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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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厳島神社・平清盛の宇宙観

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先月の4月のなかごろの週末、

広島の国宝建造物をみてきました。

広島にいくつかある国宝建造物の中で、

最大の目的は宮島の厳島神社でした。

一泊二日の旅でしたが、

初日に他の国宝建造物を見て、

宮島の厳島神社の近くにホテルに宿泊しました。

厳島神社の開門は朝の6時半から・・・。

潮が引いている

開門前の境内(砂の上)を歩き、

人がいない神社を

じっくりと見てみようと考えました。

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平清盛は久安二年(1146年)に

安芸守(あきのかみ)に任じられました。

それ以来、厳島神社に対する崇敬は篤く、

それは生涯変わることはなかった

とされています。

清盛は仁安三年(1168年)頃までには、

厳島神社の多く社殿を造営し、

現在の景観を創出しました。

厳島神社が鎮座する厳島は、

宮島とも呼ばれています。

厳島神社のそもそも起こりは、

荘厳な弥山(みせん)の姿に

神霊を感じた古代人が神の棲む島として、

あるいは島そのものを神として崇拝した、

自然発生的な信仰とされています。

厳島を神の島と考える風習は

現代の生活にも影を落としていて、

島内には今でも墓地を作らないそうです。

厳島神社を設計のコンセプトを考える場合、

弥山(みせん)という神の山への信仰が、

まず最初にあったことが重要なのだと思います。

厳島神社の配置はとても明快で、

海中から大鳥居から本殿に向かって

軸線を伸ばすと、

まず舞楽のための舞台があり、

祓殿(はらいでん)、

拝殿(はいでん)、

幣殿(へいでん)、

そして本殿と続きますが、

この軸線の目標は、

神の山である弥山(みせん)に向かっています。

僕の推測ですが、

平清盛は厳島神社を

海の岸辺に浮かべることによって、

「 山の神と海の神を結ぶ媒体 」

にしようと考えたのではないかと思います。

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そしてまた、

厳島神社は京都の

平等院鳳凰堂(天貴元年・1053年)に

似たところも感じます。

その印象は、

左右対称の配置計画にもよりますが、

鳳凰堂の前に展開される池が似たような

印象を与えるのではないかと思います。

鳳凰堂は奥州平泉と

同様に浄土式庭園を創作することによって、

極楽浄土を出現させました。

平清盛は厳島神社で

「 極楽浄土を演出する池 」を

海に見立てたのはないかと思います。

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このように考えていくと、

平清盛という建築家は、

壮大な宇宙観をもっていたと

驚くしかありません。

同じく平清盛が構想(設計?)した

京都の三十三間堂に

今年の1月に堂内に足を踏み入れた時は、

感動のあまり

その場に立ちつくしました。

東大寺南大門や兵庫県小野市に建つ

浄土寺浄土堂を設計した俊乗坊重源は、

平清盛よりも三歳年下とされていますが、

この天才二人の存在は、1000年近い時を経ても

まったく色あせない力をもっています。

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by y-hikage | 2017-05-26 08:21 | 国宝建造物 | Comments(0)
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