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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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久慈市から野田村まで(その2)。

前回に続き、久慈市から海岸線を南に下っています。

久慈市から268号線を海岸沿いに南下していくと小袖(こそで)漁港にたどり着きます。
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小袖漁港は、本州最北の地で活動する「北限の海女」とよばれ、女性が素潜りをしてウニなどを獲る港です。

どうも次回のNHKの朝ドラの現場になるとかならないとか・・・。
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小袖漁港です。
隆起した赤さびた岩が印象的です。
左手に小さく見えるのが漁港の堤防です。
昨年の津波の時は、最大時で、この岩の頂部まで津波が達したと、漁師の男性が話してくれました。
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漁港の風景が好きです。

特に、船や網や漁具の形や色が、海や空の色と不思議なバランスを保ち、美しいと感じるのです。
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小袖海岸の防波堤。
昨年の津波の時は、この防波堤を波が、軽々と乗り越え、行ったり来たりして、なにもかも持って行かれたと漁師の男性が話してくれました。

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さて、野田村に着きました。野田村の静かな漁港です。
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野田村は、昨年の津波で大きな被害を受けました。
津波は、防潮堤を軽々と越え、町が焼野原のようになってしまったとのことでした。
亡くなった方々も多く昨年の3月27日の記録を見ると37名と書かれてありました。
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破壊された防潮堤です。
小さく見える男性が筆者です。
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防潮堤の現状です。
津波の恐ろしさが、横たわっています。
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津波で、家屋が流されてしまった町並み。
何もなくなり、雑草が生い茂り、もともとの原野のようです。
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野田村を海岸沿いに南下していくと、町境の宿泊施設のそばに、南部曲家がたっていました。
野田村に残っていた茅葺の民家を忠実に復元したものです。
僕は、九戸郡に曲家は存在しないと、思い込んでいましたが、
間違いであることがわかりました。
南部曲家(なんぶまがりや)について勉強しなおしです。
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野田村の海を見下ろします。
とても美しい風景です。

野田村も東日本大震災で大きな被害を受け、現在、復興の準備を進めています。

村の人たちは、とても元気で、前に向かって生きるエネルギーが伝わってきました。

僕も、同じ九戸郡民として、なんらかのかたちでお手伝いできないかと、思っています。

ともあれ、岩手県九戸郡の魅力を再発見した夏の旅でした。
by y-hikage | 2012-08-23 16:39 | 岩手県九戸郡軽米町 | Comments(0)
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