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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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カテゴリ:駒込の家( 3 )

「 茶の湯展 」にいきました。

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きのう東京に用事があったので

東京に行きました。

せっかく東京に行ったので、

まえまえから興味があった

東京国立博物館での

「茶の湯展」に行きました。

茶道の経験はないのですが、

古い茶室の実測調査や

茶室の移築や新築の経験をしながら、

茶室でお茶をいただいたことは何度もあります。

ただその経験はあくまで、

茶室という建築への指向なので、

茶道具への視線は

僕にとって弱いものでありました。

それでも茶道への興味は

昔からずっとあって、

今回の「茶の湯展」に行ってみて、

その興味がわきあがりました。

「茶の湯展」で展示されている茶碗・・・から

確かにオーラのようなものが発していました。

美しい存在が自立していました。

この茶碗が茶室で

僕の目の前に置かれたら

自分の気持ちがどのようにに動くのか

想像するとこわくなるほどでした。

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古田織部作の茶室

燕庵(えんなん)の

原寸模型が展示されていました。


〇〇 〇〇 〇 〇

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「茶の湯展」に行き、

駒込の茶室を思い出しました。

ここからは、

僕に数寄屋の道を教えてくれた

駒込の茶室です。

山手線の駒込駅から

徒歩5分もしない場所にありました。

9カ月ぐらい、

この茶室にこもりっきりになり

実測調査をしました。

昭和28年の建築。

設計と大工は同じで

数寄屋大工・木村清兵衛の作です。

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820坪の敷地に建っていた駒込の家は、

敷地中央の池を囲みながら、

主屋・蔵・茶室・待合で構成されていました。

表通りに面して表門が建ち、

表門から茶室まで行く間に中門をくぐります。

池を中心とした起伏にとんだ敷地は、

さながら三渓園を

小さくしたような印象を受けました。

1996年、

この敷地にマンションが

建築されるということで、

移築再生のための実測調査を依頼されました。

様々な事情があり、

部材の格納までは成功したのですが、

いまだに移築再生は実現されていません。

膨大な実測図の野帳も

清書が完成しないままです。

図面が完成すると

戦後間もない数寄屋建築の

貴重な資料となるはずです。

いずれ時間をみつけて

清書しようと思っています。

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by y-hikage | 2017-05-29 11:17 | 駒込の家 | Comments(0)

大工棟梁田中文男さんをしのぶ会が昨日(10月11日)ありました。その2。

大工棟梁田中文男さんから受けた強烈なパンチは駒込の家で受けました。
駒込の家で。
僕は1996年1月から駒込の家の実測調査をはじめておりました。
駒込の家は戦後すぐに建築された無名でありながら名建築と呼べるほどに素晴らしい数奇屋建築でした。
900坪をこえる敷地の中央には自然の流れでできた大きな池があり、その家を囲むように母屋と茶室、待合が建てられており、表通りに面して大きな表門と蔵が建っていました。
茶室と待合の設計施工は木村清兵衛。母屋は全体的に建築家・吉田五十八の影響を受けており現代数奇屋の意匠が強く表現されていました。
この家はある事情から取り壊されてしまうことになりました。
そのため、まずは移築のための実測調査を僕は依頼されました。
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本格的な数奇屋建築の実測調査ははじめてのことでした。ましてやこの規模の木造も経験ありません。
さっそく渡辺隆さん(当時、真木建設)に相談しました。
そしてなんと!数日後に田中文男さんに建物を見ていただくことになりました(多忙を極める田中文男さんが時間を割いていただけること自体奇跡中の奇跡)。
そしてまた当日は住宅建築の編集長(当時)である立松さんと植久さんにも来ていただけることになりました。
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関係者一同そろい、この応接間で田中さんのお話を伺っておりました。
田中文男さんから茶室を造った数奇屋大工の木村清兵衛の話がでたときに、僕は何を思ったのか「木村清兵衛の後継者はどこで事務所をかまえていらしゃるのでしょうか」と口をすべらしてしまったのです。
その瞬間、天が割れるのではないかというほどの声で、田中文男さんが怒鳴りました。
「ばかやろう!あまえてんじゃねえよ!自分で調べろよ!」
僕は恐怖と恥ずかしさで、この応接間から逃げ出すか、このテーブルの下にもぐりこみたい気持ちに真剣になりました。あまったれた仕事に対する態度。簡単に情報を得ようとする向学心の欠落。概ね田中文男さんは設計者に対して厳しい態度で接しました。そのことを身体で感じた瞬間でした。
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田中文男さんに母屋を見ていただいた後に池を一回りし、茶室を見ていただきました。
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茶室で抹茶をいただきながら、田中文男さんのお話が続きました。
その時、田中文男さんの目にとまったものがありました。
それは畳の上に何気なく置いてあった僕が茶室を実測しながら書いた野帖(現場で描く図面)でした。野帖の縮尺は二十分の一。
何か殺気だったものを感じた瞬間。
天が裂けるのではないかと思うほどの怒鳴り声で、
「ばかやろう!!二十分の一で野帖なんか作ってんじゃねえよ!百分の一で十分だ!。おまえあほか!時計読み間違えてんじゃねえか!先に大工の癖を読むんだよ!」。
僕はめまいがおきて失神しそうでした。田中文男さんの体がどんどん大きく見えてきて、馬鹿でかい手でぶん殴られるのではないかとまじめに思いました。
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しばらく田中文男さんのお話が続き帰られました。寒い一日でした。田中文男さんは、黒い革ジャンを着て帽子をかぶっていました。帰り際、見送る僕に振り返り「たいへんな仕事だ!死ぬ気でやれよ!」と一言、言われて表門をくぐって帰られました。田中文男さんの「やるなら死ぬ気でやれ!」この一言が今でも頭の中を響いています。1996年の9月まで駒込の家の実測調査は続きました。それまで共同で経営していた事務所を離れ、日影アトリエを設立したのはその年の6月でした。
by y-hikage | 2010-10-13 20:26 | 駒込の家 | Comments(0)

大工棟梁田中文男さんをしのぶ会が昨日(10月11日)ありました。その1。

大工棟梁田中文男さんが、去る8月9日朝亡くなられました。享年78歳でした。心からご冥福をお祈りいたします。
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田中文男さんから影響を受けた日本の建築世界の人々は計り知れないと思います。
その計り知れない世界の端っこのさらに端っこの片隅の奥の奥で、
田中棟梁から受けた強烈なパンチで僕の人生が大きく変わりました。
思い返すまでもなく田中棟梁とは三回、も、接することができました。
最初は二十代の終わりの頃に設計を開始した高柳町の茅葺の家での、
茅葺の屋根をどうやって葺いたらいいのでしょうか、
という田中文男さんに対しての電話による直接の質問。
今思うと恐れを知らない行動!足が震えますが、、。
親切に田中棟梁は教えてくれました。
そして電話での会話の最後は「茅葺はたいへんだぞ!」と。
二回目は、建築文化史家 一色史彦氏の出版記念
(古社寺遍路(上):1994年6月30日土浦亀城プラザにて)の公演会で、
二~三言葉を交わさせていただいた時。
民家の再生の仕事をすこしずつやっています。
と恐る恐る話したところ、
「たいへんだからやらないほうがいい」と、
田中棟梁はアドバイスしてくれました。
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しのぶ会の最後は、木槍りの迫力ある美しい歌声で閉会にむかいました。
by y-hikage | 2010-10-12 19:12 | 駒込の家 | Comments(0)