前回の記事で、
山泰荘の庭にザクロの樹を植える予定・・・
と書きました。
山泰荘にザクロ・・・、
と決まるまでザクロをしみじみと
見たことはありませんでした。
でも世の中は不思議なもの。
思いはかなうもの・・・?
思わぬところでザクロの樹に出会います。
※
今年の5月10日、
東京の鷺宮の白井 晟一設計の
杉浦邸の見学を終えた後に、
西武新宿線の中井駅を途中下車して、
林芙美子邸を見学に行きました。
作家、林芙美子は明治36年に生まれ
屋久島を舞台にした「浮雲」や
「放浪記」などが有名な作家です。
林芙美子は昭和14年(林芙美子・36歳)に
下落合に土地を購入し、
昭和16年にこの住まいを完成させています。
現・林芙美子記念館のパンフレットには
こう書かれています。
※
前段・略・・・、林芙美子は新居の建築のために、建築について勉強し、設計者や大工を連れて京都の民家を見学に行ったり、材木を見学に行くなど、その思い入れは格別でした。
そのため、山口文象設計によるこの家は、数寄屋造りのこまやかさが感じられる京風の特色と、芙美子らしい民家風のおおらかさをあわせもつ、落ち着きある住まいになっています・・・以下省略。
※
ザクロの樹は、林芙美子邸の中庭に
象徴的に植えられていました。
ザクロは古木そのもの・・・。
その樹木の表情は、
すべてを知り尽くしたかのような
侘びきったオーラを発していました。
林芙美子邸の中庭にたつザクロ。
林芙美子邸は、
とても好きな住宅で
何度となく見学しています。
どこが好きなのかと聞かれると
困り果ててしまいますが、
全体的にとても上手なのです。
庭とのつながりや
空間の構成もとてもよくて、
しかも木工事の技術のレベルの
高さにも驚きます。
機会があれば実測をしたいと願うほどです・・・。
庭から寝室をみる。
玄関から小間の出窓をみる。
小間の出窓の詳細。
中庭から寝室をみる。
玄関の引き戸。
玄関の引き戸を開ける。
客間の床の間まわり。
小間の空間。
茶の間。
寝室を見る。
寝室を見る。
書斎南側の障子。
書斎北側の廊下の縁側とたたき。
つくばいがあります。
過去には北側に茶室があったようです。
このたたき部分がもっとも好きな場所です。
大徳寺の塔頭・孤篷庵(こほうあん)の
茶室「忘筌(ぼうせん)」を
模した空間といわれています。
北側から土間まわりを見ます。
林芙美子の手による林芙美子の自画像。
林芙美子はとても絵が好きだったようです。
ところで、林芙美子と
建築家・白井 晟一とは接点があります。
2003年に開催された、
生誕100年記念「林芙美子展」の
パンフレットの20頁と21頁は、
白井 晟一との接点について書かれています。
以下、引用・・・・
巴里の恋---白井 晟一との出会いと別れ---1932
4月1日、芙美子は留学先のベルリンからパリにやってきた哲学を学ぶ青年と出会った。
後にカリスマ的な建築家として知られることになる白井 晟一である。
芙美子はこの青年の貴族的な風貌や振る舞いと、深い知性に魅了された。
白井も芙美子の好意を受けとめ、二人のつかの間の恋がはじまった。
・・・以下、省略。
実は、林芙美子邸は知ってはいましたが、
林芙美子という人物に
興味をもちはじめたのは、
林芙美子の生涯を描いた演劇
「太鼓たたいて笛ふいて」
(井上ひさし作・林芙美子役:大竹しのぶ)
を観てからでした。
それからというもの、
大竹しのぶが演じる林芙美子が
僕の林芙美子像になってしまいました。
(井上ひさしさんの演劇は、
ほぼ全て観ています。
僕の「視点」は、
尊敬する
井上ひさしさんからの影響が
とても大きいのではと思います・・・)
そして、
その人物像から
僕なりに想像する
林芙美子と設計を担当した
山口文象との設計プロセスは・・・、
概略の基本設計は山口文象がしたとしても
大半の部分が林芙美子のイメージで
造られていったのではないかと
思うのでした・・・・。