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日日日影新聞 (nichi nichi hikage shinbun)

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鎌倉長谷の旧山本条太郎邸

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鎌倉長谷の

旧山本条太郎邸の存在を

今まで知りませんでした。

1116日から19日の

特別公開で見学に行くまでは・・・。

旧山本条太郎邸(以下:条太郎邸)は、

鎌倉長谷桑ヶ谷の南面する

丘の上約5千坪の土地に建つ

150坪の数寄屋建築です。

大正7年の建築で、

大正12年の関東大震災以前の建物です。

鎌倉で関東大震災前の建物は少なく、

多くの建築物は大震災によって

被災、倒壊、破損し、

その後建て替えられています。


大震災前の建築物は、

扇ガ谷の古我邸、

大町の旧石川賢治邸、

長谷の旧諸戸邸などです。

その意味で、

旧条太郎邸は鎌倉の保養地・別荘地時代を

知る貴重な建築物であり、

戦前期の実業家・政治家の別荘スタイルを

知るうえでも恰好な事例です。

この数寄屋建築は、

京都の数寄屋大工・

笛吹嘉三郎の設計と伝わり、

由緒正しい京都の

数寄屋大工によるものされています。


海浜別荘の思想は

明治以降の輸入思想であり、

鎌倉では洋風建築の意匠で

建築されることがほとんどでした。

旧前田邸、古我邸、

浄妙寺の旧華頂宮邸も大規模な洋風建築です。

その中にあって旧条太郎邸は、

数寄屋建築で珍しい例です。


山本条太郎は三井物産出身の実業家です。

その大番頭は、

近代数寄屋の茶人と知られる益田孝(益田鈍翁)。

この建物を益田孝より

「無畏庵」と命名されています。

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旧条太郎邸は、

南東に面する谷戸地形を利用し

海抜40mの敷地の上に

雁行型に建てられています。

庭から南東の相模湾を一望できます。

遠くに見える半島は

逗子の大崎公園と逗子マリーナです。

僕の朝RUNのコースです。


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# by y-hikage | 2017-11-20 12:29 | 鎌倉の建築 | Comments(0)