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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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大工棟梁田中文男さんをしのぶ会が昨日(10月11日)ありました。その2。

大工棟梁田中文男さんから受けた


強烈なパンチは駒込の家でのことでした。


僕は1996年1月から


駒込の家の実測調査を


はじめておりました。

駒込の家は戦後すぐに建築された

無名でありながら名建築と呼べるほどに


素晴らしい数奇屋建築でした。

900坪をこえる敷地の中央には

自然の流れでできた大きな池があり、


その家を囲むように母屋と


茶室、待合が建てられており、


表通りに面して


大きな表門と蔵が建っていました。

茶室と待合の設計施工は木村清兵衛。

母屋は全体的に


建築家・吉田五十八の影響を受けており


現代数奇屋の意匠が強く表現されていました。

この家はある事情から

取り壊されてしまうことになりました。

そのため、まずは移築のための

実測調査を僕は依頼されました。


大工棟梁田中文男さんをしのぶ会が昨日(10月11日)ありました。その2。_c0195909_20214210.jpg


本格的な数奇屋建築の実測調査は


はじめてのことでした。


ましてやこの規模の木造も経験ありません。

さっそく渡辺隆さん

(当時、真木建設)に相談しました。

そしてなんと!

数日後に田中文男さんに


建物を見ていただくことになりました


(多忙を極める田中文男さんが


時間を割いていただけること自体が


奇跡中の奇跡)。

そしてまた当日は

住宅建築の編集長(当時)である


立松さんと植久さんにも


来ていただけることになりました。


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関係者一同そろい、


この応接間で田中さんの


お話を伺っておりました。

田中文男さんから茶室を造った

数奇屋大工の


木村清兵衛の話がでたときに、


僕は何を思ったのか


「木村清兵衛の後継者は


どこで事務所を


かまえていらしゃるのでしょうか」


と口をすべらしてしまったのです。

その瞬間、

天が割れるのではないかというほどの声で、


田中文男さんが怒鳴りました。

「ばかやろう!あまえてんじゃねえよ!

自分で調べろよ!」

僕は恐怖と恥ずかしさで、

この応接間から逃げ出すか、


このテーブルの下に


もぐりこみたい気持ちに真剣になりました。


あまったれた仕事に対する態度。


簡単に情報を得ようとする


向学心の欠落。


概ね田中文男さんは


設計者に対して厳しい態度で接しました。


そのことを身体で感じた瞬間でした。


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田中文男さんに


母屋を見ていただいた後に池を一回りし、


茶室を見ていただきました。



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茶室で抹茶をいただきながら、

田中文男さんのお話が続きました。

その時、田中文男さんの目に

とまったものがありました。

それは畳の上に何気なく置いてあった

僕が茶室を実測しながら書いた


野帖(現場で描く図面)でした。


野帖の縮尺は二十分の一。

何か殺気だったものを感じた瞬間。

天が裂けるのではないかと思うほどの

怒鳴り声で、

「ばかやろう!!二十分の一で

野帖なんか作ってんじゃねえよ!


百分の一で十分だ!


おまえあほか!


時計読み間違えてんじゃねえか!


先に大工の癖を読むんだよ!」

僕はめまいがおきて失神しそうでした。

田中文男さんの体がどんどん大きく見えてきて、


馬鹿でかい手で


ぶん殴られるのではないかと


まじめに思いました。



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しばらく田中文男さんの

お話が続き帰られました。


寒い一日でした。


田中文男さんは、黒い革ジャンを着て


帽子をかぶっていました。


帰り際、見送る僕に振り返り


「たいへんな仕事だ!死ぬ気でやれよ!」


と一言、言われて


表門をくぐって帰られました。


田中文男さんの


「やるなら死ぬ気でやれ!」


この一言が今でも頭の中を響いています。


1996年の9月まで


駒込の家の実測調査は続きました。


それまで共同で経営していた


事務所を離れ、


日影アトリエを設立したのは


その年の6月のことでした。



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by y-hikage | 2010-10-13 20:26 | 駒込の家 | Comments(0)
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