旧吉屋信子記念館は、
鎌倉の由比ガ浜通りを
北に入った突き当り建っています。
今年、鎌倉市内では国有形文化財に
三棟指定されましたが、
旧吉屋信子記念館はその中の一棟です。
作家・吉屋信子の家は、
1962年に建築されたものです。
設計は近代数寄屋建築の第一人者である
吉田五十八(よしだいそや)です。
吉田五十八は、
吉屋信子の家を三回設計していますが、
鎌倉の家は最後の設計です。
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鎌倉市長谷にある吉屋信子邸は、
既存建物を移築再生し増築したものです。
この家の解説を
吉田五十八はこのように書いています。
〇 〇〇 〇〇
この三番目の家は、古い家を買って改造されたものであるが、昔の家であるため、今どきの家のような、へんに利口がった、こましゃくれたものにならず、どこかぼうっと間の抜けたところがあって、おもしろい家になったようでもあるし、また、そこを吉屋さんも喜ばれたようである。
「改造の魅力」とでもいうのであろう。昔から、ひとの家を買うときは、うめ木の跡の多い家を選べ、きっと住みいい家であるという口伝が残っている。今度の吉屋さんの家も、この口伝通り、住みよい家に違いない。
(「室内」1962年11月号より抜粋)
〇〇〇 〇 〇
吉屋信子邸は、
今まで何度か見ていますが、
なんとなく大雑把な印象を抱いてきました。
この大雑把さ加減は、
移築再生されたことが理由なのか
僕はわかりません。
ただ吉屋信子は吉田五十八に
「奈良の尼寺のように」という
設計コンセプトを与えたとされていますので、
このコンセプトの延長上に
この家の空間があるのかもしれません。
吉屋信子邸の建築的な特徴は、
なんと言っても天井の意匠に
あるように思います。
吉田五十八にしては、
前衛的なかたちと文様をしており、
僕の知る限りでは吉田五十八の作品では、
この家だけです。
国指定有形文化財に指定されたのは、
主屋だけではなく、
門と塀も共に指定されました。
門は数寄屋風の肘木(ひじき)門(二脚門)。
塀は石積みの家に化粧土台を回して、
桟瓦葺き・腰板付きの土塀としています。
参考までに鎌倉市内で、
吉田五十八の作品で
一般に見学できる建築が
もうひとつあります。
鏑木清方記念美術館の中にある画室です。
鏑木清方(かぶらぎきよたか)は
懇意にしていた建築家の吉田五十八に
牛込矢来町の画室の設計を依頼します
(1932年、その後戦渦により焼失)。
この画室をたいそう気に入っていた清方は、
この鎌倉雪ノ下に牛込の画室を
模して再建しています(1954年)。
この美術館に展示してある部材は
その当時のものを再利用しているとのことです。