加えたもので、昭和戦前期の和風文化を画す代表的な大型遺構といってよく、類型が取り壊されていく中で、今や貴重な存在であり、鎌倉市内においても明治期以降の建築物の中では屈指のもので、歴史的・文化的価値を有するものとされている。

茶室は、明治時代に伏見別邸に建築された茶室をそのまま移築したもので、高い文化財的価値を有するものとされ、庭園も明治から昭和に至る数寄屋建築の世界で有名な造園の作とされている。

昭和9年に長尾氏の「別荘」として建てられた後、「長尾美術館」、料亭「鎌倉園」を経て、昭和564月に三和銀行が取得し、平成113月まで「研修所」として使用していた。平成2210月に三菱東京UFJ銀行から鎌倉市へ寄付された。


〇 〇 〇 〇

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世の中には

知らないことがたくさんあるんだと

つくづく思いました・・。

扇湖山荘が鎌倉市の所有になってから

今後どのような活用をされるのか、

興味のあるところです・・・。


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by y-hikage | 2017-03-28 10:40 | 鎌倉の建築 | Comments(0)

鎌倉市御成小学校旧講堂と旧図書館

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鎌倉駅西口を出てすぐの場所に、

御成小学校旧講堂と

鎌倉町立旧図書館が建っていて、

解体するか保存するかで、

市や市民の間で議論が続いていたのですが、

2015年の夏ぐらいに共に保存が決定され、

ひとまずホットしていたのですが、

つい最近、

御成小学校旧講堂が国登録有形文化財に

指定されたのを新聞で見て驚きました。

建造物では国内登録有形文化財指定件数は、

8558件で、

そのうち鎌倉市内では26件あるそうですが、

これら8558件のどれかが

重要文化財に格上げされ、

さらに国宝建造物に格上げされていきます。

( はげしい競争率ですね・・ ! 笑 )

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鎌倉市立御成小学校旧講堂は

1993年に建築されました。

僕の眼でみると和洋折衷の混合の具合が

奇妙で不思議な建築に写ります。

その一方で、

新幹線で東京から京都に着くときに見える

東寺の五重塔のように、

鎌倉 イコール 

御成小学校旧講堂のようにも思います。

( ちょっと比較が極端すぎますね・・・)

鎌倉市役所も移転されそうなので、

市役所に隣接する旧講堂と旧図書館が

今後どのような保存活用を

されていくのか気になるところです。

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鎌倉町立旧図書館の外観・・・。

1936年に建築されました。

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鎌倉町立旧図書館の内観。

外観を見ると

老朽して弱よわしく見えますが、

内部に入ると

まだまだ使えそうな建築だと思いました。



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by y-hikage | 2017-03-26 11:33 | 鎌倉の建築 | Comments(0)

白井晟一の設計の浄智寺庫裏

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この記事を書くために

さっき、近くの浄智寺に行ってきました。

以前にも何度か記事にしたのですが、

北鎌倉の浄智寺庫裏は、

和風建築の巨匠・白井晟一の遺作です。

年表では、

京都嵯峨野の「雲伴居」が遺作とされていますが、

どうも浄智寺庫裏が遺作のようです。

浄智寺庫裏は何度見ても名作だと思います

(雲伴居も実物を見たことがありますが、

こちらは名作中の名作です)。

どちらもとにかく屋根が美しいのです。

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故・白井晟一は1983年(昭和58年)に

死去されていますので、

浄智寺庫裏の完成は

1983年前後ということになります。

この建築の詳細記事は、

2014214日付けで「鎌倉の建築」の

カテゴリー内に保存されています。

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浄智寺に咲いていた

ミツマタとトサミズキの花が

きれいでした・・・。


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by y-hikage | 2017-03-24 11:11 | 鎌倉の建築 | Comments(0)

旧和辻哲郎邸

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鎌倉の鶴岡八幡宮のすぐ西側に

旧和辻邸が建っています。

この住宅はもともと

神奈川県松田から移築され、

神奈川県大山のふもとに建っていた農家を

哲学者・和辻哲郎が1938年(昭和13年)に

東京都練馬区に移築したものです。

そして23年後この家を

映画製作者である川喜多長政・かしこ夫妻が

1961年(昭和36年)に

鎌倉のこの地に移築しました。

よってこの民家は3回移築されたことになります。

(日本の建築は移築できることが

素晴らしいと思います)

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当初の屋根は瓦葺きで

あったかどうかわかりませんが、

間取りは、

土間と食違い四間取りの平面をもつ

典型的な農家のかたちをしています。

瓦葺きの外観をみると、

書院風の和風建築のようですが、

それは和辻哲郎が

大きく手を入れた結果ではないかと

推測しています。

内部空間に入ると、

農家の間取りと骨格を生かした

上手な住まい方をしてきたことがわかります。

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旧和辻邸は、

鎌倉市の景観重要建造物に指定されています。



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by y-hikage | 2017-03-23 13:07 | 鎌倉の建築 | Comments(0)