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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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昨日、吉村順三記念ギャラリーに行きました。

昨日、武蔵小金井での打ち合わせが終わった午後に、

吉村順三記念ギャラリーに行きました。

吉村ギャラリーは

初回の企画からほぼ皆勤賞のはずだったのですが、

昨年末の展示は、

日影アトリエの移転などであわただしく行けませんでした。

今回は、「PSコンクリートの家」。

PSコンクリートはプレストレスコンクリートという構造型式で、

大スパン構造を可能にする方法です。

建築されたのは、1957年。

場所は大田区の洗足。

大きな公共建築にもあまり採用できなかった工法を、

小さな平屋の住宅で吉村順三は採用したことに、

驚きました。

たった五本のコンクリートの柱で、

まるで橋梁の中の木造住宅のように、

室内の構造を自由にしています。

だからといってけして無骨ではなく、とても軽やか・・・。

おそらく初めて見た人は、木造だと思ったことでしょう。

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この家を、今回初めて知りました。

モダンデザインの清家清のようだとも思いました。

ときどき、いえ、いつも、

木造以外で、美しい建築をみると、

木造でできないものかと考え込みます。

しかも合板や集成材や金物を使わずに・・・。

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吉村順三は、

建築の様式や構造にとらわれる人ではなかったと思います。

求める空間に必要であれば、

コンクリートと木造の併用は当然のことでした。

そういえば、あらためて言うまでもなく、

吉村順三の軽井沢の別荘「森の家」がまさにそうでした。

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吉村ギャラリーでは、

吉村順三の心地良く気持ちいい住まいの設計の方法を

盗む場所でしたが、

今回は構造について考えさせられました。

とても勉強になりました。

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ギャラリーのひとに聞きました。

なぜわざわざ、この時代にPSコンクリートを使ったのですか?

コストのためですか?

その回答に驚きました。

建て主がPSコンクリートを使うことで

ピアノ線を使いたかったと・・。

建て主は、ヤマハ楽器の社長、

川上源一さんの家だったのです。
by y-hikage | 2013-01-21 22:46 | 吉村順三ギャラリー | Comments(0)
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